どこまでも青い大空、、
燦々と輝く太陽、、、
そして左腕に残る傷を指差し、
『フォー・エヴァー』[4ever]と叫べど、、、、
“永遠”なんて無いんだよな…
それに気付く時間はカナリ掛かったし、
知らないうちに、
時代は猛スピードで過ぎていった、。
と同時に、
『歳を取ったんだな、』と感慨に耽る☆
ボクは、
“リヴァプールのカウボーイ”KEITA in THE House✳︎.
10才の夏休みを、
祖父祖母が暮らす田舎で過ごした少年へ、
例えば、
[Texas Crazy Horse]なんて言ってやれば、
きっと目を丸くして、
『ヒース・ヒーリング!!!』と叫び癇癪を起こしながら、
エンドゾーンへ向かって走り出すだろう★
[Texas..]と連想させようも、
ザ・ファンクスでもなく、テリーマンでもない^^;
ボク世代の入り口は、
みんなヒース・ヒーリングだったゲラヘーー(≧∀≦)¡BANG!BANG!
総合格闘技PRIDE全盛時に「誰が最強か?」なんて論争がいつも繰り広げられていた時代を過ごしてきた。
総合格闘技PRIDE全盛時に「誰が最強か?」なんて論争がいつも繰り広げられていた時代を過ごしてきた。
でも、
“プロフェッショナルレスリング”のほうが『最高』なんだぜ!!
『ほら!ドリー・ファンクJr.の試合をみてみろよ。サイドヘッドロックだけで相手をやっつけちゃうんだから!!』、
と、
第46代NWAヘビー級王者は「最強」且つ『最高』であると今ボクは問うんだ。
60年代〜70年代初頭のNWA王者時代は、
毎晩、
違うアリーナで、違う相手とフルタイム戦を演じ、
命辛々ベルトを死守しては、
またチャンピオン・ロードサーキットへ出て次なる地元ヒーローを迎え撃つ“憎き孤独なカウボーイ”。
そこには間違いなく、
『浪漫』があって『伝説』が存在する★☆
もしも?
ヒース・ヒーリングやマーク・コールマン、マーク・ケアーがそれらを成し遂げ[Take Care]出来るか?となれば、
まず厳しい現実が待っているだろう………ダン・ヘンダーソンなら出来そうかな??
とかく、
とかく、
そんな偉大なドリーが56歳を迎えた時、
弟テリーがテキサス州アマリロでファンク家50周年を祝し“手づくり感覚”で、
故ドリー・ファンクSr.へ捧げるメモリアルショーを手掛けた際、
兄貴へ“過激な月曜夜の五つ星”をブツけてみた(^O^)/
見渡せば、
80年代フロリダマット界で規律正しくレフェリングしていたビル・アルフェンソが、
リング下から、
けたゝましく笛を鳴り散らす厄介なマネージャーに成り代わっていた!
“グレート・テキサン”はこの日も[clever]で、
“過激な月曜夜の五つ星”にやりたい事を全てヤらせておいて、
最後は「修羅場潜り」の3/4ネルソン(足掛け)が極まり伊藤豪レフリーが三つ叩く。FREEDOMS所属GENTARO氏が使用するのはヨーロピアンヘッドロックからの足絡み式ピンフォールで、また違う技術。
※ボク自身3/4ネルソンはスネークピットJAPANで教わりましたm(__)m
2000年代に入ると、
2000年代に入ると、
気候の良いフロリダ州オカーラにDOJOを構え後進の育成に励みながらも、
時折、
世代を超えた[NewAge]との“ドリームマッチ”をプロデュースしては、
次世代へ[Wrestling]の本道・真髄を伝承していくかの如く、、自らがその御相手を買って出る“グレート・テキサン”☆★
時代の変化に順応してみせ、
時には、
本来保つべき矜恃や[traditionalism]といった信念を貫いて。
音楽都市からやって来た“金髪の弾丸児”JJが脚を取って締め上げようとも、
すぐさま[ride]に移行し、
今にも「動いてみろコノ若造」と耳元で囁きそうな、
とんでもない“64歳プロフェッショナルレスラー”。
そうさ!
そうさ!
ボクは変化を恐れていない。
なぜならば、
その先に『進化』が待っているから。
だから“闘う”。まだまだ“闘う”…どんな相手とも!
今は道半ばだけど、諦めない。チャンスを伺っている。挑戦を止めない。
“あの頃”を想い出して…野を駆けるゲラヘーー(≧∀≦)
エンドゾーンなんて無いから。
Wrestling God Bless
神の御加護を
social reject
プロフェッショナルレスリング・ワラビー
KEITA in THE House✴︎🃏
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