【報告】リスク社会にどう向きあうか
11月18日、グローカル座標塾第2回「リスク社会にどう向きあうか」が開かれた。
講師は大沼淳一さん(高木基金助成金選考委員)。
大沼さんはパワーポイントを使い、以下のような講演を行った。
「科学では、分析をしていっても永遠に解らない部分がある。低線量被曝にはガンになるかもしれない(わからない)、自然のメカニズムは複雑。我々には少ししか解っていない。
例えば、有害物質で発ガン確率が10万分の1というとき。
実際に10万匹のネズミの動物実験をすることはできないので、1万倍の濃度で100匹のねずみに動物実験をして10匹がガンになれば発ガン確率10万分の1。
だから、何ppmが規制値といっても、計算の仕方で1000倍の誤差がある。
BSEが人間に感染するかどうかが問題になったとき英国科学委員会は「人間には感染しない」と声明した。
その直後に165人が感染死したことが明らかになった。彼らは科学者ではなく政治家として発言した。
科学者が素人の立場で発言しなければならない。
しかし、言うがやすいが難しい。専門家と素人には知識の集積の差がある。
市民自身に権威主義がある。私も講演などのとき、相手側から大学講師の肩書きするように頼まれる。
3・11の直後、テレビで報道されていたことは全部嘘だった。
福島原発がメルトダウンした。1500度になると鉄がとけ、2800度に燃料容器も熔ける。もう建屋・土台を突き破っているかもしれない。
1年で広島原発1000発の核物質を出す。福島原発3号機の灰はスイスまで届いた。こんな危ないものが安全に動かせるわけがない。
リスクについての考えには、予防原則とリスク管理がある。
リスクとは何か。リスクとは「危険なこと」などの意味だが、リスク管理では「危険なことが起きた時のダメージの大きさ」という意味で使われる。
リスク管理では、例えば全国でタバコで1年10万人が死亡する。
クルマでは年1万人が死亡していた。
「クルマで年1万人が死亡」しても、クルマの便益がリスクを上回るから禁止しないというのがリスク管理の考え方。
最近は飲酒運転処罰が厳しくなり、交通事故死亡者が半減した。クルマの便利さより、事故を減らすことを社会が選んだからだ。
レントゲン検査でも、全体で見たら被曝のリスクより、有用性が高いので、多少の被曝はしょうがないというのがリスク管理の考え方。
リスク科学には危うさがある。
ICRPの放射線量規制では、一般が年1ミリシーベルト、原発作業員50ミリ
事故後政府は20ミリ、250ミリシーベルトに引き上げた。
しかし、ECRRの規制値は、一般0.1ミリで作業員2ミリ
福島の子どもに押し付けられた20mSv基準はひどすぎる。低線量被曝でも放射線が当たるとDNAを切断する。
広島・長崎で被爆調査が行われたが、データベースには欠陥がある。調査は1950年以降で、内部被爆も無視している
ソ連はチェルノブイリ被害を過小評価したが、ICRPの推定ガン死者12万5千人。放射線影響研究所推定は32万5千人。放射性物質は1000物質ある化学物質総体に匹敵する。
福島事故で1000万人が1mSvずつ被曝すれば集団被爆で1000万Sv・人になる。
首都圏・東北3000万人が1mSvなら1500~9900人がガン死する。
20mSvなら3万~19万8千人がガン死する。
ところが、30万人がガン死する日本では識別が困難。
予防原則が登場したのは70年代ドイツ。
92年リオ宣言でも予防原則がうたわれている。
この頃、中西準子が日本にリスク科学を持ち込み、官僚によって使われている。
予防原則では、関係が科学的に完全に確立されていなくても、予防的措置をとらなければならないなど打ち出されている
リスク科学ではリスクとベネフィット(便益)の天秤で考える。
リスクとベネフィット(便益)の天秤で考える条件には
① 受忍者(今回は福島)と享受者(東京)の一致
② 情報公開が完璧
③ リスク推定が正しい
④ 受忍者に選択肢
が原則で、今回の原発事故はいずれも当てはまらない。
「隕石衝突ほどの低リスク。原発の発電コストが安い」というのは嘘だった。原発はすぐに廃止すべき。
リスク科学は保守的な結果を出す。米国が70年代初めマスキー法の厳しい排ガス規制を、米国メーカーのためと導入しなかったことが、日本版マスキー法で規制を導入した日本メーカーとの競争に敗れる結果になった。この米国マスキー法の失敗例が典型だ」
1時間50分近い講演のあと、休憩を挟んで質疑応答が行われた。
受講者からは、かつて東大闘争を闘った中西準子が、どうしてリスク科学を日本へ持ち込んで反動的役割を果たしているかなどと質問・意見が出されていた。