言葉が掌にこぼれて、溢れて、熱くなる――どうしても何かを書きたくなる時がある。
月が影を伸ばす深夜に大阪の夜景を山から見下ろして歩いたことや、二人乗りをしていると鼻についたキンモクセイの香りや、子どもの頃に自転車から転んで血を流した住宅街や、バイト終わりに歩いた、ネオンで眩しい冬の道――書きながらそんな脈絡のない記憶をたどり、「ああ、自分は今あの場所にはいないんだ」と、ただあの日の情景を懐かしむ。
あの人はどうしているだろう、あの場所は今もあのままなのだろうか。
一体なぜ、確かめられるはずもないことに気をとられるのだろうか。特にお酒を少し飲んでしまった夜は、そういう時間がひどく長い。
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本を開き、映画を観て、時事ニュースを確認するためにインターネットを漂ったりする。
そういう時間の合間に、私がこれまで生きてきた場所や、これまで出逢ってきた人々や、体験した印象的な出来事が突如として脳裏に映し出される。都合の良いところだけ切り取られて美化された、ニセモノの記憶かもしれないというのに、そこにまるで自分の本当の過去を見ているかのような錯覚を引き起こす。
そういった残像の縁をたどりながらキーボード叩いていると、自分が生きている時間が余りにも流動的で、刹那であると感じる。
書きたくなるのは、その瞬間を憶えていたいからなのだろうか。
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私はカメルーンに来て1年8カ月と12日経った。来てすぐの頃は帰国まであと700日だ――などと計算したりしたものだが、帰国まで数えるほどになると、ちっとも数えたくなくなってしまうから不思議だ。
今年の2月に配属先が変わり、私立中・小学校だけでなく、さらに2つの公立中学校(フランスの教育制度を採用しているので中学校=中高一貫の六年制)でも働くことになった。ムバルマヨ市内には5つの公立中学校があり、内2つは工業・商業系の中学校で、残りの3つが普通科の中学校である。

私が働き始めたLycée Bilingue(バイリンガル中学校=英語・仏語どちらで授業を受けるか選択することが出来る)は生徒数が飽和状態で、教室が全く足りておらず、即席で木の板をつなぎ合わせたような教室で、隣の教室の声が丸聞こえなのを我慢して授業しなければならないのが現状である。

もう一つのLycée de Mbalmayo Ruralは街の中央から赤土の埃っぽい道を20分くらい歩いたところにある学校である。丘を切り抜いたかのような坂道に無理やり校舎を建設し、クラスを隔てるのは木の板を連ねた穴だらけの壁。そんな環境で、生徒たちは今日も元気に授業を受けるのである。

トタン屋根と古い白木の教室
灼熱の太陽が雲に隠れた時に吹き抜ける冷たい風
黒い透き通った瞳
サイレンのようなチャイム
先生の歌うようなフランス語の授業
ベニエ(揚げパン)を売る小さな出店
悪気のない中国語の挨拶
甲高い笑い声とざわめきの絶えない休憩時間
――大変なことが多いけれど、学校は好きだ。
埃やチョークの粉が舞っていて喉をやられるし、雨が降れば私たちの話し声はたちまちかき消されてしまうし、時にはたった一人で70人を超える中学生を相手に独りで話さなければならないときだってある。それでも、生徒たちが私を無邪気に慕ってくれて、授業の内容に興味を示してくれて、しっかり話を聴いてくれて、先生たちが忙しい中時間を割いて助けてくれていることが、来週へのエネルギーになるのだ。
さくらいろや黒色・青色の制服の子たちが、元気に「コンニチハ」と大阪訛で挨拶してくれるのを聞くと「あ、私の教えている生徒だなあ――」と嬉しくなる。
仕事が終わって帰路に就いた際、知らない学校の制服の子が複数人じろじろと私を観察し、すれ違った矢先に「ヒーホーヒーホーシャンシャン(中国語っぽくからかっているつもりらしい擬音語)」と叫ばれ、くすくすと笑い声が聞こえると、「ああ、あの子たちは知らないだけなんだよなあ」と切ない気持ちになる。
*
私が帰国したら、私のこの二年間の記憶はどうなってしまうのだろうか――
これまで書き続けていた文章は、もしかすると都合よく切り取られて美化された記憶の断片でしかないのかもしれない。
全てを憶えておくことなんてできない――それでも、全てが終わった後に自分の本来生きていた環境に帰り、この場所やここにいる人々のことを「想い出」として語るだけなんて、余りにも寂しすぎる。
そんな他愛もないひとりごとを呟いていることを、カメルーンの友人たちは誰一人、知る由もない。
