311 【2】 | ★同じ空の下で★  

★同じ空の下で★  

だれかの 日向に なりたいな
あったかい人になりたい。

その後かは

強い余震がずっとずっと続いてました

携帯は繋がらない
2人は?
母は?

朝方かなぁ
BOSSが駐車場に
よかった…でも
お兄がまだ…

BOSSも何回も連絡してもダメだと焦ってました…

そしたら
駐車場にきたんです


街頭もないから真っ暗で
え⁇って

お兄は
あたしとコアが下敷きになってると思い真っ暗の中 強い余震の中で
ずっと探していたんだって…

ありがとね

でも凄く心配したよ
だめかと思ったよ…
生きててありがとう


次は母…
あたしは半ば諦めてました

多分あんな揺れだからアパートは倒壊したか下敷きになったはずと…

逢えるまで4日かかりました

ガソリンはない
車もない
もう戦争知らないけど
まるで戦後の様でした

歩いて歩いて何十時間も
あるいた数日でした

母が荷物で出られなくなっていたのを助けて頂き避難所に送りますとアパートに張り紙があり
すぐにいって大声で叫びながら呼んで

今 思えば人目も気にせず あららーです

母は真ん中あたりでブルーシートの上に正座してつくんと1人でいました

しかし
彼女はやはり、津波が来て大変な事になってるのはしりませんでした
ライフラインが全てダメになると
本当にこうなるんですよね…

母は私たちと違う区なので津波は全く関係ないとこでしたから…


ただ知らせないと行けない事が…


あたしと母の地元は石巻

身内はほとんど石巻
そして津波が飲み込んだ

門脇と南浜町 住吉が身内のかたまり
あたしたちの産まれそだった町でした


そして
大船渡には母の兄がいます



誰にも連絡はとれません


初めて津波の映像をみたのはだいぶたってからでしたが

石巻は…
こんなになって

あたしの身内のうちもなにひとつ飲まれなくなった町になってました
photo:01



photo:02



photo:03



絶望的な中
あたしの変わりに
ここの友達が一生懸命に安否確認をしてくれて
見つかった身内もいました

避難所に名前はあるけど
棒線があるの…って写メくれたり

本当に沢山沢山
力を貸してくれました

生きていてくれたら
それでいい…


しかし
石巻では
間に合わない人だけでなく
覚悟して津波にのまれるのを
不気味な音を聞きながら

死を選んだ方もいました…

それが あたしの1番の心友の両親でした…







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