その日、救世主(めしあ)は目覚めた。
 深夜2時。薄汚れた自室の天井を見上げながら、高校2年生の家須桐人(いえす きりと)は悟った。
 この世に存在するすべての矛盾、彼の右手の甲に刻まれた消せない染み。父親はおらず、母親の名前は真理愛(まりあ)。誕生日は12月25日。そして何より、彼の名前。イエス・キリト。
 すべては偶然ではない。運命の設計図だ。
 桐人はベッドから飛び起き、古びた英和辞典を引っ張り出した。ページをめくり、指差した単語は「Christ」。
「イエス、キリスト」
 その名前を口にして、全身の血が熱く脈打つのを感じた。彼は平凡な高校生ではない。彼は、あの偉大なる救世主イエス・キリストの再臨なのだ。
 問題は、桐人はごく普通の日本の家庭に生まれ育った、ごく普通のオタク気質な高校生だった。
 キリスト教の知識は、世界史で習った断片と、ファンタジーアニメから得たイメージがすべてだった。
 そして、右手の甲の染みは、一週間前の物理の実験でつけられた油性インクの染みだ。
「キリスト? なんか水の上を歩いたり、パンを増やしたり、えーっと、とにかく良い人、だろ?」
 鏡に映る自分に向かってポーズを決める。彼の目元は、深夜のアニメ鑑賞のせいで隈が濃い。
「良い行い。善行。それこそが、救世主としての使命の本質に違いない」
  ……
 【中二病】
 1999年に伊集院光がラジオで使ったのが最初と言われている。当初は、中学二年当時の男子に見られる心身の成長の不一致による大人に対する反発や親友探しなどの自虐的な行動を刺したが、2005年ころから思春期の少年が行いがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などに対する蔑称や揶揄に変化した。厨二病とも書く。
―― 大人の真似をしようとして洋楽を聴いたりコーヒーを飲んだり難しい言葉を使うなどの、身の丈に合わない行動をする症例。
―― 社会に反対したり、他人と違うことが格好良いと思う症例。
―― 自分には特殊な力が宿っている、自分は特別な存在であると妄想する症例。
などが見られる。桐人は3番目に該当する痛い少年である。
 なお、病とつくが、医学的疾患でも精神疾患でもない、単なる恥ずかしい行動である。
  ……
 翌朝。桐人は「イエス・キリスト」であった。
 彼がまず取り組んだのは、通学路の美化活動だ。
「救世主たる者、混沌を許すまじ!」
 そう叫び、彼は側溝に落ちていた空のペットボトルを拾い上げた。その瞬間、彼の左手に持っていたゴミ袋が聖なる光を放った。
 実際は、朝日が透けていただけだ。
 彼はゴミ袋を肩に担ぎ、まるで聖杯を携えるかのように厳かに歩を進める。
 しかし、その視線の先で予期せぬ悪と遭遇した。一人の小学生が、お菓子のゴミをポイッと地面に捨てたのだ。この軽率な行為は、後に世界を蝕む腐敗の始まりかもしれない。救世主の使命は、芽生えた悪を摘み取ること。桐人は静かに小学生に近づいた。
 小学生は彼の異様なオーラ、目の下の隈と怪しいゴミ袋に気づき、動きを止めた。
「少年よ。罪を犯すな」
 桐人は、低く、感情のこもった声で語りかけた。
「貴様は今、大地を汚した。救いの器たるゴミ袋は、貴様の魂を清めるために此処(ここ)にある。入れよ。汝(なんじ)の行いは宇宙(そら)からすべて見られているのだ」
 桐人は、まるで説教台の上の聖書のようにゴミ袋を小学生の前に掲げた。
 小学生は完全に怯えきり、「ごめんなさい、ごめんなさい」と震えながらお菓子の袋を拾い上げ、桐人のゴミ袋にそっと入れた。
 桐人は満足げに頷いた(うなずいた)。
「よろしい。貴様は救われた。行け。二度と罪を犯すな」
 こうして、救世主、桐人の善行に満ちた生活、聖なるミッションが幕を開けたのだった。
  ……
 次の日、桐人は通学中に大問題に直面した。横断歩道の信号が赤にもかかわらず、急いでいたサラリーマンが渡ってしまったのだ。
 その瞬間、彼の脳裏に世界史で見た「最後の審判」のイメージが蘇った。裁きの秤だ。
 救世主の使命は世界の秩序を守ること。この罪を見過ごすことはできない。彼はサラリーマンの後を追った。
「待たれよ! 罪を犯した隣人よ!」
 サラリーマンは、ふいに立ち止まった。
「私は家須桐人。この世の救世主である。貴様の今犯した信号無視の罪を、私の裁きの秤、このノートに記録する」
 桐人は、サラリーマンの前に立ちはだかり、厳粛な表情でポケットからノートとペンを取り出して構えた。
「え? 何言ってんの、君?」
 サラリーマンは、目が点になった。
「貴様は、赤信号を無視し、己の命と交通の秩序を侮辱した。この罪は重い!」
 桐人は、ペンをカチッと鳴らした。
「だが、私は慈悲深き救世主。罪には善行による償いのチャンスを与える。貴様の罪の重さは、善行3ポイントに相当する。今から私が指定する善行を行い、魂を清めるのだ!」
 サラリーマンは早く会社に行きたかったが、あまりにも真剣な高校生を無視するのも気が引けた。
「善行3ポイントって、何をすればいいんだよ?」
 桐人は、得意げに胸を張った。
「よろしい。貴様の魂を救うために、3つの善行を提示しよう」
―― 1. 道端のゴミを3つ拾い、ゴミ箱に捨てる。マイナス行為の浄化。
―― 2. 今日一日、上司に優しい言葉をかける。隣人愛の実践。
―― 3. 帰り道、信号が青に変わるのを5秒待ってから渡る。秩序の再認識。
「どうだ。この厳正にして慈悲深き裁きは!」
 サラリーマンは絶句した後、なぜか笑い出した。
「ハハハッ! わかったよ。おもしれぇ坊主だな。ゴミ3つ拾うのと、上司に優しくするのは実行するよ。最後の5秒待つのは、なるべく頑張る」
 桐人は、サラリーマンの言葉を聞いて深く頷いた(うなずいた)。
「よろしい。貴様は救われた。行け! 二度と罪を犯すな」
 サラリーマンは、笑いながら会社へと急いだ。
 桐人は、ノートに「サラリーマンA:信号無視。裁き完了/善行約束(3p)」と記録し、満足げに微笑んだ。
  ……
 桐人の「聖なるミッション」は、今も続いている。
 主に、学内清掃、迷子の猫探し、校門での爽やかな挨拶といった、地味な善行で構成されていた。
 彼は常に「これは善行。故に聖なる行為」と自身に言い聞かせ、疲れた顔に気合いの笑みを貼り付けていた。
 ある日の放課後。桐人は、体育倉庫の裏で小さな子猫を保護していた。善行だ。
 そこへ、不良グループのリーダー、湯田(ゆだ)がやってきた。湯田は桐人の「イエス・キリスト」設定を面白がり、いつもからかってくる。
「よお、キリト。また小っせえ命を救ってんのか?」
 湯田はニヤニヤしながら、子猫の入った段ボール箱を蹴ろうとした。
 その瞬間、桐人の脳裏に、ある言葉が閃いた。
―― 『汝(なんじ)の隣人を愛せよ』
 彼は、キリスト教の知識が薄いながらも、この言葉の響きは知っていた。善行とは、愛。隣人、つまり、目の前の湯田も、愛の対象なのだ。
 桐人は、湯田の前に立ち塞がった。
「湯田。やめろ。汝の心には闇がある。だが、私は汝を裁かない。私は汝を愛する」
「は? なんだよ、お前。愛って……気持ち悪い」
 湯田は、心底不快そうに眉をひそめた。
「そう。愛は時として拒絶される。しかし、私は貴様を拒絶しない。貴様の持つその黒い魂の渇きを、私は知っている。貴様が本当に求めているのは破壊ではない。赦し(ゆるし)だ!」
 桐人は、渾身(こんしん)の力を込めて湯田の肩に手を置いた。
 湯田は、思わずのけぞった。
「お前はこの小さい命を愛せないのか? もし、愛せないなら、せめて私を愛せ」
 湯田は完全に混乱し、何を言えばいいのかわからなくなった。
「……うるせえよ、変人! もういい!」
 湯田は、そう捨て台詞(すてぜりふ)を吐き、足早に立ち去った。
 桐人は、湯田が立ち去るのを見届け、深く息を吐いた。
「フム……敵対する隣人への愛。難易度の高い善行だった」
 彼は子猫を抱き上げ、優しく微笑んだ。
  ……
 その夜。桐人は、いつものように世界史の教科書を開いていた。キリスト教のページに、アンダーラインを引いた文字があった。
―― 『イエスは、人々に希望を与えた』
「……希望」
「そうか。自分が水の上を歩けなくても、パンを増やせなくても、世界を根本から変えられなくても、目の前の誰かを少しだけ良い気持ちにさせること。些細(ささい)な善行を積み重ねて、この世界にほんの少しの希望の光を灯すこと。それこそが、キリストの再臨たる自分の使命なのかもしれない」
 彼は、自分の名前を改めてつぶやいた。
「イエス・キリト」
 明日も、世界を救うために、良い行いをする。
 彼はそう決意し、翌日の善行リストを作成し始めた。
 リストの最初の項目には、こう書かれていた。「朝のゴミ拾いを、昨日より5分長く行うべし。」
 救世主の戦いは、明日も地味に続いていく。