・メモ
この本も再読だ。最初に読んだのは確か浪人後
二度目の大学一年生の頃だったと思う。この頃は
なんだか随分ヘルマン・ヘッセの本を読んだよう
に思う。当時は夢中になって読んだが、読後何を
感じたかはほとんど思い出せない。
今回は少しこの文書の位置付けなどを考えてみた。
この本でキーとなっているのは
「カインは良い人間かもしれない」
「私と君にはカインの印がある」
と言ったところだろうか。アベルを殺してしまった
カインを肯定するというのは、キリスト教徒にとっ
てどんなイメージなんだろうか。またこれらの言葉
を補うものとして
「アプラクサス」
という言葉があった。多分物、人、事自体は善も悪
もないもので善悪両面を持っているということを言
いたいのではないか。言わば本来悪とされたカイン
の証を持つ我々は他の人たちとは違うんだよと、
言いたいらしい。
さらに本書の後半ではカインの証を持つものと、
持たないものを次のように分類している。
・カイン
自分自身に向き合う人
革新をもたらす人
・その他の人々
自分自身に向き合わない人、見失う人
安定を望み、危険に足を突っ込まない人
このある種選ばれた人であるカインの印を持つ人が
何をするのかにはかなり興味をそそられた。そして
後半の後半に、シンクレールとデミアンには
「何かが起ころうとしている」
という強い自覚があった。この辺りにはぐんぐん
引き込まれていったが、その実態は戦争だった。
そして選ばれしカインの印を持つものたちが、
一人は軍人として参戦し、一人は当然のように
召集されそして砲弾に倒れる。ここまで引っ張って
おいて最後がかなりしりすぼみな印象を受ける。
私は何か最終的なメッセージを見落としたのかな、
それとも当時の人間にとって戦争とはそれ程迄に
重大な事態だったのかな。謎は謎として残った。
もし10年後、まだ本書を再読する気力があれば
読んでみよう。うーん、欲求不満感ありありw
誠剛君はこう言ってる。
[デミアン/¥432][ヘルマン・ヘッセ著、高橋健二訳 /新潮社 (1951/11/30)]
[254p/978-4-10-200102-8]
[善良な世界、下世話な世界、フランツ・クローマー、マックス・デミアン、カインはアベルよりも良い、デミアンのシンクレールに対する挑戦、アルフォンス・ベック、内向的、焦りと苛立ち、混迷の時期、我々の内部に全てを知るものがいるということを知ることは良いことだ、アプラクサス、ピストーリウス、ワナウエル、自分自身を見出す、カインの印、探求者・自分自信を見つめる探求者、安全サイド・維持する人・自分自身を見失う、千0479]
[角川文庫へ-1-2][再図][023]
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