今日は娘の誕生日だった!――と急いで慣れないスマートフォンのメッセージを打ち込んでいるエバルさんを横目で見ながら、職員室で今年の授業の準備をしていた。
学校初日の朝礼
去年と同じ景色が目の前に広がっている。不自然なまで整えられた中学校の敷地の芝生、廊下をモップで掃除する遅刻生徒、サイレンのような手動チャイムが、授業終了を知らせ、一斉に生徒たちが教室から飛び出してくる――青いズボン・スカートと白いシャツの制服を着た生徒たち。新学期というのもあって背負っているリュックは新品で、制服には抜かりなくアイロンがかかっている。
優しいギターのアルペジオを延々と弾き続ける英語教師のンボンド先生、新学期が始まったにもかかわらず出来上がっていない時間割に不平を言う国語の先生エメリオ先生、そんな言葉に適当な相槌を打つ音楽の先生リミスさん――デジャヴの感覚に襲われながら、手帳に来週の予定を書き込んでみたりする。
新入生たちが私を一目見て、マダム・ヒーホー(你好)などというので、先日から日本について話をしたり、歌を歌ったりしている。キラキラした瞳で「今度は何を教えてくれるのだろう」と訴える。去年の典型的な反抗期の一年生とは打って変わって、授業が大変やりやすい環境だ。
職員会議では「チームティーチングを主体とした活動」を行うことを断言したので、中学校における私のポジションは以前よりは理解されているはずである…。今年はニーナ中学校を楽しむのだ。この限られた時間を、かけがえのない時間をただひたすら精一杯過ごしたいと思うのだ。
だから家にいる時間が惜しくって、最近は用事もないのに生徒に挨拶して回ったり、職員室に出入りする先生と話をしたりして一日を過ごす――活動の余地を探すという目的もあるのだけれど。
私の家の前の道
今日はエバルさんの理科の授業に参加した。中学校二年生の最初の理科の授業だ。去年優秀だった生徒たちは前の方の席に、悪ガキだった子たちは後ろの方に座っている――皆相変わらず目に光を宿らせている。
「さて、理科ってなんだ?」
唐突なエバルさんの問いにもかかわらず、どんどん手が上がる。
「勉強」「環境」「健康」「生き物」
ぽつぽつと出てくるキーワードを黒板に書き込み、しばらく40人以上の生徒と対話をする。
「では、生き物ってなんだ?」
「では、環境ってなんだ?」
「なんで環境について学ばなければならないんだ?」
とひたすら疑問を投げかける度に、生徒は手を挙げて答え続ける。この自由な発言ができる雰囲気は、日本の教室とはずいぶん違っているのではないか。
「おい、今日、一度も発言してないよな?」
と後ろの方で静かにしている生徒に声をかけると同時に、内職をしている生徒を叱って立たせる千里眼には驚かされる。
「理科って教えるの難しいよ。でも、経験して変わったなあ。最初は用語とかをひたすら黒板に書いてつまらん授業をしてたもんだぜ」と笑う。
エバルさんに理科と数学を教わっていれば、私の理系科目嫌いはなかったかもしれない――とこれまで何度も思ったものだ。
「体を机と平行にして座りなさい。肘をつかない、横を向いて座らない、ノートをとるときは背筋を伸ばして前を向く!」――カメルーンの生徒たちはいつも背筋が曲がっていたり、ノートを横向きにして斜めに座って文字を書いたりと姿勢に問題がある。
エバルさんはこれも理科の授業の一環だと言って、生徒の姿勢や呼吸を整えさせたりもした。背筋を伸ばし、息を大きく吸って、少し止めて、吐き出す時間。ずっと話を聴きっぱなしで眠そうだった生徒が意識を授業に戻す。
当たり前のことだが、言葉が上手く話せなくして中学校での授業は成り立たないと今更気づいた。
去年に比べれば格段に理解できるようになったし、説明もできるようになった。けれどやっぱり理解しあえないときの方が多いのだ。だからこそ、すべての先生と一緒に様々な分野でチームティーチングをして、生徒や先生と分かり合うことができたらどんなに楽しいだろう――そんな想像をして今学期の活動へのモチベーションが静かに上がるのを感じた。
授業が終わり、当たり前のようにエバレさんとリミスさんと一緒に学校の向かいのブティックに入る。当たり前のようにビールが運ばれてきて、夜が更けるまで話し続ける。
「女性は何故、祈ってばかりなのか」
「この国ではなぜ、働いても働いても金持ちになれないのか」
などというとりとめのないテーマが浮かんでは言葉が飛び散る。ディベートのように敵対することもあれば、情報を交わし続ける会話になったり、相手の一方的なスピーチの聞き手になったりもした。
小さな蛾がオレンジの電球にぶつかっては離れる。手に持っているビールが温くなって、ずいぶん時間が経っていることにようやく気付く。
昼のブティック(売店)は夜にバーと化す。ビールしかないけど
エバルさんが用を足してブティックに戻ってくるやいなや、「星がものすごく綺麗だよ」と嬉しそうに言うので外へ出てみると、すっかり夜は深まっており雲一つない快晴の夜空には満天の星空が出ていた。くっきりと天上に掛かる天の川は中学生の時に痛いくらい寒い真冬のニュージーランドの農場で見たものくらい美しかった。
カメルーンの中都市とはいっても夜はブティックやバーの明かりくらいしかなく、森林地帯というのもあってなのか空気も澄んでいるのかもしれない。
昼の暑さかが嘘のように冷たい風が暗闇のほうから吹いてきて、黒い木の葉を揺らす。どこからかモト・タクシーのエンジン音や誰かの話し声が聞こえる。ブティックでリミスさんがギターを弾いていて、星空に溶け合うメロディーが心地よい。
星には興味ナシ。良い週末を――
とうれしそうに声を掛け合って握手を交わした同僚たちは、すっかり更け切った夜の道を浮かれた足取りで帰ってゆくのだった。



