昨日、ニーナで働いている木工師さんであるミシェルの家に呼ばれ魚料理をご馳走になった。南部の生まれの彼らの料理の味付けは中央州のそれとは少し違ってまた美味であった。彼の父、母、3男(男6人兄弟の一家なのだ!)そして、彼の婚約者に迎えられた。

 

「私たちの家はあなたの家だと思っていいのよ」「今日からあんたは家の娘だ。パパと呼んでくれ!」

心が温かくなった。その寛容な心に触れ、深い意味のない盛大な歓迎を受けて、自分の心がねじれてしわだらけになっているような気がした。

ならずものの自分――それでも受け入れてくれる人がいるのだ!

 

ミシェルの婚約者がとても真剣に私の話を聴いてくれた。

食卓でイタリア語を話す人のこと 

なんだかすごく寂しいということ

細かなルールのある集団生活であるということ

遠いところから応援してくれている人がいるということ

 

お父さんとお母さんは環境教育の活動について具体的に聴いてくれた。

フランス語をほめられたのもムバルマヨへ来て初めてだった。ペットボトルでエコアートをやりたいということを伝えると、心からエールを送ってくれた。

All of Me や We are the worldをみんなで歌いながら丘で綺麗な景色を眺めた。

 

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ドミで捨て置かれていたギターを拾って持ってきたので、これからこの丘で川でも眺めながらDesperadoを練習しようかなーとか思っている。

 

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こんなに話したのは久しぶりだった!

なんだかとても幸せだった。自分の存在が世界に受入れられた気がした。

晴れやかな気持ちでニーナに帰った。

 

その日の夜は研修生が帰国する前日だったので、みんなでピザを作りながら食べた。思った以上に大勢だった。ビールがふるまわれ、話は盛り上がり、とても「楽しい」夜だった。

 

話が理解できなかった。理解しようとしなかったのかもしれない。或いは頭が全く働いていなかったのかもしれない。

 

終わりの見えない夕食が苦痛だった。ただ座っている。ただ話を聴いている(ふりをしている)。私は存在しているけれど存在していないのだ。

 

二年以上オンライン英会話を通してスカイプで話をしているアンヘロは「日本人は思ったことを言わない癖がある」と言った。

相手が来ないのならば、自ら話しかけてみなければならない。

分かっていることほど、分かっていないことが多い。

分かっていても、実践できないことが多い。

 

今日、誰か一人にこっそり話してみようと思う。

「すみません、恥ずかしい話なのですが、食事中の話とか全然理解できないんです。もしよかったら、時間のある時に会話の練習を兼ねて話したいのですが…」

 

かしこまりすぎているような気もするけれど、アンヘロは思ったことを言えという。立ち止まっている時、彼の言葉はいつも私の背中を押してくれた。

辛い状況を逆手にとるということ

それは不器用な私には非常に難しいことだけど、この二年間は苦手を克服できる絶好のチャンスなんだと思う。

ニーナではまだ「ならずもの」かもしれないけれど、ニーナの外で少し受け入れられたように、少しずつ、ゆっくりとこの場所になじんでいけたらと思う。

来週から会議が始まり、自分の存在をそこで伝えることができれば状況も変わって行くだろう。授業が始まれば、子どもたちと話す機会も増えて、きっと何か変化するだろう。

強かに、想いを持って、自分のペースで進んでいくことが、今の自分のBESTなんだと思う。

 

カメルーンのお父さん笑
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