神様を怒らせてしまったら怖いよって話。

 

アラクネー(人間)は機織と刺繍の名人だった。
ニュムペー達(たいていは遊んでいるか人間の男にちょっかいを出している)が森や泉を抜け出してきて彼女が機織や刺繍をする様に見とれていたというから、出来上がりの見事さだけでなく匠として技を奮うその姿の美しさも相当だったようだ。
 

だれが言ったものか、その美しさ故にアテーナー(技術の女神でもある)その人に手ほどきを受けたのではという噂が広まるようになった。

しかし、当のアラクネーは自分の技に自信を持っていたのか、単にアテーナーが好きじゃなかったのか、女神の弟子だと言われることを厭っていた。

 

まあ、自分が磨いた技を他人に教えられたと言われるのが気に入らなかったのだろうが、このあたりアラクネーもプライドは高い。
「アテーナーに私とその技を競わせてみるといいわ。もしもそれで私が負けたら、どんな報いでも受けましょう」
と、技術の女神の面目を丸潰しにするようなことを言ってしまう。
 

一応、アテーナーは老婆に化けてアラクネー忠告をする。
「同じ人間だったら好きなように競争なさるがよい。しかし、女神様と争ったりしてはなりませぬ。赦しをこいなさい、慈悲深き女神様は赦してくださるでしょう」
しかし、これがかえってアラクネーのプライドを燃え上がらせてしまった。
「一歩だって後にひくものか。あんな女神なんか少しもこわくないんだから、やれるもんなら技を試させておやりよ」
と、完全に喧嘩を売ってしまった。
 

 

 

で、正体を顕わしたアテーナーとの機織対決が始まる。

 

テュルス染めの緋色の糸が他のさまざまな色合いの糸と対照をなして引き立ちます。それを引き立てている他の色も実に巧みにその隣り合わせた色へと変わってゆきます。そのため、その色がふれあうところは人の目をあざむくばかりです。まるで長い大きな橋が大空を染めるあの虹のように、太陽の光が俄雨に反射してできるときのあの虹のように、互いに色のふれあうところは同じ色に見えても、そこから少し離れてみると全く異なった色なのです。(抜粋) 

 

てな感じに、両者譲らぬ技量を発揮して、
 アテーナーの作品
  神々とあえて競争するような不遜な人間たちに対する神々の不興を示す図柄
 アラクネーの作品
  神々の失敗や間違いをこれみよがしに示す図柄

 

の織物を完成させるのだが、アラクネーの織物に神への不敬を見たアテーナーはそれを彼女への侮辱と感じ激しい憤りのもとアラクネーの織物をズタズタに引き裂いてしまう。

ただ、この時、アテーナーはアラクネーの技に感嘆せずにはいられませんでした、と記述があるから、アラクネーは技術の女神に匹敵する大口を叩くだけの技量を持っていたようだ。

 

ここから、憐れな展開。
アテーナーと互角の技量を発揮したにも拘らず、アラクネーは自らの芸術といえる作品をスタズタにされた挙句、
 

それからアラクネーの額に手をふれて彼女の罪と恥とを悟らせました。
 

と、強制洗脳みたいな技をくらってしまう。そして、それに耐えられず首をくくってしまうのだ。
 

うーん、ちょっとどころかかなり憐れな最後である。
ここで、アテーナーは綱に垂れている彼女の姿を見て不憫に思うのだが、更に、え? ほんとに不憫に思っているのか? という仕打ちにでる。

 

「生きかえりなさい。罪深い女よ、―そしてこの教訓の思い出をいつまでも持ち続けるように、おまえもそしておまえの子孫のものたちも、永遠にぶらさがりつづけるがよい」そう言って女神はアラクネーの体にとりかぶとの液をふりかけました。

 

そして憐れなアラクネーは子々孫々まで蜘蛛にかえられてしまう。
いやっ、とりかぶとって、蜘蛛って、それは不憫に思ったんじゃなくて、殺すぐらいじゃ飽き足らないほど怒り心頭だったってことでわ……


 

※アテーナー ゼウスの頭から、成人した姿で、しかも完全武装した姿で飛び出してきた。知恵の女神とよばれるが、他にも実用的・装飾的な技術も司った。

また戦争の神でもあるが、防衛的な戦いのみを支援し、暴力や流血を好むアレース(戦いの神)とは一応の性格分けがされている。

アテーナイ(アテネ)はポセイドーンとの守護神争奪戦に勝ったアテーナーに因んで名づけられたとされている。

 

※アテーナーを怒らせたアラクネーの意匠 
レーダー(アポローンとアルテミスの母)が白鳥(ゼウス)を抱きしめている図/
父親によって閉じ込められた青銅の塔の中のダナエー(ゼウスが黄金の雨に身を変えて彼女の元に忍び込んだ場面)/牡牛に化けたゼウスによって騙されたエウロペー
 

って、ゼウスのスケベは人間界に全て筒抜けなのか……
まあ、アテーナーは単性生殖っぽいが一応ゼウスの娘だから怒るのもしゃーないか