「世界には二つの悲劇がある。」

 

一つは金のない悲劇、もう一つは金のある悲劇。

世界は金だ。金が悲劇をつくる。

 

『ハゲタカ』という邦画の、最後の言葉。誰の言葉なのだろう。

株や経済の仕組みについてまるで分らないながら、資本主義世界の端にしがみついて生きている私には、あまりピンとこない言葉であったが、なぜか心に残った。

 

「金」とは何なのか。資本主義に生きることとは何なのか――カメルーンへ来てもうすぐ一年。頻繁に抱く疑問である。

 

携帯電話も、インターネットも、街内の移動も、旅行も、あらゆる情報も、食べ物や飲み物でさえ我々は金を払って購入せねばならない。要は、金が無ければ生きてゆけない。

 

日本はそのシステムが徹底されている。以前は自分が資本主義社会に生きているという実感さえなかったし、その社会に対して不便や問題意識を抱くことは殆どなかった。

 

けれど、カメルーンへ来て――いかにも(・・・・)人間らしさ(・・・・・)溢れる(・・・)生活(・・)をしている人々を見て――ハッとさせられることが沢山ある。

 

首を切り裂かれ、熱湯につけられて毛を剥がれた鶏が「肉」になる瞬間

タネを植えた畑に、芽が出て、実がなり、種を除き、皮を剥いて食べるまでの過程

トラックに乗せて運ばれた大木の幹が、テーブルや棚になる過程

バスに乗るたびに女たちが大量の荷物を抱えている理由

一人暮らし用の家や、塀のついた家が極端に少ない理由

 

それは、金を稼ぎ、金を払い生きる人間よりもずっと生き生きとした人間本来の姿だ。

 

彼らが全く金を使わないわけではないのだが、日本のように生産と消費の距離が遠くないのである。それは同時に、人と人との関係にも深いつながりがあるように思う。

 

清潔でモノに満たされた日本と、生き物と人・人と人の距離が近いカメルーンの違った生き方。違った価値観。違った幸せの形が、なんとなく分かってきたような、ないような――なんて思いながら書いている。

 

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日本人ボランティアや他の外国人の住んでいる家・大使館などには、通りと家の敷地を隔てる壁がある。それは安全のために必要不可欠だからである。

 

しかしカメルーン人の家は基本一戸建てがいくつも連なっていて、子どもは家と家を行き来して、まるで一つの家族のようである(本当に大家族なのかもしれないが)。隙間だらけだったり、窓に穴があったり、ドアがちゃんと閉まらなかったりする家もある――が特に問題は無いようである。塀もドアも必要がない。なぜなら隣人・地域とのかかわりが生活を支えるからである。

 

大阪のマンションで住人にエレベーターで会った時など、軽い挨拶や簡単な世間話をすることがあったが、カメルーンの隣人関係はそんなものでは終わらない。

 

薬を買う金が無い隣人が居て、自分がその薬を持っていれば与えるし、村で大量のプランタン(バナナの甘くない版。油で揚げて食べる)をもらったならばそれを調理して近所にふるまうし、定期的な地域の集会が行われるし、誰かが亡くなれば近所の者みんなで弔うし、誰かが生まれれば近所の皆で祝う。そして今にも雨が降りそうな空を見ながら早足で歩いていると、「ここに避難しな」と知らないブティックのおばさんが呼びかけてくれる。

 

隣人は家族であり、家族は隣人――時に「ほっといてくれ」と思うことがありながらも、寂しいときに話し相手になってくれるのも、困ったとき助けてくれるのも隣人である。

 

物理的に「金がない」と困ることがあっても、彼らは金に殺されることはないと思う。人と人との繋がりがカメルーンではとても強く、困っている人を助けるという伝統に生きているから。

 

資本主義の日本の場合、金が無ければもはや生きていけないだろう。おとなが金を稼がなければ、社会に白い目で見られるだろう。

 

 

そんな風に比べてみて、カメルーンの人々の生き方が、まっすぐで、温かくて好きだと思った。

金を払って人任せにするのではなくって自分たちの手で作ることを知っている人たちが沢山いるのが、素敵だと思った。

 

自分もいつしか、信頼できる友達が本気で困っているときに一緒になって解決策を考える習慣がついたし、造れるものは使わなくなったモノやごみから作ってみようという発想を抱くようになった。それが、ボランティアとしての活動にも役立っている。

 

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そんな友達がいたから実現した古紙・端切れ布でのアクセサリーづくり。ほかにもアイデアがたくさん出たので森林大学で話すことに…!

時に自分の利益のことばかりを考えて、個人の性格や能力を十分に生かさないで仕事をしている人がいる。チームワークを知らないで一人突っ走って人を見下す人も居る。

 

そんな人が配属先にもいる。

そんな人によって利用されることだってある。

 

カメルーンの環境改善に、人々が少しでもリサイクルに興味を持つように、そんな気持ちで企画したプロジェクトを経済的な利益のために利用しようとする人がいるのは悲しい。

 

でも、私の仲間は皆温かいとおもった。だからきっとここまで頑張れた。

冷たい人たちにがみがみ怒られても、文句を言われても、帰り道に「まあいい経験やん」と笑い飛ばせるのは、一緒に働いている仲間のお陰。

一人で立ち向かっていては心をへし折られていたかもしれないけれど、彼らがいると思うと心強いから、むやみに怒ったり出来事に一喜一憂したりせず、冷静に考えることができる。

お金よりずっと大切なものを、これからも忘れずにいたいと思う。

 

雨が降ってきて、どこか知らない学校の教室で雨宿りをした。

ラマダンだから、と友人が雨音と雷が響く暗闇で祈り始めた。

雨で手足を清めて、暗闇を携帯電話で照らして、静かに神様と話をしていた。


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事務所 にて