「凄い部屋ね」
部屋を見回すと少女はそう言った。
 

能代が少女を連れ込んだのはラブホテルの特別室で、本来このラブホのオーナーが個人で使うことを前提に設計されているだけあって、そのへんのちょっとしたホテルのスィートなどよりもよほど豪華だった。
 

もっとも能代がここを利用するのは、能代に借金してしまうような能無しの親から奪ってきたまだ何も知らない娘を色地獄に落すときに使うためで、防音が確かであること、備え付けのハンディカメラが使い放題であることが重要だった。
 

「ああ、ここのオーナーの特別室だ」
車の中では我慢していたせいかいつになく性欲が昂まっていた。少女のよくくびれたウエストの辺りに後ろから手を伸ばす。
 

「ちょっと」
つけた香水の匂いなのか、少女の匂いなのか分かりかねるなんともいい匂いが能代の鼻をついて更に欲情をかき立てる。
「ちゃんとシャワー浴びてきて」
少女がいやいやするように首を振ってそう言った。

 

(おお、たまんねえ)
女を目の前にしながらじりじりと我慢しているのは自分でも信じがたかったが、女を抱くのにこんなに昂ぶることなど久しぶりだった。

いつもは、非道を楽しみながらもどこか冷めた部分が残っていて、心底のめりこんだりはしない。

だが、今日は体中の血が滾るようだった。冷たいシャワーを全身に浴びながら、久々に今にも爆発しそうな感覚を能代は感じていた。

 

 ※

 

「何だ?」
バスルームを出ると、部屋の電気が消えていた。
 

――シュッ
突然のことに一瞬硬直した能代が突っ立っていると、つい先ほどどこかで聞いたような音がして暗闇に小さな炎が揺らめいた。
 

「何をしているの? おいでなさいな」
マッチの灯りに照らされた少女は全裸だった。

赤い炎に照らされた白い肢体が艶美な曲線を描いて、能代が声もなく見ているうちに幻のように闇に消えた。
 

――シュッ
マッチの炎が燃え尽きただけだった。

能代が動けないでいるうちに再び闇に炎が点る。
 

「どうしたの? 早く来て」
先ほどよりも炎は少し高い位置にあって、照らし出された紅い唇が能代を呼んだ。
ごくり――生唾を飲み込んで能代はその声に従う。股間が痛いほど膨張して天に切っ先を向けていた。
 

ゆっくりと近づき、マッチの灯りの中の女に手を伸ばしたところで、また火は消えた。

 

 ※

 

空が白みはじめた頃、ラブホテルを全身黒づくめの女性が歩いて出てきた。

きょろきょろと辺りを見回した後、少し離れた場所に停まっていた国産のセダンに近づいて、そのドアを拳で叩く。
 

「おう、終わったか」
セダンの窓が降りてまだ若い男が眠そうな顔で言って、オートロックを解除した。
 

「終わったかじゃないわよ、寝てたわね」
女が後部ドアを開いて車に乗り込みながら言う。
 

「だって、三下の仕事って疲れるんだぜ」
男は女が乗り込んだのを確認してからエンジンをかけた。
能代とマサにアキラと呼ばれていた男が、1週間ほど潜り込んでいた暴力金融の人使いの荒さとそのろくでもない仕事内容に辟易としていたのは事実だった。
 

「万一のときのフォローはどうするつもりよ」
「だってお前失敗なんかしたことないじゃん。退屈なんだぜ、ただ待っているのって。しかも、声だけはやたらとエロイし。あんなん夜通し聞いていられるかよ」
 

「冗談じゃないわ。今まで上手くいったからって、次も上手くいくなんて決まっていないんだからね」
そう、女が唇を尖らせる。
 

「分かった、分かった」
車を出しながら男が苦笑交じりに謝った。

 

「で?」
バックミラー越しに男の真剣な視線が女を捉えた。
 

「勿論、私がしくじる訳ないでしょう」
先ほどの言葉とは裏腹に絶対の自信を女は口にした。
 

「愉しむだけ愉しませてやった後、きっちりと彼女に復讐してもらったわよ」
「殺した?」
「言いがかりね。私は何にもしていないわよ。あいつは私の見せてやった幻を狂ったように抱いて、衰弱して、最後に変わり果てた彼女の顔を見て心臓が耐え切れなかっただけよ」
警察がどう調べても腹上死としか処理しようがないはずだった。

あの男は最後に首をくくった変わり果てた彼女の顔をみたはずだが、それがあの男の心臓に止めを刺したのかどうかは実のところ女にも分からない。
 

「見るからに精力の塊みたいなヤツだったけどなあ」
「ただのケダモノよ」
あの男は彼女の名前すら覚えていなかった。パクパクとその口は動いたがついに彼女の名を言うことはなかった。
 

何も知らない高校生だった彼女を親の借金をカタに毒牙にかけて、死ぬよりもずっと辛い1年間を過ごさせた男。

彼女はもう自分と同じ苦しみを味わう娘が出ないようにと、懲らしめるだけで殺しまでは要求していなかったが、女は許すことが出来なかった。

 

「しかし、なんでマッチ売りの少女だったんだ?」
「闇と炎があれば大抵の人間は簡単に術にかかってくれるのよ」
本当は、あんな小芝居を打つまでもなかった。運転している男に一服盛らせて、オフィスで術にかけてもよかった。

 

ただ――
(マッチ売りの少女ってお話あるでしょ。私あのお話大好きなんです。おかしいでしょ、この年になって。でも、辛くて辛くて堪らない時に、あのお話を思い出しながらマッチを擦ると本当に見えるんですよ。ほんの少しの間だけ、幸せな人生を送っている私が)


彼女が依頼に来た時、女は彼女と何気なく世間話をした。

何か楽しいことある? と聞いた女に彼女がしたのはブランドとか旅行の話ではなく、そんな寂しい話だった。
彼女を生き地獄に縛り付けてきたあの男が、この世からいなくなるなどというつまらない夢ではあったが、マッチで彼女の願いを叶えてやりたかったのだ。

 

「まあ、サキュバスの本領発揮なシチュエーションではあるわな」
サキュバス――夢魔、炎を操り人を容易に幻の世界に堕とす女を仲間内ではそう呼んでいた。
 

「知らないわよ、そんな名前。それより、彼女のお墓に寄ってもらえる」
男と女の属するグループに依頼をした後、彼女は自ら命を絶った。

彼女に不幸を押し付けた父親が死んでしまって、マッチを擦る時間しか歓びのなかった世界に彼女を繋ぎとめていたものが、何ひとつ無くなってしまったのだ。

 

<便利屋>が彼女が能代の目を盗んで必死で貯めた金の一部を使って、彼女の墓を用意した。

それは依頼料であったが、そのことに文句をつける者はいなかった。
 

「いいけど、何で?」
「まっ、つまらない感傷なんだけどね。あの男が買いきれなかった分よ」
 

そう言って女が手にしたマッチ箱を揺らすと、からからと残ったマッチが音をたてた。
「せめてこれでいい夢を、ね」