昨日の続き。
人間も動物も種の存続は本能。
雄雌があって存続するもの、環境で変異して存続する種、
色々ある。
憂うるのは、それで生み出される新しく小さな命の便りどころがない環境のこと。
この様な感覚を持つのは、ウチはキリスト教であったせいかもしれない。
人間は動物を食べることができる。
その存在を愛しながら、一方の面では食し、支配する力を持つ。
過去 日本の歴史では飢饉において人肉を食べることさえあった。
私のお爺ちゃん、彼は犬や動物を愛でる人でした。
私が幼い時、彼はカラスやオウム、犬を育てていた。
彼らは私のお爺ちゃんに忠実だった。
カラスはお爺ちゃん、大好きだった。
また 彼は色んな鶏(鑑賞のオナガドリや烏骨鶏)も飼っていたけど、
記憶しているのは、時々 それらが食肉の為につるされていた。
(それが、私がじーちゃん 嫌い!なった原因ですが。。。)
戦後、家もなく食べるものもなく、子供と妻もあり、台湾から引き揚げてきたとき。
彼は犬を飼っていた、自分の子供さえ牛乳を飲めないのに、子犬に牛乳を与え育てた。
(もちろん、ばあちゃんは批判。)
その犬が、ある日いなくなった。
昔、日本でも犬の肉を食べる習慣があったのだ。
お爺ちゃんは、日本刀を持ってその犬を食べた人達の処に行った。
埋め立てられた土地をクレーンで掘り返して、その犬のお骨を掘り出して、取り返した。
非常に複雑な心境です。理解も実行も難しい、私には。
彼は自分だけ、ただ自分の信念を大切にしたのかもしれない。
だけど、一方で小さな命と究極の共存してた。
究極の共存、自分の生命を他社の生存維持の為に与えられるか。。。
私はそんな強さは持っていない、、、が、少しでも何かのお役に充ててればよいと願う日々である。