ブログって本来、人に読んでもらうために書くものなのだろうけど、
なんだか自分のために書いているような気がしてきた。
だから、読んでくれている人ほんとにありがとうございますすみません…。
読んでて、いい~と思えるような文章を書けたらなあと、思ってはいるのですが。
…まあ、いつも通り書くとしよ。
どこまでもぶっとんだ物語を書きたい――そんな、阿保みたいな野望を抱いている。
私は昔から、人と違うことをしたがる性分なのか…できているのかはともあれ。
ぶっ飛んだことを言う人が好きで、
ぶっ飛んだ絵や音楽や文学を(訳もわからず)鑑賞するのが好きで、
普遍的なところからずれた世界を見ている大人に惹かれる――
でも、肝心な自分は「いたって普通」で、どことなくそんな自分に安心している節がある。
人よりも勉強ができるわけでもなく、映画の主人公のようになれるわけでもなく、肝が据わっているわけでもなく、面白い話ができるわけでもなく――言い出せばきりがない。
要するにどこまでも普遍的で、垢ぬけなくて、無害なのだ。
高校の時、ある先生が――どの先生だったかはっきり記憶はしていないのだが――
「なにかに挑戦するチャンスが巡ってきて、するかしないかを選べるときは、必ず挑戦したほうがいい」と言っていた。
ただ馬鹿正直に、無意識のうちに、その先生の言葉に従って、
どこまでもいろんなものに手を出し続けていた。
そしてその無鉄砲な挑戦心は、私をカメルーンに連れてきた。
パレスチナの難民支援をしたいという大学時代の夢からは大きくズレた青年海外協力隊の活動に、新卒の私は迷いもなく挑戦した。今振り返れば、「どうしよう」と迷う余裕も、その他の選択肢も無かったからこそ、アフリカに渡る覚悟ができたのだろうが。
人生は思いがけないことばかりで面白いなあと呑気に時間を持て余している(あ、でもちゃんと働いていますよ)半面、二年後のことを考えて不安になったりもする。
私の故郷大阪を離れてもう七か月。
『ボックス!』という大阪を舞台にしたボクシング映画を観て、
淀川が横たわり、高層ビルが空を覆っている埃っぽい街を想い出した。
ごみごみとした街の隙間を這う無数の人々。独特なリズムの大阪弁。旨いたこ焼き屋とか、フレンドリーな美容師さんや、タバコ臭い古い喫茶店や、キャッチの激しい北新地の商店街が、「大阪」という街にぼつぼつと色を付ける。
いざ離れてみると、「大阪」に哀愁を抱く自分が居た。
煩わしく、騒がしく、薄汚く、薄暗いあんな所でも(いいところだってありますけどね笑)いざ離れてみると、優しくて愛おしい街だったなあと想い出す。
しかし、こちらに来てよく言われるこの一言――「お前、本間に大阪人か?」
私が大阪弁を話すかどうかや、どんな趣味か、どんな学歴か、どんな本を読んでて映画を観てきたのかなどを話すことで「私」が縁取られ、色が塗られてゆくのだが、もしそれを「本間に…?」と問われると狼狽してしまう。
大阪人かどうか、を真剣に考えたのは、自分があまりにも面白いことを言えないからだった。
ノリツッコミも、ボケも出来ない大阪人が、この世には存在しないかのように思っている人も居るのかもしれないけれど、そんなゆるい偏見に、ゆるく苦しめられ続けて23年である。
生まれたのは大阪府大阪市で、小中高大すべて大阪なので、
私は間違いなく生粋の大阪人である。
でも、皆さんの抱く「大阪人」のイメージとは違い、昔から大勢が集まった際の会話が苦手で、大阪のノリとか話のテンポについていけなかったし、別に話が上手いわけでもなければ、そんなに大阪弁じゃないと言われたり…ともかく大阪人として中途半端なのである。
はて、一体私は誰なのだろう。
そう問うた時、
過去の自分と今の自分が随分変化したことに気付く。
カメルーン訛りの風変わりなフランス語を当たり前のように話す自分。
授業をこなしてゆくうちに先生のような顔を憶え始めた自分。
興味もなかったサッカーを真剣に見ながらカメルーンを応援している自分。
定期的に文章を書くことで想いを吐き出す癖のついた最近の自分。
昔は難しくて読み進められなかった本を読み終わった自分。
私は誰なのだろう。
という問いは、恐らく今の私にとっては愚問なのかもしれない。
大阪人には見えない大阪人で、今は大阪弁よりもカメルーン訛りのフランス語を話す頻度の方が高くて、今までに嫌いだった裁縫や、苦手意識の強かった料理に手を出し始めていて、個性あふれる同僚や隊員に刺激をもらい、柔軟に、軽やかに、転んでは立ち上がり、泣いては笑い、変化し続ける日々を走り抜ける。
変わり続けるのが、きっと今の私なのだ。たぶん今も変わり続けている。
先生顏、なってきてることない?
ちょけながら手を洗う悪ガキども

