五術の中で「ト」と「命」は非常に占術的性格がちがうものです。このちがいを十分に知っていないと、命・トの使いわけができません。
もちろん、占事と占的が命とトではちがうのは当然ですが、そうした表面的なものではなく、占術の本質としてのちがいがあるという点です。
第一に、占事占的における吉凶と良悪の定義が、命と卜では根本的にちがうという点です。
第二に、占事占的における難易と苦楽の度合いが、命でははっきりあらわれますが、トではまったくあらわれないという点です。
第三に、命は、個人差を中心に考えられる占術ですが、トは一般的な平均の感覚で占術をとらえているという点です。
以上の三点が、「命」と「ト」における大きなちがいです。これらは非常に重要な事なのですが、案外、見すごされています。
第一の定義のちがいは、第二と第三に関連があります。つまり占的占事の度合いがトでははっきりしない上に、第三の一般的な感覚から吉凶良悪をとらえるため、命とは非常にちがってくるのです。
例えば、求財占の命の場合、その人の生活環境に応じた財の吉凶良悪が出ますが、トはそうした事とはまったく関係なく求財占における吉凶良悪があらわれるのが卜です。
一千万の投資をして、一千五十万の収入を得る人に、財富の命とは絶対に出ません。この人は一千万の財を動かす生活環境があり、それによって利(財運)があるとしたら、少なくとも一千三百万以上の収入がある場合に、初めて財富の命と出るのです。
ところがトでは、一千万投資した仕事で、一千五十万の収入があっても、利あり、と出るのが普通です。(極端な例)

つまり、定義的にいえば、一円でも利があれば卜では吉、一円の利であれば命では凶、という事になります。そして第二の度合い、つまり利益の度合い、幅がトでは出ないという事です。さらに第三の個人を基本にしているから一千万の投資可能の人に五十万の利では吉とはいわないし、一般的、平均的金銭の感覚から五十万をいえば、吉であり利であるとするのです。
以上のような事を具体的に実占上はどう使いわけるか、といいますと、占的占事のいかんを問わず、次のようになります。

1、トをみる場合、占的占事の吉凶・良悪を、占前に具体的に設定し、こまかくその吉凶良悪の定義づけをして、それが可能か不可能かをトに問うことです。五行易や六壬で、占的を細かくしぼり、時間設定をきちんとしなければならない、というのは、ここらあたりを指すのです。同じ卜でも遁甲方位においては、その吉凶良悪の応期をきちんとすべきです。
遁甲において、応期に出た吉兆凶兆以外は、偶発作用である、として切り捨てるぐらいの見識は持っていてほしいものです。
 

2、命の場合、占的占事の吉凶良悪は、定義と同時に高度の常識性が要求されます。さらにその人の生活環境と命の関係、命の定義とその人の現状との関係、を十分に見きわめるべきです。
例えば、富命でなくても、開業医の子息は、一般人の富命と同じかそれ以上の富命的生活を送っています。開業医の子息という生活環境と命、次に命における財とは自己が稼ぎ出すものをいう、という命の定義と医師の子供という現状、― をみないと、現代日本における医師の子息の命理判断は、狂ってしまいます。
貧命の医師の子息がたくさんいますが、その現状は豪勢をきわめたもので、今回ここで説いた点を頭に入れておかないと誤断になります。
また、土地などの売買による一時的な財富の人なども前述の医師の子息と同じで、不適中となります。

3、トの場合、占的占事によってトの占術の理論法則を、前述の三点を参考にして設定しなおさなければなりません。
占的占時の吉なり凶なりの条件(状態というべきか?)とトの占術の吉凶の条件が本当に一致しているか、どうかということです。

吉凶はたんに二者択一のようにみえても、その確率が極端にちがう場合があります。例えば、商売が繁昌するのを吉、繁昌しないのを凶、受験に受かるのが吉、不合格が凶、どちらも1/2ですが、その条件の度合いは大変にちがいます。
つまり、入学試験の場合は吉の条件(占術の理論、法則)を厳重にしぼって、すこしの凶もないのを吉としなればなりませんし、商売繁昌に吉は、吉と凶の条件をくらべて、結果的に吉になっていればよいということになります。
五行易の原則に、吉と凶の条件は、寡は衆に敵せず、というのがあり、吉なり凶なりの条件は多いほうのを少いほうより用いる、その判断の結論は衆である、という意です。
しかし、これを用いられるのは前述の三点を十分にのみこんだ人のみが使えるのであって、すべての占的占事に用いることはできません。
商売の吉凶いかんの占には用いられますが、合格いかんには用いられません。身体安否占には、この吉の条件と凶の条件の多少できめる方法は用いられますが、飛行機が落ちるか?という安否占には絶対に用いられません。
ジャンボ機は落ちない、という設定のもとに作られ、飛行しているのですから、それが落ちる凶条件というものは、たんに吉条件と凶条件の多少ぐらいできめられるものではないのです。
ようするに、占的占事の吉なり凶なりのおこりうる条件と、トの占術の吉凶条件が一致、または似かよっていなければならないということでしょう。
象意のことになりますが、トには難易と苦楽を断ずる度あいが非常に不明瞭です。占卜の六壬と断易は、吉の条件、凶の条件の多少で結論を出しますから、その多少で難易なり苦楽なりは判断できないという事はすぐ了解できることと思います。
ところが命になりますと、象意としての難易や苦楽が実に明瞭にでるように設定されています。特に子平などは、苦命楽命・横財・直財・楽財・苦財などとわけられるという特徴もあります。
以上、命とトの本質的なちがいに留意して五術を応用するのが正しい占術究明といえるでしょう。