昨日までイースターに伴って学校が二週間お休みだった。
自分のために時間を費やせるのは、本当に有難いことなのだと最近感じる。
月日は飛ぶように過ぎていくけれど、一瞬一瞬は日本のように忙しく流れることは決してなく、心穏やかに生きることができているように思う。
五月のフランス語試験に向けての勉強と英会話、少しの運動、少しの読書、時々散歩がてら市場に繰り出して献立を考え、
思いついた誰かに電話をして、時間が合えばリミスさんやエバレさんとちょっとお酒を飲みながら話をする。
カメルーンの豪雨のように話しまくる二人の会話が完璧に聞き取ることができれば、きっと五月の試験も合格するだろう。
でもまだまだ知らない単語が多くって、半分くらいは推測で、分からない部分を簡単な言葉でかみ砕いてもらってばかりである。
そんな言葉の嵐の中で、時々、いい意味でも悪い意味でも非常に印象に残る難問を私に突き付けてくることがある。
「なぜ日本人は、皆別々に住んでるんだ?」
「なせ日本人は、一緒に誰かと居ることが少ないんだ?」
「なぜ日本人は、分け合わないんだ?」
問いを並べると、なんだか日本に対して非常にネガティブな印象を持っているように感じるかもしれないが、彼らは私や他のボランティアを通して「日本」という異文化に触れたからこそ、違和感を抱いたのだろうと思う。
この問いに似た問いを、私も抱いたことがある。
「なんでカメルーン人はいつも大勢で酒を飲んでるんだ?」
「なんでカメルーン人はしつこく電話をかけてくるんだ?」
「なんでカメルーン人は家に招待してとせがむんだ?」
見ている視点が違うだけで、実は根本に異文化に対する疑問があるのだということを、彼らが答えてくれた言葉の中から見つけたのだ。私たちは今、異文化について話しているんだ。間違いない。
私が生まれ育った日本と、彼らが生まれ育ったカメルーン。
余りにも違うから、比べようにも比べられず、違いが際立って、時にそれがとても不愉快に感じることもあって、それがきっかけで言い合いになることだってある。
でも、そんないさかいを超えて、それが「異文化」の壁であるということを知ったときに、私たちの間にはだかる壁に梯子が掛けられ、歩み寄って、受け入れることができる。
ここで、私が最近学んだカメルーンの「分け合う文化」を紹介したいと思う。
①酒を飲むということ
「道端のおじさんたちに、金がないからくれ!とよく言われるけれど、麦酒だけはめっちゃ飲んでるよな。そんな金どこにあんの?」
という私の疑問に友人が答えをくれた。
彼らの場合、日本人のように宅飲みや数人で小ぢんまり飲むということは少なく、割り勘という概念はない。バーでも自宅でも何人もの友人を招待して一緒に飲み、話す。
(いい意味でも悪い意味でも)時間に縛られない彼らだからこそ、急に電話をして「今家にヤシ酒があるんだけど来る?」と電話しても大半の人間が「行く」と言えてしまうのである。
学校終わりに誰からでもなく先生同士で飲みに行くときは、学校のおごりだったし、
配属先の方の自宅に誘われた時は顔見知りの人がほとんどいなかったにもかかわらずご馳走と美味しいウイスキーをふるまっていただいた。
招待された方は金を払わないで、自分が飲みたいだけ飲める。食べ物が出されれば、有無を言わずにそれを食べるのが礼儀だという。
酒の場では、近況・噂・家族・農業・仕事・政治・国際などなど多岐にわたり、彼らは延々と話し合い、時に議論し、冗談を飛ばす大のおしゃべり好きである。
つまり、コミュニティの中で情報を得、友好を築く格好の手段なのである。
②結婚式の招待状
「結婚式に招待された側の人間は、お金を払うの?」
と友人に聞いたところ、「いやいや、ありえねえ、それは西洋の文化だぜ!」と言い捨ててから、自信満々に彼らの伝統的結婚式の制度を語ってくれた。
結婚式を挙げるためにすべてをまかなうのは、結婚する新郎新婦である。
食事、酒、余興、会場、ドレス…何もかもを用意する。(カメルーンの文化上、二人の家族や友人が後ろにスポンサーとしてついているのは確実であるが)
また、日本のように招待状が紙で郵送されるのではなく、新郎新婦直々の口頭の案内こそが招待状となる。私はこれまで二度、カメルーンの結婚式を体験したが、ミュージシャン枠だったので招待という形ではなかったので、この制度は知らなかった。
招待された側は、正装し、当日は大いに飲み食い、踊り楽しみ、祝う。
経済的に難しいのならば、新郎新婦に贈り物をしたりする必要はない。
つまり、「招待に答えて会場に行ってお祝いするということこそが、最高の贈り物」なのである。
③プライベートゾーン
「なんで日本人って、皆別々に住んでんだ?」
という疑問に対して、私は「自分の時間や空間の確保がいかに大切か」ということを話した。
それは寮生活の経験から嫌というほど学んだことだった。
――が、彼らは「それは変だ」となかなか納得してくれない。
カメルーン人にとってそれは「冷たい」文化なのかもしれないが、
そういうものなのだから仕方がない。
彼らとしては、「家が広いのならば、そこにまとめて住めばいいじゃないか」と言いたいところなのだろう。
なにしろ彼らにとっては、分け合うことこそが社会の常識なのだから。
確かに、言われてみれば、
なぜ日本人は人との空間よりも個人の空間を大切にするのだろう。
資本主義的なのかもしれないし、西洋的なのかもしれない。先進国の特徴ともいえるのかもしれない。
でも、そんなものなのだから仕方がない。
どちらの文化が好き、嫌いという問題ではなく、そういうものなのだ――
公共交通機関において、全く顔見知りでない人々が「結婚をしたがる女性と同棲をしたがる男性」に関するディスカッションを始めるというシチュエーションは、日本で在り得るだろうか。
きっと誰かが「うるせえ!」とクレームを言うか、白けた目でそいつらを見るだろう。
でもカメルーンでは、乗客の誰もがその議論に参加し、熱いディベートが繰り広げられるのだ。それはそれで非常に面白い、新鮮な光景であった。
カメルーンでは、個人を「他人」としては見ない。
それは道を迷う人や売り子に対してでも
"Mon frère "兄弟
"ma mère " 母
"ma fille "娘
などという家族のような呼びかけをするところにも現れているように思う。
私はこの文化に何度となく救われてきた。
プライベートゾーンに容赦なく侵入されて苦しめられたこともあったけど、それは彼らのせいではなく、ただ異文化に触れただけなのだった!
私はこのカメルーンの人々のすべての営みを、
分け合う文化
と呼ぼうと思う。
あと1年少しのカメルーン生活を終えた時、
日本に逆カルチャーショックを受けて苦しむことになるのかも知れないけれど…まあその時はその時で考えよう。。

