晴れ渡った高い空の下、涼やかな風に身を任せ大空を翔け巡る。

 

山麓にかかった低い雲を抜け、大きく空に8の字を描き終えると、今度はどれほどの高みをめざせるかに挑戦する。身体は思ったままに反応して風を捉えると高揚感と共にたちまち空を翔け昇る。
螺旋を描きながらひたすら昇っていく。いくら昇っても、視線の先にはどこまでも青い空が続いていた。

 

随分昇って、満足して下降に移る。風を裂く翼を存分に楽しみながらゆっくりと高度を落とす。
遠くに湖が見えた。幾度か羽ばたいて風を探し下降気流に乗って進路を湖にとった。
最初、小さな水溜りだった湖がどんどん大きくなって、そのきらめく湖面に向けて更に速度を上げる。どきどきと跳ね回る心音を感じながら、尚も降下を続けた。

 

(まだ……もう少し。まだ、まだ……今っ!)
ぎりぎりのタイミングで一つ羽ばたくと、揚力が体を捉えて僅かに角度を修正する。湖面すれすれを滑空すると、漣を引き連れてしばらく水面に映る自分の影を楽しんだ。

 

何度か羽ばたいて上昇気流を捉まえて、再び高度を取った。
むくむくと湧き上がってきた狩猟本能に任せて、高空から下方の森を見渡す。

 

(いた!)
何度か円を描くうちにようやく見つけた。
梢をかすめるように飛ぶ何匹かの小さな影をこの鋭い目は見逃さない。
ゆっくりと高度を落としながら徐々に旋回する半径を縮めていく。

 

風を探す。
一気に獲物の元まで運んでくれる下向きの風。
(……あった!)
見つけると同時に身体が動いて、僅かに羽ばたいた。たちまち、ぐんと体が引っ張られるような加速がかかり、あっという間に獲物との距離が縮まっていく。
獲物はチドリだった。何匹かいたチドリが、上空から降ってきた災いに気づいて四方に散る。
(遅い!)
逃げ出した一匹に悠々と追いついて、強靭な脚で一撃を浴びせた。
跳ね飛ばされ羽ばたきを止めた獲物を、更に追ってしっかりと鉤爪で掴みあげた。
狩を成功させた歓びが爆発して体を駆け巡る。

 

(……!)
さて、獲物を捕らえてはみたものの、どうしたものかと滑空しながら考えている最中だった。
突然影が上空から降って来た。
(ヤバイ!)
直感が告げるままに獲物を離すと、すぐそこにある梢の只中に落ちるように突っ込んだ。
避けきれずに何本かの枝に羽をかすめてしまう。
ほんの僅か下方に逃れた先を猛スピードで通り過ぎていった影が羽ばたいて上空に戻っていく。
鷲だった。こちらよりもふた周りほども大きい。
滅多に飛んでいる他の鳥にちょっかいをかけることなどないはずなのだが、悠然と上空に弧を描いて待ち構えている。
あの鋭い鉤爪を引っ掛けられたら終わりに違いなかった。梢の上に出てまた狙われないように必死で飛ぶ。はやぶさである自分の武器は速度だ。悠然と宙に舞うことの出来る小回りの効く翼を持つ鷲との接近戦は歩が悪すぎる。上昇気流はないか、必死に探した。一旦、天空に舞い上がることさえ出来れば……

 

―― パン
乾いた音がどこかでした。
突然、翼が風を受け切れなくなって、まっさかさまに落下する。
(……何が起こった?)
そこで意識は暗転して、堕ちた。

 

 *

 

「……!」
目覚めると、半透明のフードの付いたベッドの上にいた。起き上がろうとすると、耳につけられた何かが引っ張られて、痛んだ。
「あっ、まだ起き上がらないで下さい。今、装置をはずしますから」
柔らかな声がして、白衣を着た女性が耳元で何やら手を動かした。
「はい、もういいですよ」
声に従い、体を起こす。
「いかがでしたか?」
にっこりと微笑みかけられた。
「ああ……」
そうだった。
さっきのは、今外された装置の見せていた幻影だった。
とある有名メーカーから届いたメールに、「バーチャル世界を体験してみませんか?」とモニター募集が告知されており、評判の高いゲームデザイナーの名が開発者の一人としてあったため応募してみたのだった。
「楽しかったですよ、とても……」
確かに素晴らしい出来だった。空を舞っているときの開放感といい、獲物を捕らえた際の高揚感といい、とてもバーチャルとは思えなかった。
ただ、最後のはいったい何だったのだろう?

 

「おっと、残念、撃たれちゃったんですね」
装置を外してくれた女性とは別に、寝ていたベットの脇にあるモニターのところにやってきていたやはり白衣の男性が言った。
「撃たれた?」
「ええ、上手く鷲からは逃げたみたいですが、残念でした」

 

男は今ひとつ心晴れないといった表情で部屋を後にした。

 

 ※

 

「本当にこんなので効果あるんですかね?」
後片付けをしながら白衣の女性が尋ねた。
「ああ、実証済みだ」
苦笑いを浮かべながら白衣の男が返事を返す。

 

白衣の男は、初めて翔んだ日のことを思い出す。先ほど出て行った男と同じように、彼もバーチャルで創り出された空間を自由に翔け、他に得がたい歓びを感じた。そして、やはり歓びの最中に撃たれて、墜ちた。
「私がそうだからね」
目の前の女は純粋に野生動物保護のために活動しているボランティアだった。不思議そうな彼女に、それだけ言って作業に戻る。

 

あれから、銃を撃てなくなった。宙を自由に翔る、あの歓びを知ってしまった後では、とても引金を引く気にはなれなかった。
あの後、待ちわびていたはずの狩猟の解禁シーズンが来たが、それはもはや楽しくはなかった。
なんとかもう一度、あの開放感を味わいたいとここを訪れた。だが、試験中につき体験コースは一度だけですと、にべもなく断られた。
ボランティアをするなら、また使用できますよと帰りがけに言われた。

その際、ここが鳥獣保護のボランティア団体であることを知らされ、今後一切狩猟を行わないことを誓約させられた。
考えるまでもなかった。

モニター募集の段階から狙い撃ちされていたことには少し腹がたったが、それも再び装置の虜になるとどうでもよくなった。

以後、一切銃は手にしていない。
先ほどの男もきっとまたここに来るだろう。彼もまた、銃などでは味わえない何かを感じたことは間違いないはずだった。

 

 ※

 

「お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ様」
女性を先に返して、白衣の男は調整した機械を耳にセットした。今日はこれから何の予定も入っていない。
心ゆくまで空を楽しむつもりだった。勿論、銃に撃たれる心配なく。