もう先々週のことになりますが、前回のブログを書いた次の日に、最後の仕事をしました。いつも通りに働きました。

 

いつもと違うのは、いとまごいのあいさつをしたことです。

職場はいつも、時間に追われて忙しいのですが、たまたまあった隙間時間に、社長をはじめみなさんにあいさつをすることができて、うれしかったです。

 

がんと分かってから約1年半、働かせてもらっただけでも、私からすれば感謝だったのに、社長は「元気になったら復活してください、待ってますから」と言ってくれました。

この言葉で私の心は、とても温かくなり、満たされ、強くなったように感じました。

 

仕事もやめ、定期購読の雑誌もやめ、もう使うことのないカードを解約し、いやでも死を見つめるだけの毎日になるだろうと思っていました。

なのに奇跡が起こって私が元気になったら、復活してまた働いていいって言ってくれたのです。若くもないのに。

冗談かもしれないし、社交辞令かもしれないけど、うそでもこんな素敵な言葉はないと思ったのです。

私はとてもうれしいと思いました。

 

そしてその日の午後から、骨の放射線治療も始まりました。治療といってもがんを治すためではなく、痛みを抑えるためのものです。

一度はおさまった骨の転移が、やっぱり骨盤にありました。骨のがんは耐えがたい痛みがあるそうです。その痛みを緩和するための放射線照射です。

 

骨盤のがんは消えるかもしれないけど、肺のがんたちは、もう好き放題です。私の体はどんどん弱っていくでしょう。

いよいよ体も動かなくなったら、終末期ケアのお世話になります。その病院の予約や準備もほぼできました。

 

やっぱり、死に向かって一本道の毎日です。

病院からもらった痛み止めなどの薬をかかえて、暗闇の中を歩いているような気分です。

 

私の場合、幸いなことに痛みがあまりありません。夜もよく眠れます。

それでも、ただの病人になって最所の日は、行くところも、やることもなく、やけにタンがからんで咳がでました。咳が続くと吐き気までしてきます。1時間ほどもそんなことをしていると、もう疲れてしまって何もしたくありません。

でも何となくおなかも空くので、バナナを食べたり、温かいコーヒーをのんだりします。歯をみがいて顔も洗わなくちゃと思います。

 

お昼近くになると、相変わらず咳は出てもなんとなく少し元気になって、片づけをしようという気分になってきます。

地域指定の45リットルのごみ袋を広げて、いざごみ投入です。最優先はまず、自分以外の人には見られたくないものからです。

 

捨てながら、その物のことを思います。

いつ買ったものだとか、どうして買ったのかとか、どれくらい使ったものだとかです。いつまでも貧乏性の私は、どうしようもない物まで、たくさん持っていました。

でも来年は使わないなと思うと、思ったよりもあっさりと捨てることができました。

 

自分では思い切りよく捨てたつもりでも、袋はなかなかいっぱいにならず、45リットルって結構な量なんだと思いました。何だかとっても軽くってうすっぺらで、これは私の人生のようなものなのかと、がっかりしました。

 

そんなかんじの片づけをしていたある日の夕方、固定電話がなりました。いつもならセールスかなんかのいやな電話かなと思って出ないのですが、何となく出てみることにしました。

なんと私のPCの先生からです。思ってもいない出来事に、うれしくて泣きそうになってしまいました。ありがとう。

 

先週の金曜日は通院の日でしたが、その日に限って雪が積もってしまいました。

`わあー、どうしよう`と思って雪を寄せ始めていたら、近所の親切な方がぜーんぶ、きれいにしてくれました。ありがたかったです。パート先の社長やみなさんにも、PCの先生にも、娘たちにも、みーんなに感謝です。

 

生きているとか死んでいるとか、一期一会でも袖触れ合うでもなんでも、みんな私の仲間だと思いました。

私のことを嫌いな人も、私が嫌いな人も、好きな人はもちろん、みんな大好きです。

 

 

 

あけましておめでとうございます。

あっという間に、2025年になってしまいました。私としてはうれしいです。

2025年を何とか迎えられることができたのですから。

 

去年、年末の25日に、抗がん剤治療3コース目のため入院しました。

3コース目の前に、2コース目までの効き目を確かめるため、CT検査をしました。

結果、効果は無しでした。

 

そっかあです。

薬の効果は何もなく、1コース目を始めるときと比べると、ずいぶん進行しているようです。このまま進んでいけば、いよいよ死ぬんだなあと思いました。

 

最初、ステージ4の末期がんと診断されたとき、パネル検査をして、一番効きそうな薬から試すことになりました。先生からは、2年でも3年でも生き延びたら、きっと新しい薬もできて、また生き延びることができるかもしれません。そこまでがんばってみませんかと提案されました。

 

確かに、最初の薬はとてもよく効いて、肺の白い影もかなり薄くなりました。なんでもできるほどではなかったけれど、仕事以外に、自分の生活を進歩させるような何かもできるようになりました。

 

少し元気になって、気持ちが自然に前向きになってきたころ、最初の薬の効き目はなくなっていきました。1年経ったくらいの時です。

そこで次に効く薬をためすことになりましたが、私は少し悩んでいました。

治療しても、誰かのためになるんだろうかとか、何かのためになるんだろうか、とか。もし私がいなくても困る人はいないし…とか。

でも、娘も交えて話し合いの結果、もう少し治療を頑張ってみるということになりました。

 

ところが、3コース目で入院した日、抗がん剤の効果は何もないことがわかり、治療しても無駄です。そしてまた次の決断を迫られます。さらに別の抗がん剤で治療を続けるのかどうか。

またも娘を交えても相談です。

 

別の抗がん剤を使ったとしても、最初の薬のような効果は期待できず、副作用だけが残る可能性があります。私は治療をしないことにしました。

体のつらさはあるものの、まだ少し体力が残っていて、その体力と時間をうまく使えないかなと考えました。

 

がんだということがわかる前、私は、長生きはしなくてもまだ10年くらいは生きるのかなと、何となく思っていました。定年退職してから10年くらいの時間はあると思っていました。

その10年のために、私はいろいろ準備をしていました。やってみたいことをメモし、そのために必要なものを買い集めたりしていました。生きてる限りは全力を尽くしたかったからです。

 

なのに定年退職から3年目でがん宣告です。いや、読みが甘かったんですね。

私が買い集めた布や糸を、スカートにもブラウスにもセーターにもしてあげることができません。そんなことを考えると、とても心残りです。

 

娘や孫は、自分で人生を切り開き、何者かになることができるかもしれません。

でも布も糸も、私が手を動かして働きかけなければ、ずーっと布のまま、糸のままです。下手をすると虫の餌食になったり、ごみにさえなりかねません。

 

私が自分のために、勝手に買って集めてそばに置いておいたものです。それを何かにしてあげられないのはとてもとても心苦しいです。

1枚1枚の布にも、買う時の思い入れがあって、よけい寂しい気分になります。

 

私は今一人暮らしをしていて、自分が生活をしていくために、何も困らないようにたくさんの物に囲まれています。私はこの物たちもおいていかなければなりません。

私の体が動くうちに、少しでも整理したいです。

 

薬は効かなかったけれど、まだ普通に生活するとができます。

明日の朝も弁当を作るため、出勤します。もちろん、もうすぐ引退はさせていただきますが。

 

明日出勤することも、まだ元気なことも、娘たちと一緒に私の人生を終わらせることも運命なのかなと思います。

 

私はいろいろなものを見て、聞いて、経験して、その時々のいろいろな思いを知ることができました。

この肉体的な息苦しさも、心の焦燥感も今でなければ知ることができないものです。

 

運命だの宿命だの、実はよく分かっていないし、自分の中での定義もあやふやなものですが、私の運命は私にとって完璧なものです。だから何もかも受け入れます。

明日は、あさってに抗がん剤治療3コース目を受けるために入院します。

 

私には副作用なんてないと思っていましたが、しっかり出てきてしまいました。白血球は少し減っても、持ち直したので、自分は大丈夫と思っていましたが、先週のフォローで血小板と赤血球がすごく減って、治療も受けられないほど、危険領域になっていました。

 

急遽、きのうも病院で血液検査をしてもらいました。数値的にはまだ低いのですが、少し回復していたので、明後日の治療は受けられそうです。

 

今日も働いてきましたが、仕事から戻ると、のどが渇いていたりお腹が空いたりして、しっかり食べたり飲んだりします。途中で胃が、もうなにも入れないでくれというのですが、もうその時には遅く、ムカついて、ああ食べ過ぎたと思うのです。

たぶんそんなに食べたわけでもないんです。でもムカつきは私を襲います。はいたりはしないけど、ムカつきや気分の悪さはずっと続きます。

 

そして朝から頑張った体は、休養を要求します。要望にお応えして、少し昼寝をします。が、すっきり目が覚めることなんてありません。少し眠ったからといって、疲れがそれほどとれるわけもなく、ムカつきが消えるわけでもなく、つらい体を持て余しています。

 

あーあ、私は何をしているんろう、一体どうなるんだろうと思ってしまいます。

ここで苦しんでいる私はいったい何なんだろうと。

 

68年生きてきてわかったことは、人っていうのは、生まれて生きて死ぬものだっていうこと。偉い人もお金持ちの人もみんな同じ。何かすごいことをしても、お金をたくさん儲けても、すごい人気者でも、同じかもしれないなあなんて。

 

わたしも、お金持ちになりたかったり、何者かになりたかったりしたけど、まあいいかと思っています。でももう少しうまく生きられなかったかなあと、思います。

 

私は幸せになるには、正しい知識や認識が必要だと思っていました。それは正しいと思いますが、人って、正しくない知識も自分の都合のいいように思い込んでしまうんじゃないかと思います。

私の頭の悪さもあると思いますが、そもそも、正しい知識だけで生きていける人は少ないと思うし、正しい知識にいつも巡り合えるとも限りません。

また、あらゆる正しい知識を、生きている時間の中で知ることもできないと思います。正しいことを認めたくない人もいるだろうし、同じ人でも、認めたくない時もあると思います。

 

私は女の子として生まれてきて、女の子として育てられてきました。きっと私の性別は女なんだと思います。妊娠や出産も経験して、お母さんの経験んもさせてもらいました。幸せな経験でした。

 

10代になると、女の子としての生き方を強要されているように感じました。中学生のころ、数学が得意だったり、趣味が囲碁なんていうと、変わってるねとか、女のくせにってよく言われました。なんだろな。

 

フリルのついた服をかわいいというと、やっぱり女の子なんだねと言われたり。

ゲームやパズルが好きで、レゴブロックに夢中になっていると、Mちゃんと遊んでもつまらないと、女の子の友達に言われました。

 

だんだん私は、まわりの望む私になるように、自分を調整するようになりました。運悪く、小柄でぽっちゃりして、いかにも女の子らしい見た目にもなっていました。

 

自分が女だからいやだというより、見た目の女の子らしさがとても嫌いでした。私の理想は棒切れみたいなガリガリだったのに。

それなのに、見た目で判断されると、ついリクエストに応えたくなって、悪乗りすることもありました。あの頃はやったぶりっ子女子を全開させると、若い男の人にもおじさんにも受けました。世の中チョロいと少し思いました。

 

でも結婚して子供が生まれると、今度はよい母親を要求されます。要求されても私は、よい母親というものが、どういうものなのかわかりませんでした。

私の知る限り、自分の親も含めて、見本になるような親とか、家庭みたいなものが見当たらなかったのです。

 

人って大人になろうが、親になろうが、それぞれに自分に都合のいい理想像を求めるし、ほかの人にも強要する。自分の世界を完成させるためなのか、自分を正しと思うためなのか。

 

ああ、生きづらかった。何事もほどほどにしないとですね。

まわりの要求に応えることは、ある意味うまく生き抜くための、一つの方法ではあるけれど、自分を見失ってまでするものじゃないと気づいたのは、もう50才を過ぎてからです。

 

私は今、目の前にいる人のことを、見た目や不確かな(正しい知識のない)思い込みで決めることはしないようにしようと思います。

その人がその人らしく生きられるような、お付き合いができたらいいな、と思っています。

2回目の抗がん剤治療から10日くらい経ちました。

1回目は、とにかく便秘に悩まされ、ほかのことの記憶はほとんどありません。

今回は1回目とは少し違って、咳と痰、それから胃のムカムカを感じています。

 

先週の火曜日は、治療後のフォローで血液検査をしてもらいました。

白血球は少し減っていたみたいですが、3000以上あるので、大丈夫ということでした。

息切れや息苦しさも訴えてみたのですが、血液の酸素飽和濃度は97%で、普通でした。なので数字的には問題がないようです。

 

でも今回、治療後1週間くらいは、咳や痰が激しかったり、ずっとムカムカして気持ち悪かったり、だるくて横になっている時間が多いとか、なんとなく息苦しいとか、重いものを持ったり、階段を上ると息切れが激しく、つらかったです。

 

仕事はできるのかなあと不安になったり、ボウリングはお休みしたほうがいいのかなあと考えましたが、数字的には大丈夫だと言われているんだし、できるところまでやってみようと、仕事もボウリングもとりあえず出かけてみました。

 

いざ職場に着いて仕事着に着替えると、今までと同じように働くことができました。

ボウリングも、投げてみると楽しいし、立ち位置やねらうスパットなど、夢中で考えているので、何となく頭も気分もすっきりします。

体をうごかしている時は、わずらわしいムカムカやダルさも感じないなと気づきました。

 

ただ家に戻って、もう休めるぞと思うと、咳も痰も出るし、ほかのつらさも出てきます。何となくつらさとの付き合い方もわかってきたのでしょうか。

 

無理はしないようにと、みなさんに言っていただきます。

お言葉に甘えて、むりならもう、すぐ休もうなんて思っていますが、今のところ、いつもと同じように生活できています。ラッキーです。

 

先日、アナウンサーの小倉(智明)さんが、がんで亡くなったとニュースで知りました。7年ぐらい治療していたそうです。そして彼も治療しながら働いていた人です。

 

がんを治療しながら働いていたことに、私は少し勇気をもらいました。今の職場にもがんサバイバーの先輩がいました。彼女はフルタイムで75才くらいまで働いていました。何だかその事実はとても心強いです。

 

私は今まで、正直、自分が生きてて何になるって思っていました。ただ生きてるだけの人ですから。

でも、小倉さんや職場の先輩が、私にとても多くの心強さをくれたように、がんでも働いてちょっと楽しんでいる事実は、私でも誰かの小さな勇気になるかななんて、思うようになりました。

 

今まで2回治療してきて、私のがんはどうなるのかわかりません。

でも私の、薬の副作用というものが、一昔前のつらい副作用と比べてひどくないっていうことは、がんというものとずっと戦ってきた、お医者様や研究者や、当の患者さんたちの頑張りのお陰だったんじゃないかと思うのです。

きっと、たくさんの人たちの努力で、少しづつ少しづつ進歩しているんだと思います。

 

無理はしないけど、まずはできる事をしようと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

先週の水、木、金曜日に入院して、抗がん剤治療2コース目を受けました。

 

水曜日に外来で検査を受け、体が治療に耐えうるかどうかを調べました。

結果は合格で、私の場合すぐ入院になります。

中には結果が思わしくなく、入院中止になる人もいると聞きました。

 

私はここ一週間くらいずっと、体調の悪さを感じていました。腰と背中の中間ぐらいに痛みがあります。先生に名前を呼ばれて、椅子から立ち上がろうとすると、痛みのため一度に立ち上がれないのです。

また、だるいというか、倦怠感とも違う気持ち悪さがありました。常に体から逃げてしまいたいような感覚です。それと咳や痰の量も増えているように感じています。

生活は普通にできています。

 

血液検査の結果はよかったのですが、肺のレントゲン写真では、前よりもツブツブした白い影が増えて、黒い部分が減っていました。

先生によると、白い部分が増えているので、痛みも咳や痰も増えていると思いますが、だからと言って薬が効かなかったということにはなりません。治療を続けてみるのがいいと思います、ということでした。

 

本当は少し不安に感じました。このままがんが増えて死ぬのかなあと思ってしまいました。いつも通り私は死ぬことに異存はありません。いつ死んでもいいとも思っています。

ただ、できる事ならもう少し、身の回りをすっきりさせたいです。娘を困らせたくないからです。もちろん今のうちに処分してしまいたいものもあります。

 

それにしても、2回目の治療をしたらどうなるんだろうという興味もわいてきました。私自身も娘も先生も、まあやってみようということで方向性は一致です。

 

ここの病院では、外来での結果次第で入院ということになるのですが、前回の入院の時は、午後2時ころ入院して、その後検査だったので、そのつもりでいました。なので、入院の準備はしていきませんでした。

 

実は検査の日、私は早朝6時から8時まで仕事をしていました。そのあとまっすぐ病院へ行って、家に一度戻って入院のつもりでした。

 

私の仕事は、早朝6時から11時までですが、私が休みの日は、フルタイムの若い男の人が、私の代わりに6時から出ます。仕事は6時からしっかりあるのに、朝早いパートさんは今は私以外いないので、若い彼ががんばることになります。

 

私は一パート従業員なので、自分の仕事さえきちんとこなしていればそれでいいわけで、ほかの人の都合を考える必要などないと思っています。

でもつい、私の代わりに、早出しなければならない彼のことを考えてしまいました。

働けるなら働こうって。

 

私のいい人になりたいという下心も含め、いろいろな思い込みで自分のスケジュールを考えていましたが、病院には病院の都合がありました。それで入院時は少しすったもんだしましたが、無事入院することができました。

 

入院した日は、仕事などの疲れもあってか、体がつらく感じて、おとなしくしていました。

入院二日目、体調の異常もなく、予定通り2回目の点滴治療をしました。

 

今回の担当の看護師さんは、若い女性で丁寧に処置してくれました。点滴の初め5分間見守りを実施し、皮膚に異常がないかも確認してくれました。終了まで何度も様子を見に来てくれました。そして前回同様、私自身、異常を感じることなく、無事に終了しました。

 

治療は朝9時過ぎに始まり、11時過ぎに終了しました。終わって間もなくすると、昼食が運ばれてきました。昼食はおいしくいただきました。

昼食を食べ終えると、何だか体がだるく感じて、横になるとそのまま眠ってしまったようでした。午後3時すぎまで起き上がることができませんでした。

 

目が覚めて、「なんだか寝すぎちゃった、まずいなあ」と思いながら、少し体を動かしてみようと、自動販売機のコーヒーを買いにってみたり、図書コーナーの本を読んだりしました。

咳や痰は相変わらずですが、入院前にあった痛みは感じません。へえと思いました。

 

次の日の朝、何の問題もなく退院しました。

家に帰ったら、またいつも通りの生活に戻ります。支払いをしたり、買い物に行ったりしましたが、痛みを感じることもなく、なかなかいい感じです。

 

でもまだ、2度目の治療から1週間もたっていないので、これからどうなるのか、薬の影響など何が出てくるかわかりません。

すぐ死ぬこともないだろうと思ながら、どう生きればいいんだろうと、少し不安になっています。