のどが焼けるような安ウイスキーとお気に入りの音楽を聴きながら一本ろうそくの揺れる部屋でぼんやりしている。

最近、一日三・四コマの授業を一人で平気でこなせるようになってきた。

クラスに60人いる時もあれば、たった20人の時もある。人数やクラスの雰囲気に合わせて内容を変えていくことで崩壊寸前でもなんとかなることが分かってきた(あまりにうるさいと、隣の教室にも響くので他の教師が助けにきてくれるのだ)。

 

紙ビーズづくり、端切れを使ったモチーフづくり、デッサン、歌――環境教育の理論や教師としての必要性よりも生徒が楽しいと思えるようなことをしたいと思って駆け抜けてきた。週末には疲れの大波に襲われる。そして怖いくらい早く一週間が過ぎ、月曜日がやってくる。

 

ニーナでの存在、大人としての仕事、ボランティアの意義や目的――そんなことに毎晩頭を悩ませる自分がなんだか愚かしく感じてきた。だってカメルーンに生きる人々は、彼ら自身が生きることに一生懸命だ。一生懸命にならざるを得ないのだ。

 

授業で何かを作ろうとしたとき、「譲り合い」など以ての外で、「いかに自分が良いポジションをとるか」「いかに早く物をキープするか」を競い合う。競い合って取り合って殴り合って罵倒しあって、じゃれあう。

大人も同じだ。バスの席を奪い合い、渋滞の道を奪い合い、列を抜かし我先にと前に出る。大体は太ったマダムが勝ち取る。

 

それは「マナー」や「道徳」といった贅沢な教育を考える以前に、自分がしっかり生きることに必死だからなのだと思う。

 

生徒たちはいつもお腹を減らしている。

私が昼休みに校内をうろうろしていると必ず「おなかがへった」と言って近づいてくる生徒たちがいる。「お金がない」という。弁当が無いのだ。何人かはフランスパンをほおばっているのに。寮生はしっかり3食食べているのに。

おなかを空かせている全員にベニエ(砂糖をまぶした揚げパン)でもおごってやりたくなった。そんなことをしたら「僕も、私も!」といって大変なことになるのだが。

 

でも彼らは休憩時間がほとんどない1日約7時間の授業を受け、放課後は走り回る。どこにそんな体力があるのだろう。

 

仲のいい生徒と休日に市場に出た。色々話をしたり、彼らの生活模様を聴くことは私にとってとても良い「経験」だった。対して彼らにとって私は何なのだろうか。ボランティアがどうすべきだとか、私の授業が面白くないとか、フランス語が拙いとかは彼らにとってどうでもいいのだ。彼らは私が好きで、私のやりたいといったことについてきてくれる、本当にいい奴らだ。

 

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いい奴ら

彼らはその日、私が一人ずつに買った100円の甘いパンを頬張れたことに幸せを感じる。

 

私の悩みは、とても贅沢な悩みだ。

私が抱いている夢は、とても贅沢な夢だ。

 

何もかもが事足りる先進国の日本を出て、わざわざ途上国を垣間見ようと協力隊を志願し、カメルーンでボランティアの意味やここにおける存在について悩んでいる?

 

自ら未来を選択することのできる贅沢さを持ちながら、時に泣きたいように苦しく感じるのはなぜなのだ?――私は弱い。とてもとても弱い。そして贅沢だ。愚かなほど。

 

不自由なく生きられる物がある、金がある、環境がある、設備がある――日本では今や当たり前なそれらが、カメルーンで羨望されている。

 

日本人はそんな素晴らしい生活を手にしながら、過労や理不尽な社会に悩んでいる。

なんだか不思議だ。

 

色んな事を考えていると、悩むことが馬鹿らしくなってきた。

昼からビールを飲んで、夕方まで仕事なんかせずぼーっとしているカメルーンのおじさんは悩んだりするのだろうか――彼らは彼らで、きっと色々あるのだろうな。

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孤児院 


一週間お疲れ様!

ってゆって乾杯できる仲間おったら最高なのに。


週末は外出てゆっくりするぞ~!!