来週、文京区社会福祉協議会からの依頼でヨガの講師をさせていただくことになっています。
ヨガは初心者の方ばかり、100人近くお集まりいただくと聞いて
楽しくリラックスしつつ「ヨガ」ができたらと
先週末あたりからかなり悩ましくプログラミングしてました。
(今年初めぐらいから依頼されてるっていうのに !! やっとできた~!!レジュメ!!)
普段、ヨガのレッスンをしていてもよく聞くのは
「カラダが硬くて~~!!ヨガなんてできないかも」
とか
「みんなはできているのに私だけできない」
なんてこと。
私はレッスンの前に必ず皆様にお伝えするのは
「人のことなんて気にしなくていいです。自分のカラダに目を向けてください。
ポーズができている、できていないではなく
ああ、ここが私のカラダはのびにくいところなんだな。
ああ、こっちがわに倒したほうがすごくやりにくい!!
なんてことを気づいていただきたい時間です。
ヨガというものはご自分を知る方法だと思ってくださいね」
というもの。
そう、よくいっしょにされてしまうピラティスなどとは
まったく違う意味を持っているのは
ヨガ=結ぶ (宇宙と私をですよ!!)
ということ。
ピラティスが筋肉や関節に目を向けるものであるなら
ヨガは
内臓や
血流や
リンパの流れ
それから
心
気持ち
・・・自分自身の生命の営み。
そんなところまで目を向けていくものということです。
ヨガとは??むずかしいけどこんな感じ??
感官の確かな制御がヨーガである (『カタ・ウパニシャッド』6-11)
2世紀 -4世紀 ごろ、サーンキヤ学派 の形而上学を理論的な基礎として、その実践方法がパタンジャリ によって『ヨーガ・スートラ 』としてまとめられ、解脱 への実践方法として体系づけられた。内容としては主に観想法(瞑想)によるヨーガ、静的なヨーガであり、それゆえ「ラージャ・ヨーガ」(=王・ヨーガ)と呼ばれている。その方法がアシュタンガ・ヨーガ(八階梯のヨーガ )と言われる8つの段階のヨーガである。ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、アーサナ(座法)、プラーナーヤーマ(調気法、呼吸法 を伴ったプラーナ 調御)、プラティヤーハーラ(制感、感覚 制御 )、ダーラナー(精神集中)、ディヤーナ(瞑想 、静慮)、サマーディ(三昧 )である(『解説ヨーガ・スートラ』『魂の科学』参照)。また同書を根本教典として「ヨーガ学派 」が成立した。同派は、ダルシャナ(インド哲学 )のうちシャド・ダルシャナ(六派哲学 )の1つに位置づけられている。 『ヨーガ・スートラ』では、ヨーガを次のように定義している。
ヨーガとは心素の働きを止滅することである (『ヨーガ・スートラ』1-2)、
その時、純粋観照者たる真我は、自己本来の姿にとどまることになる (『ヨーガ・スートラ』1-3)(『魂の科学』参照)
それに対しピラティスは・・・
もともとは第一次世界大戦 の負傷兵のリハビリテーション のためのフィットネスプログラムであった。呼吸法を活用しながら、主に体幹 の深層筋 (インナーマッスル )をゆるやかに鍛える。
これにより、
- 代謝 が上がる
- 姿勢がよくなる、歩行姿勢がよくなる
- 動作の無駄がなくなり故障しにくくなる、転倒による骨折防止になる
こんな注釈の
エクササイズに近いものになります。
私が行う「美ボディエクササイズ」も
目的を持った
言葉通りエクササイズですから
「正しい動き」「正しくない動き」という分けが出てきてしまいますが
ヨガには
危険でない動き以外
「正しくない動き」はありません。
目的は
生きる。
生命。
自分のカラダを知るということ。