12月8日。


私の大好きだった、父の命日です。


父は人生の中でたくさんの愛と、正義と、優しさを私たちに分け与え


二年前の今日、静かに亡くなりました。




ブログをはじめてから迎えた初めての命日。


どんな風に言葉にしたらいいのだろう。


そっとしておこうかな?


とも思いました。


でも父の生き様は私にとっての誇りです。


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二年前私は所属する「国際総合ヨガ協会」が主催するヨガ指導士の認定を受けました。


これは、ヨガの指導に携わる方たちを指導をする立場になる自分としてのステップアップ。


その認定試験は12月に行われるのですが、


申し込み締切日が父の亡くなった日と重なり当然断念。


しかし、NPO法人になる狭間で3月に再度認定試験が開催されることになったのでした。


(そのことも、なにか意味があることに思えてなりません)


そのときの論文の題目が


「自分にとってのヨガとは?」 でした。


・・・・・・私は迷わず父を書きました。


その文を一部抜粋したいと思います。


前略

・・・「私にとってのヨガ」とはまさに父の生き様であり残してくれた言葉や行動であったと思い始めた今日この頃です。

 父は最期まで意識がはっきりとしていました。

その日も私たち家族はいつもと変わらない父の様子に安心していて最期を認識していませんでしたが、すでに看護士さんたちは何人も病室を行ったりきたりしていました。

そのとき少し苦しそうな息で父は、そこに居合わせた看護婦さんたちに 「ありがとうね。世話になったね。」と言い、ひとりひとりに握手をもとめにっこりと笑いました。

孫と同い年くらいの看護婦さんたちは少し照れながら、父と握手をしながら目には涙をためてにっこりと笑いました。

 また、父が入院している三週間のうちに研修医が二人父の担当になり、病状や様子を勉強していました。

彼らはまだ仕事に余裕がなく、ややもすれば応答が事務的であったり目線が上からであったりで、娘のわたしにすればおもしろくなかったのですが父は 「夜中にありがとう」 とか 「心配をありがとうね」

などと感謝の言葉をいつも口にしていました。

 父が息を引き取ったあと、あわてて病室に駆け込んできてくれた研修医は「私は、この方のおかげで私に何がかけていたのか、足りないものがわかった気がします。本当に勉強になりました。」

と、父に深々と頭を下げ足元にはぽたぽたと大粒の涙をこぼしました。

それを見て私は、父は一度も説教をするわけでなく、怒ったこともないのに、こんな短期間で人が変わる様子を目の当たりにして本当にびっくりしました。

あとから 「ありがとう」 と言う言葉は 有り難い から来ていて、本来であれば起こり得ないことが起こったとして感謝することなのだと知り、父の「ありがとう」 の重みをますます感じたのでした。


中略


父は私がヨガを学び始めたことをとても喜んでいました。

私自身、ヨガを学び始めた当初は アサナ(ポーズ)を覚えること がヨガだと思っていたくらいですが、

父は既に自分の内側にある神を悟り、娘の私にもそれを知る機会が与えられたことを喜んでくれていたのかもしれません。

 人にそれを伝えることは、やはり父のように自分の生き様を見せるしかないのだと思います。

少なくとも研修医のようにごく短期間で人の気持ちを汲み取れるようになった人をみたら

「長い説教より、自分が本当に無常を理解し今を感謝しているか」が大切なのだと痛感しました。

まずは自分なのだと。

自分で自分を高めていくことなのだと。

逝く時もなお、私を学ばせてくれた父に感謝しつつ・・・・。


 

おとうさん。


おとうさんに会えなくなって丸二年。


私、少しは成長しましたか?


毎日、お話をたくさん聞いてくれてありがとう。


おとうさんの娘ってことは私の確かな誇りです。


それから、私たち夫婦を含めてもこれ以上のおしどり夫婦を見たことがないほどの


母との愛!


日曜日の三回忌の法要の日に母は父の夢をみたそうです。


「俺は死んでないよって。ここにいるよって。パパ、私にそう言ってたわドキドキ



長い文を、読んでくださってありがとうございました。


皆様にも、幸せと思える日々が続きますように・・・・


合掌