道を通るたびに「ヒーホー(中国語のニーハオのこと)」と言ってくるカメルーン人たち。

 

彼らが普通に「Bonjour」と言ってこないことに対してと、中国語の発音の悪さに対して不快感を感じ続けてきた。

 

時に「ひーほーはーほしゃんしゃん?」みたいな意味の分からん音の羅列を執拗に並べてくるジジイや(クソ)ガキもいて、非常に不快というのもあり、

 

「ヒーホー」は基本無視、「コンニチワ」なら返事をする

というルールを作って道を歩くことにしていた。

 

でもパワーのある時は

私は日本人で、コンニチワって挨拶するのよ(笑顔)

と返事をして、子どもならば発音練習をさせたりすることもあった。道端で。

そのおかげで家の近所ではすっかりマダム・ぴょんと呼ばれるようになった。

 

にしても、相変わらず「ヒーホー」を完全に抹消することはできない。

彼らはどんな気持ちで私たちに声をかけるのだろう、そんな疑問を抱いて早くも10カ月が経とうとしている。

 

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(先日訪れた、エボゴというところの大木。ムバルマヨは自然に溢れております) 




昨晩、大気の揺れに合わせて瞬く星たちの下で、ひんやりした常夏の夜に我が家の警備員とお隣さんと麦酒を飲みながら話をした。

 

別に他愛のない話ばかりなのだが…:

※日本人を愛人にしたい既婚のアラサーの夢物語とか、まだ彼女もおらんアラサー男子の夢恋物語(日本人女性と)とか、既婚で月一万円ちょいの給料で家庭を養ってるおっちゃんとかの話

 

フランス語の勉強になる上、彼らのカメルーンにおける人生を少しだけ垣間見るとても貴重な機会だったように思う。

 

というのも、私たちがアフリカという四文字の羅列に偏見を抱いているように、カメルーンの人々もJaponやらChineに対して勝手な印象を映画や歴史の授業から汲み取り、頭のなかだけで、アジアティックな人間がこれまでどのようにして生きてきたか思いを巡らすからである。

 

アジア人も、アフリカ人にとって白人である。私はなんども子どもたちに「La blanche!」と呼ばれ続けてきた。

けれど髪形や顔立ちから彼らは我々をアジア人と区分し、アジア人=中国人という脳回路によって「ヒーホー」という言葉こそが我々の耳に届く最適な言葉として判断される。

 

ヒーホー!!!

俺を中国に連れてってくれる?結婚してくれる?

 

というお決まり文句の裏側。今日聞いてみました。

 

なんで’白人’と結婚したがるの?

外国に行きたがるの?

 

彼らは麦酒を嗜みながら、答えとなる言葉を紡ぎ始める。

10か月前は、到底理解できなかった彼らのフランス語が、今では手に取るようにわかる奇跡を噛みしめながら耳を傾けた。

 

「日本に行けば、此処より高い給料がもらえるから家族に仕送りができるだろ。」

 

「知り合いが日本に行って牛肉加工の技術を勉強して、今カメルーンで上手く商売してんだよなあ。カメルーン政府がお金を出してくれる制度もあるんだぜ」

 

人生が、変わると思うんだ。妻と子どもがいるから、非現実的ではあるけれど。でももしも日本に仕事があれば、喜んでしに行くと思う。なければこのまま。それも神様が決めたことだから全然いいんだけど

 

 

単純に、金持ちになりたいからだと思っていた。

単純に、現状に満足していないから逃げ出したいだけだと思っていた。

でもそんなイメージこそが偏見を生み出し、壁を作るということを、なぜ今まで気づかずにいたのだろう。

 

こうして(まあ)ちゃんとした理由を持っている人もいるのだった。

 

安い給料、大家族、「分け合う」文化――それに加えてあいにく資本主義のシステムが普及してしまっているカメルーンで生きるためには、金がいくらあっても足りないのかもしれない。

 

日本では個人で働き、個人の分だけやり繰りする人が多いように思う。家族は核家族が増え、おごりよりも割り勘がベタであることからも、カメルーンとは異なっていることが分かる。

 

そんな話をするのは面白かった。

これまでカメルーンに対して抱いてきた固定概念をはぎ取って、新しいイメージに差し替えるのは楽しい。

 

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(メーデーに伴う行進の様子)

でも今日のメーデーのように、どうしようもなく

カメルーンなんか大っ嫌いだこのボケなすが!

って叫びたくなる日もある。

 

9時にメーデーの大行進が始まると思っていったら誰もいない(予想内)

誰もいないので学校に行ったらミサが終わっていて、

「なんでこなかったん」と何も知らない私を叱る(意味不明)

行進しに11時に行って、炎天下写真を撮ったりして13時に終わる(長い)

麦酒と魚をご馳走になって(これは超ハッピーやった)

さあ学校戻ろうってなったのに知り合いに麦酒勧められて学校つくの15時過ぎる。

15時フェット開始なはずやのに16時半に始まる(魚食べといてよかった)

ライブを計画したリミスさんが来ない(まじふざけんな)

ライブを頼んだニーナはピアノを用意してくれていない(ありえん)

練習した曲のコードが違う(耳コピ転調したんやで、誰か褒めて)

18時過ぎたぐらいにリミスさん来る(まじふざけんな)

ギターを持ってこず、トランぺッターに今日あった嫌なことを愚痴り続ける(やる気あんの)

自分は歌うとかゆって練習した曲を全くやらず無茶ぶりばかり(ばかにしてるの)

半数以上帰った後、壊れたピアノ弾いてたら盛り上がってJazzして気分良くなったのに

リミスさんの「満足?」といういかにも自分のお陰みたいな言い草に腹が立つ

 

 

時間を守らず、人との約束を尊重せず、簡単にプログラムをコロコロ変えたり、平気で遅れたり、言い訳を並べ反省の色を示さなかったりする友人に対して、カメルーンに対して…

 

怒りと嫌悪感を抱いた。もうほっといてくれと思った。日本のパンクチュアルな日々が恋しくなった。

 

何が分け合う文化だ。何が自由だ――

人を敬う気持ちも知らないで、よく外国人を、日本人を口説けるものだ。

 

わかっている。彼らがいつもそうでないことくらい。注意すれば少しは反省することくらい。

 

でも、ああ、やっぱり私はまだまだカメルーンを分かってないんだ。

ヒーホーの向こう側に、カメルーンの人たちは何を見ているんだろう。私たちは何をそこから汲み取れるというのだろう。