勉強ができるぐらいしか自慢できることのなかったおっさん、40代。大学院未修了職歴就労Aのみ(職歴に入るのか?)の無職

これを踏まえるとたぶん今年は人生最後の年……。だれかに後押しされるのを待っているような状態ですよ……。

 

あけましておめでとうございます。

なにがめでたいのかわからんけど。

人生最後の正月、というか1月4日にもなれば正月も終わりか。

 

当たり前だけれども、人間、お金がないと生活していくことができない

今、私は、障害年金をいただいているが、それだけではゆとりのある生活をおくれない。今は親の家に居候しているからいいけど、自活するとなれば……。親が亡きあとって必ず来るものだから。

なら、働かなくてはならない。収入を得る手段。それには働く以外の方法もあるかもしれないけれど、働くのが凡人にはいちばん手っ取り早くかつ安定した方法である。

しかし、就労Aに不満があるならば、一般企業での障がい者雇用枠で探してみては。パソコン操作が希望なら、データパンチャーのアルバイトぐらいなら、時給安いのばかりでも、いくらでもあるのでは?ただし、一般に行くなら多少落とされたからといってへこたれないメンタルが必要。いくつもいくつも落とされてしまうだろうけど、へこたれずに次、次、でないとね。

また、就職後も周りとうまくやっていくにはメンタルの強さが必要。こっちがメンヘラだからって言われても一般ではそんなの知ったこっちゃない。ちゃんと仕事できないと従業員として使い物にならない。できるかな?

もう12月。今年は仕事を辞めた年であった。仕事といっても、就労継続支援A型の作業所、その利用者としての立場を退いたというだけなのだけれど。8月末日付での退職から3ヶ月が経った。そのあいだ、現状は変わらず、である。というか、就労Aの作業所の利用者としてしか社会経験のないまま、四十路を迎えてしまったのだ。まさに、人生詰んだ、である。


3年前の4月、某IT企業の就職面接に失敗した頃から自分に対する自信をすっかり失ってしまい、自分は人間の屑だとか思い込むようになった。同時に専門分野の勉強をする資格すらない社会の不具者であると思うようになった。まともに働くことができない社会の嫌われ者かつ負け組。生きていても何の価値ももたないゴミ。みじめな人生、さっさと終わらせたいと思うようになった。

誰のせいでもない、自分のせい。親の金で通っていたはずの大学に勝手に行かなくなった。退学したあとも働かずだらだらと過ごしていた。そういう生活を10年ほど続けてからのA型作業所でぬるま湯に浸かるかの職業生活。それに嫌気が差したという身勝手な理由から一般就労を希望。気がついたら四十手前だったくせに。いままでの怠惰な人生のツケが回ってきたのかな。
今さらながら専門分野の勉強をしていても過去への後悔や罪悪感に苛まれてしまう。もうダメだね。一社から断られただけで社会全体から拒絶されているような気がする。

こんな人間だけど、いっちょ前の人間らしく、自分の人生について、悩んでいるんだよ

さて、皆さん。巷でもあと一ヶ月でクリスマスだぞ、なんて言われていますが。

いちおう、それと関連したことで。僕、クリスチャンなんですよ。

意外でしたか?そうでもなかったかな?

 

クリスチャンになった経緯(いきさつ)というのも、あれやこれや、で。

話すとかなーり長くなるんですが。要は現代日本の資本主義経済にあって歓迎されているクリスマスの在り方とか、はたまた「聖夜」ならぬ「性夜」などとクリスマスイブが冒涜されているのを見て疑問に思ったからなんですね。はい、クリぼっち乙、でしょうかね。あれこれ理屈を立てずにクリスマスを楽しめないのか、この、と、言いたくなるかも知れません。

 

まぁ、いろいろあって。おかげさまで。もう洗礼を受けた立派なクリスチャンですよ。

人の思想や宗教にどうこうと因縁をつけるのは、少なくとも日本ではタブーですから。

 

あと、キリスト教では自死はもちろん否定されていますが、それはほかのどの宗教でも、たいていはそうだと思いますよ。キリスト教だけじゃないと思います。

いずれ、自死とその是非とかその倫理などについて語ろうかな、と思います。クリスチャンという観点からではなく、僕というひとりの人間の所見として、ですよ。