新撰組の日 | 中央委員会

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新撰組で好きな隊士はいる?

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新撰組の日

 

好きな隊士はいません

 

はっきり言って「新撰組」は好きではない

テロリストの集団に思えるからだ。

 

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中学生の時、新撰組を真似して

クラスの「局中法度」が作られた。

 

 

粛清が怖かった

粛清されたやつもいた

粛清という名のいじめ

先生にチクったやつも粛清

いじめの連鎖にきりがない

とても陰湿ないじめだった

 

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「れいわ新選組」にも

局中法度があったりするのか?

粛清があったりするのか?

 

 

大西恒樹(56)を除籍処分

2020/7/16 

「どこまで高齢者を長生きさせるのか。

命、選別しないと駄目だと思う」

と発言。

 

これは粛清?

 

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土方歳三の人気があるようだ。

 

 

2004年の大河ドラマ『新選組!』では

山本耕史が演じた。

 

好きな志士アンケート

1位、土方歳三 34.7%

2位、沖田総司 28.1%

3位、近藤 勇 17.8%

(Web歴史街道調べ)

私は、この3人しかよく知らない

 

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新撰組って評価が別れますよね。

 

沖田総司

 

2004年の大河ドラマ『新選組!』では

藤原竜也が演じた。

 

 

近藤勇

 

2004年の大河ドラマ『新選組!』では

香取慎吾が演じた。

(主演です)

 

口の中にげんこつを入れる芸。

 

 

 

「誠を貫いた人たち」とか

「粛清・強奪を繰り返した人たち」とか。

しかしながら勝てば官軍、

負ければ逆賊。

 

逆賊の代表になってしまったようだ。

(そこがいいという、ファンもいるようだ)

 

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コミック

『マカロニほうれん荘』より

 

この青年は

「沖田そうじ」

(多分、沖田総司のパロディ?)

 

この人は

「ひざかた歳三」

(多分、土方歳三のパロディ?)

 

そしてこの人、

「きんどー日陽」

(近藤勇??? なんか違う気がする…)

 

それ以前に、

この漫画、古くてわからない?

 

スミマセン

この世代なんです…

 

(1977年の作品です)

この画像を載せたいがために、

2時間もかかって、

押し入れの奥から

探し出しました…

(↑ばか)

 

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新撰組の幹部でも生き残りがいた

 

永倉新八

斎藤一

 

鈴木三樹三郎

この人達は大正時代まで生きたという

こういう生き残りがいたから、

内情も後世に伝わった

(んじゃないかな)。

 

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しかし、

テロリスト集団のようにも見えるし、

内部抗争で殺し合いがあったりする。

連合赤軍の末路とダブってしまいます。

 

森恒夫

1973年元日、東京拘置所の独房で

獄中自殺(28歳没)

 

永田洋子

(死刑確定)

 2011年〈平成23年〉2月5日)

執行前に脳腫瘍のため東京拘置所で獄死

 

逮捕

 

こんな書籍あり

 

作者 鈴木邦男(2023年1月11日没)

 

右に敬遠され、

左に好かれる不思議な愛国者

 

 

ワタシはこの人、

好きだったんです。

 

 

日本のイルカ漁を批判した

アメリカ映画『ザ・コーヴ』

(日本では2010年公開)。

 

これを「反日映画」と非難して

映画館に押しかけた

ネトウヨの抗議行動に

「君たちがやっているのは

弱い者いじめじゃないか」と言って

割って入ったものの、

拡声器で顔を殴られて出血。

 

「警察官がいたので

殴った男を逮捕してくれるのかと思ったら、

これどうぞと言って

ティッシュをくれただけだった」

とのこと。

 

 

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[おまけ1]

 

新撰組粛清者一覧

 

 

[浪士組時代の粛清(文久三年)]

 

殿内義雄

三月二十六日に四条大橋で斬殺。

旅姿であったという。

 

家里次郎

大阪に出張に来ていた近藤らに捕まり、

切腹させられた。

その他、「殿内・家里派」と云われる

根岸友山・遠藤丈庵・神城仁之助

・鈴木長蔵・清水吾一・柏谷新五郎らは

離脱逃走している。

 

阿比類鋭三郎

四月六日に病死。

壬生寺に葬られている。

 

結成して二ヶ月たらずの間に、

殿内・家里派の全員が消えたことになり、

これは粛清と云うより、

方針の違いか派閥争いによるものと

考えられる。

 

 

[芹沢一派の粛清(文久三年)]

 

佐々木愛次郎

佐伯又三郎

八月に殺害。

佐々木は芹沢一派ではないが、

原因は佐々木と

恋仲になった娘・あぐりを、

芹沢が横取りするために

佐伯又三郎を使い殺害、

そして佐伯も口封じのため

芹沢らに殺害されたという。

そして、芹沢一派の粛清が続く。

これは近藤・土方らの独断でなく

会津藩の指示によるものと云われている。

 

新見錦(局長)

九月十三日切腹。

芹沢一派の粛清に先立ち、

乱交の数々をあげ、

詰め腹を切らせた。

しかし隊記録には

新見錦の切腹の記録はなく、

代わりに田中伊織の名で

死亡記事と墓もあることから

同一人ではないかと思われる。

 

芹沢鴨(筆頭局長)

九月十八日斬殺。

 

2004年の大河ドラマ『新選組!』では

佐藤浩市が演じた。

 

 

 

寝込みを襲われ、

愛人もろとも惨殺される

近藤が芹沢粛清を決断。

討手は土方、沖田総司ら

腹心の仲間4名で固めた。

 

忍装束は、先頭の討ち手、沖田

 

 

 

 

平山五郎(助勤)

九月十八日斬殺。

芹沢の市中乱暴の数々に、

預り役の会津藩の監督評判が

悪くなるのを恐れた

会津藩からの粛清指示により

近藤一派が暗殺。

平間重助は逃亡。

 

御倉伊勢武

楠小十郎

荒木田左馬之輔

九月二十六日斬殺。

彼ら三名は長州の間者として

処分されたというが、

これを芹沢鴨暗殺の犯人として

利用したとする、

司馬遼太郎氏の短編小説で

『新撰組血風録』「長州の間者」は

興味深い。

 

野口健司

十二月二十七日切腹。

芹沢の腹心であったが、

罪状は新撰組を名乗る偽隊士の罪を

着せたといわれている。

 

 

[内部組織を守る為の粛清]

 

 殿内家里派・芹沢派が消え、

近藤派一元体制となった新選組は、

元治元年六月五日の池田屋襲撃で名を上げ、

幕府や市民の絶大な信頼を

得るようにうなった。

隊員も増え、更に厳しい規律のもと、

組織を守るための粛清が行われた。

 

葛山武八郎

九月六日切腹。

永倉新八・原田左之助らとともに

近藤批判を会津藩へ訴えたことによる

組織を守る為の粛清と考えられる。

同調者の永倉・原田・斎藤一

・島田魁・尾関雅次郎らは

結成以来の古参であることから

謹慎だけの軽い処分としたが、

葛山は新しい入隊で、

隊内の反体制派を作らせない為の

見せしめによると考えられる。

 

山南敬助(総長)

慶応元年二月二十三日切腹。

 

2004年の大河ドラマ『新選組!』では

堺雅人が演じた。

 

その切腹のシーン

 

 

 

慶応元年三月十日、西本願寺屯所に移り、

同五月土方が江戸で

募集の五十三名が加わり、

粛清ますます厳しく、組織強化を計る。

局中法度といわれる法度が決められたのも

この頃ではないだろうか。

 

瀬山滝人

石川三郎

六月二十一日切腹。

婦女暴行の罪による。

 

佐野牧太郎

七月二十五日断首。

商人をゆすり、金策。

武士にあるまじき行いと判定され

切腹は許されなかった。

 

松原忠司

九月一日切腹傷の悪化による病死。

長州藩士の妻と不義密通をしたとして

切腹させられるも蘇生。

 

桜井勇之進

十二月十二日斬殺。

脱走罪。

 

 

[慶応二年]

 

河合耆三郎

二月十二日斬死。

公金五十両を横領(紛失)罪による。

 

小川信太郎

二月十八日切腹。

理由不明。

 

柴田彦三郎

六月二十三日切腹。

金策が露見して脱走、石で捕らえられ切腹。

 

 

[慶応三年]

 

田内知

一月十日切腹。

士道不覚悟(背後から斬られ、

相手に逃げられた)との理由。

 

 

三月二十日伊東甲子太郎、

御陵衛士として新選組から分離。

 

田中寅三

四月十五日切腹。

伊東と行動を共にするという理由で

脱走するが捕まり、屯所にて切腹。

伊東が脱退する時の新選組との約定で

御陵衛士への入隊を

拒絶されていたと云われる。

 

矢口健一郎

四月二十九日切腹。

田中寅三と同じ理由であったと云われる。

 

茨木司

佐野七五三之助

富川十郎

中村五郎

六月十四日切腹。

田中寅三と同じく

御陵衛士への入隊を図ろうとするが、

伊東が拒絶したため会津藩に出向き、

脱退の斡旋を請願するも聞き入れられず

同藩邸で切腹する。

一説では新選組が惨殺したという説もある。

 

 

六月十五日に不動堂村屯所に移る

 

武田観柳斎

六月二十二日斬殺。

伊東と行動を共にしようとするが拒絶され、

別派行動をとり、

薩摩藩に接近したともいわれるが不明。

司馬遼太郎氏の短編小説

『新撰組血風録』の「鴨川銭取橋」は

わかりやすい。

 

加藤羆

六月二十三日切腹。

武田観柳斎に同調。

観柳斎の遺体引取りにきた時に襲われ、

逃走中に切腹。

 

伊東甲子太郎

十一月十八日暗殺。

油小路木津屋橋あたりで暗殺

(油小路事件)。別頃にて述べる。

 

藤堂平助

毛内有之助

服部武雄

十一月十八日斬殺。

七条油小路に放置された

伊東甲子太郎の遺体を

引き取りにきたところを斬殺。

 

以上です

 

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[おまけ2]

 

連合赤軍

「リンチ殺人」

12名の犠牲者

 

①尾崎充男(革命左派 22歳)

岡山県出身

東京水産大学

1971年12月31日

 

②進藤隆三郎(赤軍派 21歳)

福島県出身

日仏学院

1972年1月1日

 

③小嶋和子(革命左派 22歳)

愛知県出身

市邨学園短大

1972年1月1日

 

④加藤能敬(革命左派 22歳)

愛知県出身

和光大学

1972年1月4日

 

⑤遠山美枝子(赤軍派 25歳)

横浜市出身

明治大学

1972年1月4日

 

発掘された

「全裸で埋められた遺体」の画像も

ありましたが(省略)

文藝春秋社Emma創刊号

(1985年6月10日)に掲載あり。

 

 

⑥行方正時(赤軍派 25歳)

滋賀県出身

岡山大学

1972年1月9日

 

発掘された遺体の画像も

ありましたが(省略)

文藝春秋社Emma創刊号

(1985年6月10日)に掲載あり。

 

⑦寺岡恒一(革命左派 24歳)

東京都出身

横浜国立大学

1972年1月17日

 

⑧山崎順(赤軍派 21歳)

東京都出身

早稲田大学

1972年1月19日

 

⑨山本順一(革命左派 28歳)

愛知県出身

北九州大学

1972年1月30日

 

⑩大槻節子(革命左派 23歳)

神奈川県出身

横浜国立大学

1972年1月30日

 

⑪金子みちよ(革命左派 24歳)と胎児

横浜市出身

横浜国立大学

1972年2月4日

 

⑫山田孝(赤軍派 27歳)

東京都出身

京都大学

1972年2月12日

 

 

2月17日 森、永田 逮捕

 

森恒夫

大阪市出身

大阪市立大学

 

永田洋子

東京都出身

共立薬科大学

 

 

 

 

2月19日

残党5名があさま山荘に

逃げ込み、立てこもる

[あさま山荘事件]

 

 

 

 

連合赤軍 壊滅

 

ただし、あさま山荘事件の

メンバーのひとり

坂東國男は、

 

 

1975年に日本赤軍による

クアラルンプール事件で

超法規的措置により釈放・国外脱出し

日本赤軍に参加。

国際指名手配中

 

 

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クアラルンプール事件

 

1975(昭和50)年8月4日、

日本赤軍がマレーシアの首都

クアラルンプールの米大使館などを襲撃、

米領事らを人質に拘留中の仲間の釈放を

日本政府に要求した。

翌日「超法規的措置」

釈放を認められた5人が

羽田空港で日航機に乗り込み出国。

 

「超法規的措置」だって。

今じゃ、考えられないよね。

 

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はい、今日はここまで

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございます。