ボランティアというのは、誰かから義務を課せられたり、責任を負ったり、失敗をとがめられたりすることが無い代わりに、その存在意義に悩まされる。
社会で働いている人々はやるべきことをしっかりとこなし、その代わりにお金をもらう。ただ義務が大量にのしかかり、責任が重すぎたりすることがあると、働くことが生活の中心になってしまって大切な時間――家族との時間が極端に減ってしまうこともあると、母が言っていた。
私はいわゆる「社会経験」ゼロの新卒協力隊参加者である。帰国が迫るにつれて、周りから「帰ったら苦労するよ」「日本で社会経験積むのがいいよ」と言われることが増えてきた。大学時代の友達が、入社一、二年目の職場で悩みながらも頑張って前にすすんでいることを電話で聞くと、自分に同じようにできるのか不安になる。そんなことをしているうちに、なにかもっと、大切なものを見落としそうになるような気がしてならないのである。
私はボランティアという活動でさえも、確固とした目標を定めて行うことが出来ているのか分からない。ここへ来て、一年半という歳月が流れ、友達や家族ができて、大好きな街ができて、自分が余りにも日本人であるということと余りにも未熟であることと、まだまだ伸びることが出来るということを知った――ただそれだけである。
「何かを無償で与える」「協働して成し遂げる」というボランティア像にはもともと無縁だったけれど、「協力隊って、そもそもボランティアなんかな?」と日本の友人に問われた時にふと気づいたことがある。私は国際交流のためにたまたま来させてもらい、ゆっくりカメルーン人と日本人がおはなしをする代理人として存在しているんじゃないのか。社会経験も専門性もない私が協力隊に参加できたのは、国境を越えた「対話者」として認められたからじゃないのか。
私が「カメルーン人はこうだ」と言ってしまえば、私の周りの日本人は「こうなのか」というイメージを抱く。私がいい加減な偏見を言葉にすれば、遠い日本に居る人々にとってのカメルーンの印象がいい加減な偏見の塊として刻まれる。そうしたものが積み重なって、物事にはバイアスがかかり、世界には虚偽の情報が錯綜して歪むのだと思う。
先日、カメルーンで毎年店を出しているシリア人と話をした。もう20年以上にもなるらしいその出店には、アラブの絨毯や豪華なヒジャブ、美しいクルアーンの巻物や水タバコが売られていた。
「シリアって今危険なんですよね?」と私が間抜けた質問をすると、シリア人のおじさんは「いや、南部はそんなことはないんだ。ニュースではISの事ばかりだけど、シリアにも平和な地域はあるんだよ。」と言った。私のような質問をする人が沢山いるのか、彼は肩をすくめてふっと笑った――またその質問か、とでもいうように。
ニュースを見聞きしたとき、人から話を聴いたとき、私たちが知るのは世界のほんのひとかけらでしかない。
ドナルド・トランプがイスラエル大使館をエルサレムに移すと言った時に、私たちはどのようにそれを受け止めたらよいのだろう?パレスチナ人の蜂起、中東全体が荒れ狂う中、ニュースに映らない人々が抱えている想いとは何なのだろう?
ジョニー・ホリデイが亡くなったという事実は真実でも、彼の死を心から悼み悲しんだ人々の心は知らない――それはとても遠い場所で起こっているから。ただラジオでは彼の歌が流れ、彼の若かりし頃のライブ映像がテレビ画面に映し出される――
遠い場所、受け止めきれない真実、ひとつの出来事に付随する無数の観点。
考えれば考えるほど、頭が痛くなる。そして、なぜか、どうしようもなく寂しくなる。
昔から旅が好きなのは、そういう孤独への特効薬だからなのかもしれない。何時間もバスに揺られて街から街を移動するとき、ただ窓の外を移り変わる景色に身を任せる。旅の友がいる時は、他愛ない断片的な話をして、どっぷりと冷たい孤独に浸った身体を温める。
カメルーンには、クリビという海沿いの街がある。
気温・湿度ともに年中高く、夜も日本の熱帯夜を思わせる――が、時々無償に行きたくなるのは、先の見えない水平線と、限りない潮の満ち引きへの理由のない憧れがあるからなのだ。海とは、本当に不思議な力があると私は思う。

月初めに少し活動に滞りを感じたことをきっかけに、同い年・同職種の隊員を訪ねて活動がてらクリビへ行くことにした。たまたま、ムバルマヨの学校に大学の研修生として来ているドイツ人の友人サラも一緒に来ることになった。バスの出発を炎天下に汗だくで待ちながら、他愛もない会話をした――断片的な言葉が時にフランス語、時に英語で紡がれてゆく。

バスがスピードを出すと窓から入る風が扇風機代わりになるのだが、停車すると日光が差し込んですぐさま車内は蒸し暑くなる。そのたびにサラは「暑い…」と懲りずに言うのだった。いつものように揺れる社内で謎の薬を売るために演説している商人を呆れ顔で見ていたかと思うと、微睡み、「暑い…」というのを延々と繰り返すうちにクリビに着いた。
優しくおもてなししてくれたクリビの隊員の皆さん、ありがとうございました。

無事学校での活動を終えて、海へ行き、散歩をし、写真を撮った。
灼熱を放つ太陽が西に沈み、潮風がやさしく吹き抜ける砂浜を歩いた。

そして同職種・同任地のかずみんがくれた、綺麗なまるい白い石。以下、かずみの言葉

「沢山のことにぶつかって、思い悩んで、それを乗り越えていけばきっとこんな美しい石みたいになれる、という思いで拾ったよ、人生磨きかけてこ。」
へし折られ、つまずいて、悩み倒して――というのは辛いことだが、悪いことではない。
それが人生だーーC'est la vie.
強く、まっすぐに、けれど人にやさしく、全てに寛容に生きられる大人になろう。そう思った。ありがとう。