一年前の今日、訳も分からずヤウンデの薄暗い空港に降り立って、訳も分からずに先輩隊員の厚いおもてなしを受けた。


そしてぶち当たった片言のフランス語、怖い黒人、知らない赤土の道、ぼろいタクシー

――すべては新鮮だった。だからたくさん文章にした。けれど、毎日の中でそれは自分の日常となり、かつて当たり前だったはずの大阪の景色は、今となっては夢のように朦朧としていて、遠い。

 

この大きな節目に、思うことは沢山ある。沢山あって書ききれないくらい。

 

 

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先日、同僚の畑にヤシ酒採る現場見てきました。ヤシ酒新鮮でおいしい~

 

 
 
 
 

無気力というのは、私から趣味さえも奪ってしまうのか。

 

『新世界へ』という普段読まないようなSF長編小説を二日で読破してしまうほど集中力があるというのに、あれだけ好きだった(というか日常化していた)フランス語と英語の勉強が一向に捗らない上、休暇が始まったら始めようとしていった活動のための教材作りも手つかずのまま。

 

一体自分は何をしているのだろうと思いながら、ただ自己嫌悪感だけが渦巻いている。

 

自信、存在意義、努力の意味――そんなものがふっと揺らいだときに、自分が一喜一憂する要因のちっぽけさに気づかされる。自分は、自分が思っている以上に弱いものなのかもしれない。

 

以前にも言ったけれど、私は贅沢だ。

活動について、帰国後について、自分の本当にやりたいことについて考えられる時間と心の余裕が存在するということは。

そんな優しい流れの時間に包まれ、多くを学ばせてもらえる環境に居ながら「無気力」とは、私はつくづく自分に甘いのだなあと感じざるを得ない。

 

青年海外協力隊という存在に対して、JICAの観点からのはっきりとした正解はないし、直接的な評価もない。


勿論、「配属先」における「活動」をこなし、定期的に報告書を提出して、報告会を同期隊員や職員の前で行ったりする。公人として働かせてもらっているのだから当たり前だ。


けれど誰も互いの活動を非難したり、「お前は怠けている」とか言われることはまずない。

 

そんな意味で、自分の「活動」をどのように評価するのかもすべて自分次第なのだ。

 

建前社会の日本ならではなのだろうか――根本的な活動についての論議を赤裸々に行うことをしない。それぞれのボランティアの活動内容について干渉しているひとを見たことが無い。

 

もしカメルーンに国際協力機構があったとしたら、彼らはどのように「活動」を定義し、「ボランティア」を評価するのだろうか。会議好きの先生たちだったら、永遠に言い合いをして全く話が前にすすまないのが想像できる。

 

 

無条件に悲しいときがある。家に引きこもって、心を閉ざしておきたいときだってある。理由はいつも、傍から見ればしょうもないことだ。けれどそんなエゴイスティックな私の感情を親切にも汲み取って、話を聴いてくれる友人がいる。というか、そういうタイミングに限って家に来て、言葉なくして理解してくれるからすごい。

 

 

優しすぎて心が熱くなる言葉をかけてくれることもあれば、腹が立つほど説教じみたアドバイスをくれたり、正論を投げられて悔しくてたまらないときもある。彼らからすれば娘のような歳である私にとって彼らは友人であると同時に、先生だった。

 

カメルーンでしんどい時、泣きたいとき、真っ先に会いたいと思える友人がいてよかった。

それだけで、私は幸せなはず。

 

ただ、学び取ることしかできない生徒になり果てたくはないとずっと思ってきた。私だって、少しは彼らが笑顔になるような、配属先の学校に一本の花が生けられるような存在でありたい――そう願って活動してきたし、少なからずそうかもしれないと己惚れたこともあった。

 

けれど結局のところ、経験値はほとんど皆無で、知識は取り入れながらも人並みで、語学も伸び悩んでいる今、私が彼らに助けてもらってばかりなのである。いくつか人生で初めてプロジェクトを企画から運営まで行うことができたのも、結局はプロジェクトの経験が豊富な友人がアポイントメントをとってくれたり、アドバイスをくれたお陰であった。

 

現在進行形で学びに徹している私がいわゆる「国際協力」を行うためには、今後もまだまだ険しい道が続いていることだろう。とにかく今は、今に一生懸命になるほかない。日本で学生していたあの頃のようなだらしない自分には戻りたくない。

 

帰国間際の先輩隊員が最終報告で二年間の活動をさわやかな面持ちで語りきり、あいさつ回りをしてお世話になったっ先生たちと熱い抱擁を交わしているのを見て、一年後本当に自分があんな風に帰ることになるなど微塵も想像できないでいた。まるで、太陽と雲が交互に顔を出す常夏の風景のように、この日々が永遠に続くのではという錯覚がぬぐえないのだ。

 

ともかく、無気力だと言って現実から逃げるのはもう終わりにしよ!

この長い三か月のバカンス中に自身を磨きなおして、配属先では堂々と、私はボランティアですと言えるように。

 

サンボマスターの「可能性」聞いて頑張る。

キラキラして帰国してった先輩隊員たちの背中追いかけて頑張る。

 

”ああ、希望とは儚いもの

だから捨てちゃダメなのさ。”

 

さて、二年間のカメルーン生活もハーフタイム!切り替え切り替え。