生検から一か月ほどたって、いよいよ検査の結果がわかります。

 

私の変異遺伝子はどういうもので、私に合う薬はみつかるのか。薬はみつかっても、私には有効なのか。どんな副作用があるのかなど、いろいろ不安でどきどきしました。

 

診察室に入ると、先生はまずパソコンの画面で変異遺伝子の表を見せてくれました。ぐるぐるスクロールしていくと、一か所チェックのついているところがあって

「これが変異遺伝子型です」と教えてくれました。私にとっては意味の分からない何文字かのアルファベットが並んでいて、覚えられません。覚えたところでどうしようもないだろうし、必要もないと思いました。

 

「そして、この変異遺伝子にきく薬はあります」ということです。効果はたしか85パーセント前後だったと思います。今でははっきり覚えていませんが、「かなり有効です」と言ってもらえたのは覚えています。

 

それから、その薬の使用方法や副作用などについての説明をしてもらいました。

一番怖いのは薬性肺炎だということです。ただでさえがんで、正常な細胞が少なくなっているのに、さらに肺炎になどなったら息ができなくなってしまうじゃないですか。その危険に対処するため、入院して薬の服用を始めます。

 

今回の入院は一週間の予定ですが、特別な検査もないので、火曜日に入院して金曜日に退院ということも可ということでした。ただ薬の服用中に何か異常があれば予定はすぐに変更になります。

 

入院は四日後の火曜日に決まりました。会社や娘に報告しなければなりません。

仕事は、入院中は当然お休みですが、予定通りに退院したら、次の週の月曜日から出勤ということになりました。

 

それと、一人暮らしの私が4~5日も家を空けるので、隣人にも報告と留守中のお願いをしなければと思いました。隣の奥さんは急な告白にとてもびっくりしたみたいですが、なんと入院の日は、パートの仕事がちょうど休みということで、私を病院まで送ってくれたのです。

 

さらに別の友人も、もしよければ病院まで一緒に行くよと申し出てくれました。

私は、こんなにも親切でやさしい人たちに囲まれているんだと改めて知り、うれしくなりました。仕事も引き続きできることになったし、やさしい人たちに囲まれている私は、なんて運が良くてラッキーで幸せなんだろうと思いました。何もかもに感謝です。

 

若いころ、友達とか学校の先生とか親とかに、時々理不尽なことを言われたり、されたりして悲しかったり、悔しかったりした残念なことがありました。しかも私ときたらなかなかどんくさくて、言い返すことも仕返しすることもできずに、私はかわいそうでダメな人間だと思ってた時がありました。もちろん今だってそんなことはよくありますが。

けれど、言い返したり仕返ししたりできなくてよかったと思います。少しは傷ついたりトラウマになることもありましたけど、いいこともいっぱいありましたし。

 

もしも言い返そうとか、仕返しをしようとずっと考えていたら、私はそれしかできない人になっていたと思うのです。それこそが残念なことだと思います。

それはそれとして受け流してきたから、ほかのことにも気づけたんだなと思います。

40才を過ぎてから、自分がしたことは何もかも自分に返ってくるんじゃないかと気づきました。よく言ういいことも悪いこともです。

今私に起こっている出来事は、大きな流れの一部なんじゃないかと考えています。

今になって、あの時のあれは、今のこれにつながっていたのか、なんて思うことがあって、まだまだ生きてみないと結末はわからないものだと思っています。

 

がんという病気にはなったけれど、それを治してくれる人がいる。薬を作ってくれる人がいる。ありがたいことだと思います。このごろ私は運がいいので、きっと薬もよく効いてくれるに違いないと、気軽に考えていました。