2022年の7月(という中途半端な時期に)これ→「悪夢の終わり…」を書いたが、
今度わざわざどうしても書きたくなったことはこれ↓
羽○が居なくなってやっと“競技”が戻って来た!ということ。
まず男子SPのトップ争いが僅差だったことに、
フリーを見るまで誰が勝つか分からんぞというハラハラわくわくの
おもしろい展開が普通だった時代に少しは戻ったかのように思えた。
フリーで崩れてもトータルで逃げ切れるようSPで断トツの点を付けておくとか、
そんな疑わしさも感じられず、
勝たせたい者を勝たせようとしてるのが見え見えな点数や順位でもなく。
そもそも“勝たせたい者”って設定を感じさせられること自体がおかしいのだが、
フィギュアでは長いことそうだった、ほんと悪夢の時代。
羽〇が居なくなってからフィギュア人気が無くなったのではないしね。
逆。何もかもまともになって来たってとこ?やっと。
居なくなって試合会場はガラガラとかアホ記事が出てた事もあったようだけど
それも違うし。
前回も今回のワールドも会場はみっちり埋まってて良い演技には大歓声で
大盛り上がりだったよう。
高橋&浅田が居た時代が黄金期という印象が消えないのは、その後にと言うより
その波に乗じて出現してきた羽○と(そのオタと)それに関わる人間とジャッジが
日本フィギュアの真っ当だった盛り上がりや雰囲気を低迷させたから。荒れ地にしたから。
フィギュア人気もあの頃が最もあったし、テレビ番組にスケーターが多方に
取り上げられる事も(バラエティ出演含め)結構あった。
羽〇が現れて来てからの事ではない。ていうかむしろ無くなったじゃんか!
羽〇を出せないから他も目立たせないようにってか?分かりやすい事ですな。
先人達が築いて来たものを大事に考え敬い繋げてくれていれば、
黄金期は「今こそ」と言えた時代はあの頃以降にこそあったかもしれないのに。
でもやっぱりフィギュアは私には分からない。
今回のワールド男子、終わってみれば順位は納得だし、個々の点数もまあそうだろな
と思っても2位との点数差、それ以上に4位との点数差を改めて見せられた時、
30~50点以上もつけられるほどのものだったか?と。結果の差に結構驚いた。
鍵山君も宇野君もミスがあったしマリニン君はかつても今も他に誰も跳んだ事のない4Aを
跳んだ上でその他の高難度ジャンプも当たり前のように決め完璧な演技だったと
分かって見てても。ただただその点差に驚いた。悲しみが混じったほどに。
それはきっとフィギュアスケートはこうであるべきとでも言ったスケーティングそのものに
見た目圧倒的な違いを感じたのに点数となった時にはああだったからか…
スケーティング面(表現面込み)で言ったら優勝者より2位4位の方が誰の目にも
分かるほどの卓越した技術力だったように思う。
そういうところはちっとも反映されてないように見える点数。いや、その差。
特に二つのシークエンスなど段違いだったように見えたが?
今回は鍵山君のその滑りに引きつけられた。
マリニン君が直後の滑りだったから違いが目立って見えたとも言えるかもしれない。
(演技やその出来に関わらず誰であっても私は演技後にリンクに寝そべる姿は
好きじゃない。残念だな~と思って見ていた。若いうちはやりがちなんだろうか?
スケートを教える以前にコーチ達はそこら辺も教えるべきなのではなかろうか?
単純にその姿はカッコよくも美しくもないと)
大輔さんが何度か言ってたのはこういう事なんだよなって思った。
高難度ジャンプを決めたら決めたでそれに対してはどんどん点数を出せばいい、
でも(スケーティングが素晴らしい子には?)PCSはPCSでもっと点を出してあげればいい
というようなことを。
正しくはなんて言ってたかちょっと私は書けないが(どなたか詳しく言える方教えて(__))、
そんなような感じのことを。
そうすれば30点も50点も点差が開くような摩訶不思議な競技とはならないのでは
ないかという気がする。(正直おもしろくないし)
演技そのものから受けた印象とあまりにも乖離したものは、
付けられた点数ではなく、その点数差にあったように思う。私にとってはそう。
それが、ながら見したんじゃなく久々にテレビの前にちゃんと座って試合を見た
単なる私個人の感想でありました。
ちなみに2位と4位という言い方をして間の3位の選手の事に触れてないのは
たまたま私がその選手の演技を見てなかったからで全く他意は無し。
(何かの事でテレビ前から離れてたらしい)
でも何度でも言うが、10年も続いてた悪夢が終わったんなら
とりあえずそれはすご~く良かった!その事にはやっぱり喜べた。
リンク上の無法者は居なくなりスケーター間の雰囲気も良さげって事だけでも。
消せるものなら消してほしい、消えてほしい長すぎた時間だけどな。
居なければ、、と、何度でも思う。スケートを見るたびにまだ思う。