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中央委員会

ちゅうおういいんかい

あなたの街のシンボル教えて!

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本題の前に…

 

東京タワーって何のためにあるんですかね?

「電波塔が必要だから」

ま、機能面からはそうですけれど、

だったら「展望台」なんかいらないんじゃないの?

愛知県の瀬戸の電波塔は「展望台」なんかないんだし。

 

瀬戸デジタルタワー

(名古屋「テレビ塔」の後継)

 

結局、展望台に昇って喜んでいるのは

東京人(←曖昧な単語)だけで、

地方から来た人(←これも曖昧な用語)にとっては

「ごちゃごちゃした東京の街並み」を見て楽しいのかな?

「ああ、こんな街住みたくないな」と思うだけだったり。

東京人がお客さんを家に招いて

「ほら、わが家を見てくださいよ」と自慢したものの

お客は「きたない部屋ですね」とは言えず、

なにか適当なお世辞を言うしかありません。

「個性的なお部屋ですね」

「来てよかったです」とかね。

 

*****

東京タワーで一番の思い出は、

前の会社で展望台を貸し切って忘年会をやったこと。

まだ「バブル」の余韻が残っている時代です。

 

新入社員ながら幹事団の1人になったワタシ。

序列から言って

一番「手を汚さなければならない」立場です。

 

企画として決定したのが

「ウォーリーを探せ!」(古いな!)

街の中(東京タワーから見える眼下の街)にいる

ウォーリーを探すというもの。

一番早く見つけた人に「豪華賞品」というもの。

 

 

はい、ワタシがウォーリー役ですよ。

紅白のシマシマのシャツを着て、

事前に決められた場所(芝給水所公園)に

立っていたわけです。

 

ちょっと暗いところ、大通りだと目立ちますからね。

港区芝公園界隈には、

こんな格好で歩いている奴はいません。

渋谷ではありません。

 

なかなか発見できないようで、

司会の先輩からトランシーバーで

「ヒントを与えるから、ヘッドライトを点けろ」と指令。

その通りにしました。

 

それでもまだわからない。

「次のヒントだ、誘導灯を振れ」と指令。

その通りにしました。

 

そうしたら、しばらくしてパトカーが来て

職務質問ですよ。

「怪しい人物がいると、

住民やタクシーの運転手から通報があった」だって。

事情を説明したものの

「責任者を呼べ」と言うので、

トランシーバーでそれを司会者に告げたら、

総務部長と東京タワーの支配人がやって来ました。

 

というわけで、第一発見者は

地元管轄の「愛宕(あたご)警察署」でした。

おめでとうございます。

 

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東京タワー完工の日

 

あなたの街のシンボル教えて!

 

「湯島天神」

天神様にはじまり、

天神様に終わります

 

(「湯島神社」が偉くなって「湯島天満宮」が正式名称。

「湯島天神」は通称)

 

「湯島天神」は、

東京の人なら多分知っているだろう。

そうでもないかな?

狭い境内ながら、梅が咲きます。

 

 

天神さま(菅原道真公)を祀った

「学問の神様」

 

いつでも絵馬が絶えません

 

 

しかしながら、

日本三大天神、

京都の「北野天満宮」、

福岡県の「太宰府天満宮」には及ばない。

“三大”のうちあと一つは

山口県の「防府天満宮」だって。

日本最古の天満宮とかなんとか。

 

ちなみに正月三が日の参拝者

湯島天神

約35~40万人

狭い境内なので、

朝の通勤列車並みのラッシュ!

 

太宰府天満宮

約204万人

 

 

北野天満宮

約50万人

 

防府天満宮

約47万人

 

太宰府天満宮が群を抜いているな。

しかし、天神様系は、

全国には1万2000社あるんでしょ?

 

営業成績なら、

東京にあるという立地の良さから

「湯島天神」は上位に入るんじゃないかな?

(神社に「営業」という概念があるのか?)

 

これ、大学受験なら、

受験したい大学に近い天神様に

お参りに行けばいい。

 

東京大学受験なら、

一番近い「湯島天神」

 

京都大学受験なら、

「北野天満宮」

 

大阪大学なら、

「大阪天満宮」

お参りしたことはないのですが

あ、「天神橋筋」とか「天満橋(てんまばし)」って

ここが由来なのかな?

 

一橋大学なら

「谷保天満宮(やぼてんまんぐう)」

(国立市 駅は南武線「谷保(やほ)駅」)

 

 

「野暮」の由来という説があります。

 

江戸時代に目白でご神体の御開帳を行ったとか。

それが10月、つまり神無月。

神様は出雲に行っちゃう月ですよ。

 

これを目にした大田南畝(おおたなんぽ)が

神無月に出開帳したのを皮肉り、

次の狂歌を詠んだと言います。

「神ならば 出雲の国に行くべきに 

目白で開帳 野暮の天神」
 

谷保の地名に野暮をかけています。
野暮の天神から、「野暮天」という言葉が

生まれたのだそうです。

(真偽不明)

 

こういうノリの神社、好きだなぁ。

 

九州大学なら、

「太宰府天満宮」

 

「防府天満宮」?

山口大学?

 

*******

急に思いついたので追加しました

(2025/12/24 01:24)

 

敷地面積比較

 

*****

湯島天神 春の梅まつり

 

秋の菊まつり

 

 

5月の例大祭

 

 

 

公式の半纏(my 半纏)を羽織って

 

下の方には名字が入っているので

写真はご勘弁を。

 

町内のお神輿を担ぐ、

歳のせいか、

年々翌朝の筋肉痛が

ひどくなっています。

 

湯島と本郷の全町会からお神輿が出ます。

つまり、「湯島」湯島からの分家「本郷」が領土。

(地図の赤い部分)

 

 

分家「本郷」のほうが本家「湯島」より

はるかにメジャーになっていますけれど…

 

南は神田明神、

東は上野寛永寺、

西は白山神社、

北は根津神社という

強豪、古豪に囲まれたエリアです。

 

このエリアにはニッポンの最高学府

「東京大学本郷キャンパス」が

ここにあります。

 

 

まぁ、ワタシにとっては、

縁もゆかりもない大学です。

 

「食堂」だけは利用したことがあります。

「ワタシの出身大学のほうが上だぜ」と思いました。

(こんなことでしか勝てないのも、情けない…)

 

 

*********************

この湯島という街は、カオスの街

 

高級な住宅からわけのわからない風俗店まで

混在しています。

タイからやって来た、12歳の少女が

性的サービスをしていた店も湯島です。

 

朝日新聞に載った写真

 

 

地元民にはすぐわかりましたよ。

御徒町寄りのネオン街ではありません。

「えー、こんなところにあったの?」

というビルです。

 

 

カオス状態は、現代に始まったわけではありません。

 

知っている人は知っていますが、

昔は「陰間(かげま)」の街。

陰間は、男色専門の男娼。男の相手をする男。

 

11歳~14歳が「蕾める花」、

15歳~18歳が「盛りの花」、

19歳~22歳が「散る花」と言われていました。

成長すると男色に向かなくなり、

散る花の年齢になると客は女性相手に変わります。

 

 

江戸時代後期には、

芝神明(現在の港区の芝大神宮)の門前、

湯島天神の門前、

芳町(現在の中央区日本橋人形町のあたり)

ここが江戸の三大男色地帯だったようです。

 

陰間を置いているのが、陰間茶屋。

 

陰間茶屋は陰間を置いているだけで、

客はあげなかった。

 

陰間と遊びたい客は、いったん料理屋にあがり、

女中などに頼んで陰間茶屋から陰間を呼び寄せた。

 床入りするのは、料理屋の奥座敷である。

 

 

陰間の揚代(料金)は、

一般的な遊女よりも高かったらしい。

 

湯島には、陰間茶屋は十軒あり、

陰間たちも四十名以上いたというのですから、

かなり繁盛していた場所です。
  お客は上野の寛永寺のお坊さんが多かったようです。

 

上野寛永寺

 

まぁ、女犯が厳しく禁止された

坊さんだからね。

男に走るわけね。

 

 

水野忠邦が天保13年(1842年)に

完全な禁止令を出したものの

御三家と並ぶ格式

プラス強力な宗教的権威をもつ

上野寛永寺により

湯島天神に限って大っぴらでないカタチでの

陰間営業をお目こぼしする

ということになったようです。

 

 

なお、陰間が湯島天神から完全に居なくなるのは

寛永寺が上野戦争で灰燼に帰しちゃった後だとか。

(上野戦争 = 戊辰戦争の1つ。1868年7月4日、

上野戦争はたった1日で新政府軍の圧勝となりました)

 

(歌川 芳盛「本能寺合戦之図」)

タイトルはなぜか本能寺合戦之図となっていますが

実際は上野戦争を描いています。

中央が寛永寺。

 

佐賀藩の新兵器「アームストロング砲」が、

加賀藩上屋敷(現在の東京大学構内)から

不忍池を越えて寛永寺を砲撃。

 

中堂に、つぎに吉祥閣に、

つぎに文殊楼に命中し、建物が炎上。

その心理的効果は絶大だったという。

 

まぁ、海上船舶攻撃用の

砲弾が頭上から飛んで来たら

驚くわな。

今で言う「ミサイル」みたいなもんだ。


砲弾は3,600mくらい飛ぶようです。

となると、東大病院から上野公園なんて、

1キロ以内だから、

命中精度も高かったかも。

 

焼け野原になった寛永寺。

 

当時の上野寛永寺って巨大だったのよ!

 

 

その後の明治維新と維新政府の施政によって

純然たる“花街”というのが

生まれることになりました。

花街(かがい・はなまち)とは、

芸妓(げいこ)・舞妓(まいこ)がお座敷で

芸(舞・踊り・三味線など)や歓談を通じて客をもてなす

「お茶屋」が集まる地域で、花柳界とも呼ばれます。

明治以降、売春が行われた

「遊廓(ゆうかく)」とは区別されます。

→「遊郭」は、戦後の「赤線」へ。

日本に存在していた売春の実質的公認地帯のこと。

営業可能区域が地図上に赤い線で区分されていたので

「赤線」と呼ばれた。

昭和33年の売春防止法完全施行により消滅。

 

東京の花街ランキング

一等地:(甲)新橋、柳橋、赤坂、日本橋。

(乙)芳町、烏森。
二等地:(甲)新富町、神楽坂、下谷、浅草。

(乙)富士見町、霊岸島。
三等地:(甲)神田、四谷荒木町、白山、湯島天神、

深川、芝浦。

(乙)芝神明、麻布。
四等地:四谷大木戸、駒込神明、向島旧券。
五等地:向島新券、根岸、浅草西見、飯田河岸。

 

人気芸者

 

萬龍(まんりゅう 赤坂の芸者)

[1894年7月 - 1973年12月]

萬龍は「文芸倶楽部」誌が主催した

芸妓の人気投票「日本百美人」で

9万票を得て第1位

(現在でいえば中学1年生の年齢)。

(「文芸倶楽部」1908年3月号)

 

 

貞奴(さだやっこ 

 芳町の芸者  川上貞奴 )

[1871年9月2日-1946年12月7日]

 

「日本の近代女優第一号」

伊藤博文の囲い者となった後、

女優に転身して海外でも活躍しました。

夫は「オッペケベー節」の川上音二郎。

1899年、川上音二郎一座のアメリカ巡業。

1900年、パリ万博出演。

1901年、ヨーロッパ巡業。

1908年 東京・芝に帝国女優養成所を設立。

1917年 女優引退を宣言。

 

 

 

湯島天神の最盛期は、

他の花街と同様、

だいたい明治末から昭和恐慌(昭和5年~)までの、

いわゆる「成金」達が幅を利かせた頃。

 

 

『東京芸妓評判録』には

大正11年(1922年)で

「藝妓六十九人、半玉十一人、

待合拾五軒、料理屋七軒」となっている。

 

「おばけ横丁」

芸者の置き屋が数多くあり、

スッピンで来た姐さんが

化粧で化けて出ていったからこの名がついたらしい。

 

 

全国芸妓芸妓屋同盟会があったあたり。

湯島天神下(下谷)の花街は、

東京でも最大規模の花街でした。

 

 

花街衰退後、

湯島と言えばラブホテル街になって、

 

 

HOTEL UNITED 406号室

 

ホテルプリンセス1世  802号室

 

宿屋 湯島御苑 502号室

 

ホテルプランタン 103号室

 

へー、デザインに凝っているなー。

 

古いラブホテルは潰れて、

どんどんマンションが建っています。

 

これは、ボロいラブホ(「ホテル寿」)が潰れて建った

『天神町place』(てんじんちょうプレイス)

というマンション。

(文京区湯島3丁目)

 

外観がこれ

 

 

 

いま、湯島の時間軸はココ。

 

なんか「カオス」な街ですよ。

 

そんなところを気に入っているんですけれどね。

 

 

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(おまけ)

 

アニメ『ノラガミ』(第3話)に出てくる

湯島天神

 

突然、白梅が満開になり

天神様(菅原道真)か降りてくる。

「天神シスターズ」という巫女さんも登場。

(ホントの湯島天神の巫女さんは、茶髪は禁止です)

 

この記事のカバー画像も

「天神シスターズ」

 

湯島天神巫女さん募集要項

(初詣/正月の募集は終了しました)

 

研修風景

 

正月の準備

用意する絵馬は5万枚!

 

今日はここまでです。

 

今日も最後までお読みいただき、

ありがとうございました。