数年前から「エンジェルナンバー 数字は天使のメッセージ」という本を愛読している。


ざっくり言うと全ての数字には意味があり、見えない世界(この場合は天使)からのメッセージが込められている、という内容。


私はこれを面白い!とすんなり受け入れ、いつもこの本を手の届くところに置いて、日常で気になる数字や繰り返し目にする数字があるたびに「どれどれ〜何の意味だろう♪」と国語辞典をひくように、意味を調べるということをしていた。おかげでだいたいの数字の意味は頭に入っている。あとは数字を組み合わせてのバリエーションなのだ。



一昨年の年始から春頃、家事の合間にごろごろしていると愛猫シロンがトトトとやって来て、畳の上に置いてあったこの本に乗っかり、器用に表紙を開いてガブガブしはじめた。口に入ったカバーの紙をぺっぺっとしているので、焦って本を取り上げた。

「こらこらこら、何してるの!シロン、だめよ」

食べ物の入った袋をかじって穴を開けたことは何回もあるけど、今まで本をかじったことなんてなかったのに。


あーあ、カバーがぼろぼろ・・また買い直そうかな。そういえば、この本の作者のドリーン・バーチューさんて最近あんまり見かけないけど、お元気なのかしら?


シロンがかじったことは何か意味のあるような気がした私は、すぐさまスマホでドリーンさんのことを調べた。


衝撃!天使はいないって言うとる!!ポーン

ずっと信じていた私の立場は!!!笑い泣き


ドリーン・バーチューさんはその前年に一神教の宗教に改宗し、今までの著作はなにか良からぬものにかどわかされて書いたもの、と言っているらしかった。


へ〜、既存の宗教からスピリチュアルの世界に移行するのは良くあるけど、逆のパターンもあるのね〜面白いな。でもショック。笑


今まで多くの時間を費やして、自分の中に取り込んできたものをご本人に完全否定されたものだから、なんだか落ち込んでしまった。


いやいやいや、待てよ。今まで数えきれないほど、自分で数字の不思議な偶然を何回も目撃しているじゃないか。それを間違ってたらしいから〜となかったことにしてしまうのはおかしいでしょ。だって私の「経験」だもの。


一番、印象に残っているのは、今から6年くらい前のこと。


あれだけハッピーだった出産から数ヶ月後に私はうつ病を患い、それから回復に長いことかかっていた。


一時は身体も動かせず、当然育児も家事も出来なくなった私は娘を連れて、里帰りから間もなく、再度母の暮らす実家に転がり込んだ。夫との関係もこの頃は最悪だった。


精神科・心療内科ジプシーの末、幸い素晴らしいお医者さんと巡り会い、カウンセリングを受けながら断薬しつつ、ゆっくりと元の感覚を取り戻しつつあるところだった。


その時娘はプレ幼稚園に行っていたのか、少しずつ外に出られるようになっていた私は、ひとり団地内の公園に佇み、ざわざわ=不安と戦っていた。はたから見たらボーっと立っているようにしか見えなかったと思うが、いつも常に忙しく何かを考え続けていた。


『いつまでもこのまま母にお世話になっているわけにはいかない。私も働かないと。でもまだなんにもうまく出来ない。別居してることもそろそろ娘が疑問に思うかもしれない。でも夫のところに戻ってもやっていける筈ないし、また悪くなってしまう・・』


母もだんだん体調が悪くなりつつある時だった。これからどんどん医療費がかかりそうなのに。娘にもお金がかかるのに。私がしっかりしないと、私が外に出てお金を稼いでこないと。


夫からはお給料の一部をもらっていたが、三人の生活費には全然足りなかった。お互い持ち家なのでなんとかなってはいたが、日々母のわずかな年金が頼りだった。


『どうしたら良いんだろう・・』

途方に暮れながら、目の前の実家の棟の側面を見上げていた。


2ー7


ぱん!という感じで、壁に書かれた棟の住所が目に飛び込んできた。


あれ?そういえば私たちって2ー7号棟に住んでるんだっけ。娘は2月7日生まれで、亡き父も2月7日が誕生日。不思議と同じ数字が三つもそろってる。なんで?


たしかここは平成10年にお父さんが死んだあと、生命保険の死亡給付金と弟の出してくれたお金を合わせてお母さんが買ったんだよね。たまたま一階部分が空いてたから、母はここを選んだだけで。


それから私も14年ほど住み、結婚し一瞬だけここを出たけど、娘が産まれてまたここへ帰ってきた。


『ここで安心して子育てすれば良い』


ふと、心の中に明らかに自分とは違う思考が浮かんだ。


思考って誰の?お父さんしかいない。見えない世界から父が私をバックアップしてくれていることに、この時初めて気がついた。


ピリピリと張り詰めていた気持ちがゆるみ、すーっと肩の力が抜けた。うつ病になってから、初めて気持ちが楽になった。


なんだ、私ここにいても良いんだ。何も出来なくても、役に立たなくても、ここにいて娘を育てれば良いんだ。それが今の私の出来ることなんだ。これ以上罪悪感を持たなくても自分を責めなくても良いんだ。


それを気付かせるために、お父さんは私に分かりやすいよう同じ数字を繰り返し見せてくれたんだ。


母の弟の事業の連帯保証人となり、多額の借金を背負い、当時住んでいた家を売り、取締り役まで務めていた会社も辞めた父。


慣れない自営業を引き継いで、父はどんどん無気力にお酒に逃げるようになり、母が朝晩働いて借金は返済したけれど、思春期の私と弟は、毎日のように父と母のケンカを見ながら、父の悪口を母に吹き込まれながら育った。


当然私はいつも頑張っている母の味方で、父のことは大嫌いだった。家の中で目も合わせなかった。


最期まで病院にはいかず、動けなくなるまで自宅で横になって過ごしていた父。


その頃に母が拾った子猫のぷーたんは、私と母が仕事に出かけている間は父の懐に抱かれて、酒のツマミのお刺身を毎日貰っていたらしいもぐもぐきっとゴロゴロ甘えて、ひとりぼっちの父を癒してくれていたのだろう。


亡くなった時は父の楽しみにしていた長野オリンピックの真っ最中。病院ではすぐさま薬で意識をなくして呼吸器をつけられ、ひと目もオリンピックを見せてあげることは出来なかった。肝臓がんだった。ずっと付き添っていたのに、死に目にも間に合えなかった。


そんなひどい娘の私を、父はずっと愛してくれてたんだなぁ。


気づけて良かった。


その後の母の入院時、いよいよ経済的ピンチの時には、若い頃の父の仕事関係の謎の年金のお知らせが急に届き、長年たまった大きな利息とともに母に支払われたりと、亡き父からの私たち家族へのギフトは何回も届いている。


そしてつい先日、私はやっと重い腰を上げて、各種の支払いの名義を母から私へと変更し始めた。自分の為にお金を使うことへの抵抗感が昔から大きい私は、払い続ける自信がなくて、自分が責任を取りたくなくてずっと放置していたままだったのだ。


私の車の駐車場の契約を母から私へと名義変更したら、すぐに駐車場の選定会の書類が私あてに届いた。


約500世帯のうち約300世帯が駐車場を借りている。契約は毎年4月に更新され、その順番は毎年公平に抽選で決められる。


選定会当日は番号順に事務所へ出向いて、好きな場所を選ぶのだ。当然、番号が早いほうが、自分の好きな位置の駐車場をゲット出来る。番号によっては、エライ遠い駐車場しか選択肢がない時もある。


どきどきハート今年は何番かなー?



おー早い数字だ!やったー!!


えっびっくり27番!?



(シロンにかじられた本)


エンジェルナンバー 27

信じて道を進み続けてください。
あなたは正しいことをしているので、
その調子で続けてください。


やっと自分で、自分の人生の責任を取り始めたばかりの私に、また父が伝えてきてくれた気がするおねがい


それで良い。そのまま信じた道を進みなさい、と。