よく、私は「ありがとう」を言う。
電話をしてくれてありがとう、教えてくれてありがとう、ご飯をご馳走してくれてありがとう、掃除をしてくれてありがとう、タクシーのドアを開けてくれてありがとう、もうほんまにめっちゃありがとう――あまりに言うもんだから、「ありがとう」を安売りしているのではと思うほどなのだが、それだけ感謝する機会が多いということなのだから、有難いことだ。
対して、カメルーン人が「ありがとう」と言う瞬間というのは非常に珍しいと言っても過言ではない(あくまで私の意見だが)。
例えば、たいていのレストランやスーパーの店員というのは客を神などとは微塵にも思っていない人が多く、何かを尋ねも「ない」「しらん」と一言で済まされることも多々ある。そんな中でにっこり笑ってMerciを言われるとほっこりするし、相手が美女やイケメンに見えるのも確かだ。
「ごめんなさい」を表すフランス語「Je suis désolé」は、(カメルーンでは)恐らく少し重めの礼儀正しい謝罪のニュアンスで使われるらしいのだが、まあまず、職場で聞いたことが無い。
「すみません」に近い「Pardon」で済ませることがほとんどで、「désolé」を使うのを意識的に避けているのかと思うくらい、意地でも言わない。
※あくまで私の出逢ってきたカメルーンの人々との間に感じた一意見として「ふーん」と流してくれれば幸いです。
さて、「ありがとう」安が進んでいる私だが、
平均年齢が40歳後半くらいで、半分以上が男性の職場で一体どういう風に見られているのだろうか。これまでの職場の反応などから推察すると、柔和で、ノー天気で、オープンマインドな日本人の若者女性――という感じだろうか。
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先日、私がある先生の言うことに対して本気で反論したら、突然キレられ、理不尽に活動に対する批判をされた。それはもう激烈な批判で、あながち間違っていないという点もあって非常に悲しかった。
「お前は一体此処(ニーナ中学校)で何をやってるんだ?何もしていないじゃないか。ただ座って、人任せにしてるだけなんじゃないのか?」
環境クラブを持続可能なものにすべく、気の遠くなるような事務作業を試行錯誤で行っていたときのことである。普段温和なはずの図書室の先生は迫る世界青年の日のイベント取締による激務でイラついていたのか、朝から私にやたらと喧嘩腰なのだった。
「座っているだけのつもりはないですし、自分なりにできることはやっているつもりです。こうした事務の過程も、分からないので教えてもらいながらやっているんです。」
私から発せられる言葉をすべて嘲笑し、「なんで環境クラブの責任者がお前じゃないんだ」と言ったので、私の帰国後も継続をさせるために私はアシスタントとしてクラブを運営すると説明すると、彼はこう続けるのだった。
「前任は、そんな風には働いていなかったけどね。あんたは前任みたいに働くことが出来ないわけだ。」
ここにきて、まだ比較をされるのか、と思った。
一年半働いてきて、自分なりのスタイルでベストを尽くしてきたのだが、何事も全員に理解されることはないのだと悟った――と今なら言えるものの、言われた当初はものすごく腹が立ったし、特に一緒に活動してきた人ではなかったので「何を知ってんねん!」と心で叫ぶしかなかった。
できるだけ言葉を選んで返した言葉も、「俺は今お前を手伝ってやってんだぞ。他に仕事があるにもかかわらずだ。アドバイスまでしてやってるのになんだその態度」とまくしたてられたので、もう黙るしかなかった。さっさと印刷するものを印刷して出ていくしかなかった。
多分ものすごくひきつった顔で、その後の雑務を行っていたのだと思う。
挨拶を交わす先生たちが心配そうに顔を覗き込んできた。もう全部が嫌になっていたのだが、生徒に迷惑がかかるので投げ出すわけにはいかなかった。
ニーナ中学校での存在意義が、(今までもよくわからなかったのだが)更によくわからなくなってしまった。
確かに私は何一つ形のある物をニーナに残してはいない。
確かに私は理科の授業や数学の授業を手伝うことはできなかった。
確かに私は前任のような体力も専門知識も経験もない。
けれど、私が一番大切にしたかったのは「チームワーク」だった。だからこうして時間をかけてでも、何度失敗してでも環境クラブをベースから作っているわけで、一人で授業をするのを止めたわけで、他校での活動やプロジェクトも盛んに行っているわけである。
彼の罵倒が恐ろしくて、もうなんだか残りの半年も頑張れる気がしなかったのだが、他校の先生方と一緒に働いているときの楽しさややりがいを思い出し、仕事の後じっくり話を聴いてくれる同任地のお姉さん隊員たちに支えられてこうして今日文章にすることができている。
「どこにでも、批判的な人はいる。どれだけ頑張っても感謝されないことだってある。けれど、嫌味や罵倒を真に受けてはならない。上手く聞き流して、そこから学んで、強くなるための糧にすればいい」
先輩の言葉。
そうなのだ。本当にその通りなのだ。
(極端な例だが)ムハンマド・ユヌス氏がグラミン銀行を開発してバングラデシュの貧しい人を助ける画期的システムを作り上げて、成果を上げていてもそれを批判する人がいるし、ガンジー氏のように現在も崇拝されている人物を暗殺してしまった者もいる。賛成派がいれば反対派がおり、支持者がいればそれを壊してしまおうとする人だっている。
確かなものは、自分がやるべくことを正しくやっているのかを判断する力だけ。
見方をしてくれる人を大切にして、自分のベストを尽くして目の前の問題解決を試みる姿勢を崩さないこと。ぶれないこと。
そうして強くなっていくんだと思う。
この体験は非常に悲しかったのは確かだが、とても良い経験なのだと思えた。
それは自分が少しずつ成長している証なのだ、とポジティブに捉えたい。
「痛みを知っている人ほど、人にやさしくなれる」
という言葉も、別の先輩の言葉。
そういうものに、私はなりたい。
