卒業式が終わった。

いざその時が来てみると、そんなに好きでもなかったはずの学校が名残惜しい、仲間と別れ難い、もう少しだけここに居たかったなどとやたらと感傷がやってくるから不思議だ。

 

思い思いに最後にスマホを向けあう。

もう、この皆で集うことなどクラス会ぐらいしかないのだろうと寂しくなる。

そして、どうしようもない後悔の念。

 

「明日、車に乗せてやるよ」

そろそろ皆が返りは陣た頃になって、光士郎が寄って来るとこそっと耳打ちしてきた。ラインでも寄越せばいいものを、にやっと笑って、いいことあるぞとでもいう風に僕の肩を軽くたたいた。

 

 ※

 

(蜜葉じゃん!)

光士郎が借りだしてきたオヤジさんのシーマの助手席に乗り込んで驚いた。後部シートに河合蜜葉がちょこんと座って、こちらをみて小さく手を振っていた。

 

「えっ? 河合さん?」

かけた声が少々裏返り気味になったのは致し方あるまい。何せ、昨日の後悔の理由である。

 

「おはよう、信濃クン。南井クンが誘ってくれたんだ」

そう言って、にこっと微笑む。

 

くそっ、なんて可愛いんだ。

オヤジさんが壇蜜の大ファンで、周囲の大反対を押し切って蜜の字を入れ込んだだけあってなかなかえっちな肢体をしている蜜葉は、だがしかし、この邪気のない笑顔こそが最強だった。

 

「そっか、よろしく」

などと返事しながら座席に座りドアを閉める。

「聞いてないぞ」

顔をみずに、ぼそっと光士郎に非難の声を上げた。蜜葉が来ることを知っていたら、もう少しマシな格好をしてきたのに。

 

「言ってないからな、まあ、ということで全員揃った。じゃ、行くか」

光士郎がえらそうににやっと笑って、車を発進させる。

 

「おーっ」

後部席で蜜葉が小さくこぶしを上げた。

(くっそ、かわえー)

シートベルトを締めながらちょいと覗き見すると、蜜葉と目が合う。にこっと微笑まれて慌てて前を向いた。

 

(しかし、光士郎の奴、いったい……)

僕が蜜葉に気があったことを知っていて、何か思惑があって呼び出したんだろうか。

 

というか、何で蜜葉を呼び出せる?

そんな話を聞いたことがなかったが、二人は出来ちゃってるのか?

だが、それなら、わざわざ邪魔者をデートに呼び出すか?

もしかして、親友のために彼女を紹介してやろうと……

 

ぐるぐると頭の中で仮想を立ててはぶち壊す。どうも、蜜葉がここにいるってことも、光士郎の思惑も、ぴたっとピースが嵌らない。

光士郎の問いかけに生返事を返しながら、ことあるごとに蜜葉に視線を奪われながら、もどかしい時間が過ぎていった。

 

 ※

 

「ちょっと休憩しようか」

光士郎がそう言って、ウインカーを灯したのは、なんとも中途半端な場所にある喫茶店だった。

一応の目的地の観光スポットまでなら、もう15分も車を走らせれば辿りつく。

 

「もうちょい……」

「そうね!」

もう少しだから寄り道することもない、と言いかけた俺の声に被せるように蜜葉が声をあげる。

なぜか、ずっと浮かべてきた笑顔が消えていた。

 

 ※

 

喫茶店に入り、そそくさとトイレへ消える蜜葉の後姿を見て、ようやく理由が分かった。

 

「よく、分かったな?」

憮然と、コーヒーに砂糖とミルクを放り込む。

 

「まあな、ミラーで見てたから」

生意気にも、光士郎はブラックのままコーヒーを啜った。

 

「……どういうつもりだ」

蜜葉が帰ってきてからでは聞けない。思い切って疑問をぶつける。

 

「一応、仁義は切っておこうかなんてな。お前、惚れてるだろ?」

「……まだ、付き合ってはないのか?」

「まだ……だな、まあ、すぐにそうなるが」

「言ってろ、で、俺は邪魔者になってもいいのか?」

「だから、そのつもりだって。後で恨まれても困るしな」

「調子に乗ってろよ……」

 

「危なかったぁ、南井クンありがとー」

男どものぼそぼそと続く内緒話を帰ってきた女神がぶった切り、光士郎に礼を言った。

「いやぁ、なかなか言いづらくって」

あっけらかんと続ける。

だが、車内では、言えなかったんだな……

 

 ※

 

野球ならバックスクリーンへ先頭打者ホームランを喰らった投手の、サッカーならドリブルで遮る間もなく横をすり抜けられたDFの、ラグビーならタックルに行ったのに敵FWにハンドオフでふき飛ばされたBKの気分だった。

 

挽回してやる!

と切実な口惜しさはあるのだが、心のどこかで敵の技量やサイズを認めてしまっていた。

 

飲んでいたコーヒーがやたら甘ったるく感じられたのを、今でも思い出す。

果たして、今なら、気づけたのだろうか?

 

 ※

 

カラン、と入口のベルが鳴った。

 

「待った?」

あの頃より、少しだけ大人びた蜜葉が僕を探し出す。

 

「全然」

あの頃より少しはマシになったに違いない僕は、30分も待ったことはおくびにも出さず、ゆっくりとブラックコーヒーを口に運んだ。