半年に一度首都で行われる総会のために、

日本人ボランティアのドミトリーで一週間過ごした。

 ふと、私自身をを後ろから見つめてみる。

――変わったなあ私

そんな風に頭の中でつぶやく。


カメルーンで奮闘するボランティアは現在28人。

すし詰め状態のドミトリーでは、一人の時間を確保することは不可能である。

 

何をしていても誰かと顔を合わせなければならないその環境が、

数か月前までは大嫌いだった。

 

思考したり、読書をしたり、何も考えずに音楽を聞いたり、好きな料理を作ったり――そんな「自分の、自分による、自分のための時間」に価値を見出していたのかもしれない。そしてそれを脅かす他人の存在を煩わしく感じていたのかもしれない。

 

――余裕がなかったのだ。

 

今振り返れば、着任して数カ月間前任の激務に翻弄され、人生初の海外での仕事を必死にこなすことに無我夢中で、さらにはイタリア人と寮で共同生活をしていた私には、まるで自分の時間がなかった。相手に興味を持つ以前に、自分が生きることで精一杯だったのだろう。

 

読書も料理も思うようにできなかった。活動も前任の陰で方向性を失ってしまった。

ただひたすら自分の存在意義を正当化して、嘘でも自己肯定を続けておかないと今にも死んでしまいそうだった。

 

そんな苦悶の日々が、今年から良い方向に変化した。

一人暮らしの決意と、同僚たちのお陰で幸運にも早く見つかった物件のお陰で、

羨望していた自分の時間を手に入れたのだ。

 

隣人や警備員で働いてくれている人達と話をしたり、日曜日の昼下がりに同僚を家に呼んで一緒にワインを飲んだり、ただ静かに一人映画を観たり、本を読んだりする――そして時間が許す限り、こんな風に感じたことを書き連ねる。

自分を見つめ、此処で体験したことをゆっくりと咀嚼する時間がある。

家へ帰れば好きなように過ごすことができる。

 

そこから「余裕」が生まれ始めた。

そうして、ドミトリーで人と会った時にごく自然に、「人と過ごす時間」としての切り替えができた。

 

――カメルーンで出逢う人たちが愛おしくてたまらない

 

そんなふうに私は感じ始めた。

人に興味を持ち始めた、自分の独断と偏見だけで人を判断するのをやめた――変化を挙げればきりがない。先輩に「物腰が柔らかくなったね」と言われたのも、この急激な変化のしるしだろう。

 

人の顔は見ていると興味深かった。

コミュニケーションに差しさわりのないように――きっと多くの日本人が当たり前のようにやるように――誰もが話す人によって口調や話題を巧みに変化させる。

そこから絡まった心の察し合いによる人間関係を読み取ることができる。

 

笑顔の仮面と、その仮面を半分だけ横にずらしてのぞかせた素顔

必死さが空回りしてしまって暗く沈んでいる顔

話を聴いてほしそうに言葉を選んいる顔

思いがけずに恥をさらしてしまった顔

協調性のない人に狼狽する顔

チームで何かを成し遂げた時の顔

酒を飲みながら他愛もない言葉を交わすときの顔

無邪気な寝顔、愛想笑い、体験と夢を語るときの顔、心配する顔、優しい顔、兄のような姉のような顔

 

一人一人の感性や、此処へ来た理由や経緯、葛藤や苦悩に耳を傾ける。

此処に居るボランティアたちが皆魅力的で、芯を持った人々だからこそ、一つ一つの物語や他愛もない会話の中にキラキラしたものが溢れている。

 

もう一年前のことだが、ボランティア候補生時代の研修で、初めて同じ職種のボランティアたちに出逢った時の衝動とときめきを想い出した。今まさに抱いている気持ちと似通った、心弾む感覚――私の居場所はここなんだ、と思ったっけ。

 

大学で友達が少なかったこと、バイト先で後輩とあまり仲良くなれなかったこと、

大勢の飲み会で話すのが苦手なこと、敬語を上手く使えないこと、真面目な話ばかりしてしまうこと、面白いことを言えないこと――コミュニケーションに関してのコンプレックスは沢山ある。

 

けれど、そんなことを気にせずに、そんなことは考えないように、今は傍に居る人たちの話を聴きたいと思う。じっと耳を傾けようと思う。

 

想っていた以上に、私は人が好きなのかもしれないなあ。

そんなカメルーンにある「日本」での生活から打って変わり、今週からまた学校でお仕事。

がんばるぞー。

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