自信が服を着たようなヤツ――

会社で、男はそう評されていた。

傲岸不遜を絵に描いたような態度で仕事をこなし、同僚であれ上役であれ、自分の意に沿わない相手には一切の容赦がなかった。

そして、男はその自信に見合うだけの飛びぬけた能力を有しており、ついには並み居るライバル達を押しのけて、何の縁故もないのに40を前にして役職こそつかなかったが取締役に抜擢された。

 

(まあ、服を着ていなくても、自信の塊なんだけどね……)

いつも、会うとホテルへと直行だった。

食事もイベントもプレゼントも何もなし。

目的は性欲を吐き出すためのわたしの身体だけであり、ホテルへ連れ込むとほとんど口を聞くこともなく男はわたしを貪った。

 

男はわたしに快楽を与えるマシーンであり、仕事と同じようにパーフェクトにそれをこなしていく。

何の情熱もないのにやたらと的確に急所を突いてくる愛撫であっという間に燃え上がらされる。ベッドの上でのしかかられ激しくあえがされたかと思えば、四つんばいにされて突っ張った手がこらえきれずに落ちるまで後ろから突かれる。

バスルームでシャワーを浴びながら立ったまま狂わされたこともある。

男はわたしをリードし、わたしに何度も何度も絶頂の声を上げさせてから、ようやく彼自身の欲望を吐き出すのが常だった。

 

本当はもっと普通に愛して欲しかったが、随分と前に諦めてしまった。

わたしは彼のダッチワイフであり、彼はわたしのバイブレーターだ。一度使ってしまったら止められないほど性能のよい玩具、そう割り切って付き合う以外に男を繋ぎとめておく術がわたしにはなかった。

 

 ※

 

「……春な忘れそ」

いつものように散々逝かされて、わたしはベッドの上でまだ荒らく息をついているところだった。

 

「えっ?」

いつもは、さっさと身支度を整えて帰ってしまう男が、ベッドの傍らに立ってわたしを見下ろしていた。

「……いや、何でもない」

珍しく、男が自分の方から視線を外す。

 

「えっ……」

そんな男を見たことがなかったので、わたしの方がうろたえてしまう。

「じゃぁな」

そう小声で言って部屋から出て行く後姿は、自信を失くした者の背をしていた。

 

 ※

 

突然の人事異動だった。

 

< 福岡流通事業部事業部長を命ず。 >

男の名前の後ろに記されたのは、取締役が担うべき役職ではあったが、これから上を目指すものが得るべき椅子ではなくて、消えていくものが最後に与えられる名誉職とみなされているポストだった。

 

「ほら、この前のあれ、やっぱり責任とらされちゃったみたいね」

訳知り顔にそう解説してくれたのは、秘書室にいる有希子だった。

どうやら、男の立ち上げたプロジェクトのひとつが軌道に乗ることなく頓挫した責任を取らされることとなったようだった。

 

「本当は専務がダメにしちゃったんだけどさ、誰かが責任取らなきゃいけないってワケ。出る杭はついに打たれちゃったか、あーぁ、性格は最悪だけど、いい男だったのになぁ、残念よね……」

専務は創業者一族の期待の星だった。

決して瑕をつけてはいけない人物。会社は、男の能力よりも、未来の社長候補を護ることを優先したのだった。

 

 ※

 

満開の立派な梅の花を男は見上げていた。

 

「もの思いに耽るとか、らしくないですよ」

そう後ろから声をかけると、最後に見たときのままに自信を失くしている背がびくっと揺れて、それから男が振り返った。

 

「お久しぶりです」

男に近寄り、腕を絡めとりながら、少し高い位置にある男の顔を見上げると、困ったような顔をした。

 

「行きましょうか」

男の困惑を楽しみながら、その手を引き歩き始める。

少し躊躇ったものの、男は黙ってわたしに手を引かれるままに後に続いて歩きだした。

 

 ※

 

「俺は……」

ホテルの一室に連れ込んで、何か言いかけた男の言葉をキスで封じる。

激しく舌を絡めるうちに、ようやく男の舌がわたしを責め返し始めた。

 

口を離し、とん、と体を突き放してやる。

不意に押されて、どさっと、音を立て、男は無抵抗にベッドに倒れこんだ。

 

「何を……」

有無を言わせず、ズボンのベルトを緩め、チャックを引き下ろし、パンツの中で半端に大きくなっているものを引きずり出した。

少し匂いのきついそれに、構わず舌を絡めていく。

「おい……」

男のそれはわたしの舌に反応してすぐに逞しく起立する。愛おしいそれを、わたしは深く飲みこんだ。

 

いつの間にか、男の手が耳のあたりにかけられてきた。わたしに舐めさせるときには、そうやって動きをコントロールするが常だった。

でも、今日のわたしはその手に随わない。激しく音を立てながら、吸い込み、吐き出し、舌を絡め、刺激を与え続けた。

 

「うっ……」

男が小さな声を漏らし、同時にわたしの口の中に、おそらくは最後にわたしに吐き出してからずっと溜められていたはずの濃い液体を吐き出した。

 

精を吐き出して、少し勢いの弱まった怒張を唇で愛撫し続ける。

それ程待つまでもなく、それは硬直を取り戻した。

 

立ち上がり、自分でも驚くほどの手早さでスカートとパンストとパンティーを脱ぎ捨てた。

男が上体だけを起こし、ベッドから膝から下の脚だけをぶらつかせながら唖然と見守る中、下半身だけ丸出しのわたしはベッドに登り男を跨いだ。

 

「おい……」

上体を起こしてこちらを見ていた男の顔を、股で挟むように押し倒す。

内心、火が出るように恥ずかしかったが、男の戸惑いも自分の羞恥心も全部無視して、熱く火照り潤み始めている秘所を男の口に押し付けた。

 

最初、何か抗議するようにただ口を動かしていた男は、諦めたように唇と舌を使い始め、それから手が後ろから伸びてくると、ぴんと張りつめた突起を弄り始めた。

男の舌が敏感な急所を探り当て、男の指が敏感な突起を絶妙のリズムで震わせる。

 

気がつくと、いつの間にかわたしはベッドに仰向けにされていて、覆い被さった男の顔がすぐそこにあった。

「……愛してる」

その言葉とすぐ後に突き入れられたものと、どちらにより感じさせられたのか分からない。

 

わたしの主導権はあっけなく奪い去られ、男がいつものように、それでいて、いつもよりこころなしか優しく、男のリズムで動き始める。

ただ歓びだけを感じながら、わたしは少しだけ自信を取り戻したらしい男を受け入れた。

 

 ※

 

ひとつになった濃密な時間のあと、どこへもいかずわたしを抱いたままの男の体温を感じていられる時間は、幸せというものはこういうものかと思わせてくれるに足るものだった。

 

「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

なぜとはなく口にしていた。

わたしをここへと連れてくることになった和歌。

「聴こえてたのか」

後ろから男の声が尋ねる。

 

「最後のとこだけね」

後ろから抱きかかえている男の手をどけ、向かい合う。

「ねぇ、わたしは飛梅になれたかな?」

待ち合わせの天満宮で男が見上げていたのは、平安の頃、都から追いやられた菅原道真を慕って京から福岡の地に飛んできたという伝説の梅の木だった。

 

「ああ、また会えてとても嬉しい」

穏やかな声で男はそう言った。

 

「きっと、戻れるよ」

わたしは飛梅のようになりたくて、福岡までやってきた訳ではない。

「えっ?」

訝しそうに男が聞く。

「諦める必要なんかない。あなたは偉そうにしてるぐらいがちょうどいいの」

そう、道真のように追いやられ、後悔を残したまま地方で朽ち果てるような人生を男に送って欲しくなどない。

 

「だけど……」

今回の更迭劇がよほど応えているのか、先ほど雄としての自信を取り戻したばかりの男は口篭る。

「大丈夫、いつか、必ず帰れるよ」

わたしは誰より男を信じている。

傲岸不遜なまでのあの自信は絶対に贋物なんかではない。

 

「それまで一緒にいてあげる」

男の背に腕を伸ばし力一杯抱きしめる。

 

仕事の上で男の手助けになれるような力はわたしにはない。

でも、一緒にいることぐらいは出来る。

少し前までなら、そんなことが男の力になるとは思えなかったが、わたしを飛梅に見立ててくれた今なら、助けになるのではないかと思いたかった。

 

「……そうだな」

男は視線を切ることなく長い間わたしを見つめた。

それからそうぽつりと言うと、見たことのないような優しい目になって、わたしの顎に手をあて引寄せると、そっとキスを寄越した。

 

「ねぇ、もぅ一回、言って」

長いキスの後で、そう頼んでみる。

 

「何を?」

男はとぼけたが、わたしが何を言って欲しがっているのかはわかっているはずだった。

 

「愛してるって、言え!」

わたしはくすりと笑い声をあげると、そう男に命じた。