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SeaSunぷ~た

クルマやぶにらみ

短大2年の秋。


シティーターボが拒絶された腹いせなのか、


実家が突如としてシビックシャトル(初代)を購入。


グレードは55i マニュアルミッション


イメージカラーのオレンジメタリック


オプションだったサンルーフが装着されていました。


ひとつ許せなかったのは、フロントバンパーの左端に、


ヘタクソポールがくっついていたこと。


ドアミラー解禁元年の昭和58年当時、


フェンダーミラーに慣れ親しんだドライバーにとって、


左側のバンパーやフェンダーの見切りがつけづらい、


ドアミラー車に乗り換えた際、


フロントバンパーマーカーを装着する人が


割と存在したような記憶があります。


このマーカー、車両感覚が鈍いですと公言しているように思え、


私にとって、装着されていることは恥ずべきことでした。


初代シビックシャトルですが、


現在の日本における乗用車の主流を占める、


いわゆるミニバンの先駆であったと思います。


限られた全長の中で、


快適な居住空間を確保するためには、


天地方向にボディーを拡大する。


かといって、あまり背高ノッポにすると、


見た目にも動的な性能上もあまりよろしくない。


シャトルのボディーはギリギリのバランスに留まっていたように思います。


後の2代目で、ビーグルなるグレードが登場し、


クロカンRVブームに流されたりしましたが、


初代オデッセイが、シャトルのコンセプトを正統に後継したと感じます。


初代シャトルは、大抵のグレードにおいてパワステはオプション装備。


若かったので、ノンパワステでもそれほど苦になるような


重さには感じませんでした。


かえってパワステ装備車の方が、ハンドルが軽すぎるという感覚でした。


1500ccのSOHC12バルブエンジンは、インジェクション仕様だったので、


寒い岐阜の山奥でも一発始動。


当然チョークレバーなど無いので、長期アイドリング無しで発進可能。


免許取得後2年にも満たない私にとって、


動力性能は、サニーと較べたら凄く速い!と感じる程度。


車内は広く、ダッシュボード上に飛び出す空調吹き出し口のギミック以外は、


当時のホンダ車のセオリーに則った、ホンダ車としてオーソドックスな造りでした。


ワンダーシビックの頃のホンダ車は、


ボディー剛性の低さが喧伝されていましたが、


シャトルという車のボディー剛性が高いのか低いのか、


意識して他車と較べようなどとは、


夢にも思っていなかったので、


剛性に関して特にあれこれ感じたりはしませんでした。

短大生活の2年間の時代は、


自動車の保安基準の規制緩和が進んだ、


今の平成の時代では考えられないほど、


厳しい規則の時代でした。



法令違反車両の使用が学校に判ってしまうと、


謹慎・停学・退学処分です。



当時の違反車両の実例を挙げてみると、



・小径ハンドルの装着(360Φでもダメだったので、要するに純正以外はNG)


・ワイドタイヤの装着(純正以上のサイズアップはNGなので、60扁平タイヤなど言語道断!)


・ドアミラーへの変更(57年式のPF60ジェミニを58年式用純正ドアミラーにしていて謹慎を食らった者も!)


・エンジンのチューンアップ


・ローダウンやダンパーの変更


・エアロパーツの装着



クルマ好きの血気盛んな若者が、


愛車に対してやってみたいことの全てを、


禁じられていると言っても過言ではありません。



大半の学生は、上記違反パーツいずれか、


もしくはてんこ盛りで装着のクルマに乗っています。



殆どの学生は下宿に住んでいるので、


主に下宿を対象に、学校は「ガサ入れ」を行います。


ガサ入れ直前に、必ず学校は下宿経営者へ連絡を入れます。


その連絡を受けた下宿のおっちゃんおばちゃんは、


下宿生に対し、所有車両一時避難の大号令を発するのです。



生憎、その号令時に下宿にいなかった為に、


違法改造車(と言ってもワイドタイヤを履いているだけの仕様)を隠すことができず、


謹慎処分となり、


しかも、その謹慎期間が学期末テストと重なったため、


留年してしまった同級生もいました。


(ギャランGTO GSRだからワイドタイヤ履きたくなるのは当然ですよね)








昭和58年



まず、3月に規制が撤廃され、


純正ドアミラー装着車が販売されるようになりました。


一部のクルマにとっては、無粋極まりないフェンダーミラー。


イスズ ピアッツァやホンダシティーは、


悪夢からようやく目覚めることができたのです。



そして5月。


今では名車と謳われるAE86がデビューします。


ドアミラー標準装備の新型デビュー車としての、


実質的な一番乗りだったように思えます。


中綴じ自動車雑誌が、発売前のスクープと称して、


リーク情報をやたらと掲載していました。



「2TGから変更された新型エンジンは、アイドリングから空ぶかしすると、


レッドゾーンまで1秒もかからない鋭いレスポンス!」とか、


「レビンの2ドアは、まるでミニソアラ!」


「トレノの3ドアは、ミニセリカXX!」などなど。


情報リークの甲斐あって、


展示会に並べられた新車の86は、


次々と訪れる兄ちゃんおっちゃん達に、


やたらと空ぶかしされてました。


が、先代のTE71に較べると、4AGのエンジン音が、


当時はやたらと軽薄に感じられたものです。


TE71にはラインナップされていた4ドアモデルがなかったことで、


私的には、いまひとつ盛り上がりに欠けていました。



86の登場から2ヶ月が過ぎた7月の初旬、


スクランブルカーマガジンの新刊を手にした私は、


新車紹介のページを見た瞬間、衝撃に襲われました。


それは、ホンダが発売する小さなクルマの紹介記事でした。


バラードスポーツ CR-X


赤いボディーの後端は垂直に断ち切られ、


見るからに走りを予感させるカタチをしていました。


純正オプションの4つ穴14インチアルミホイールも


シンプルだけれどカッコいい!


それに較べて86のホイルのダサく見えること!


シングルカムの1500cc?


実質2人乗り?


これだけカッコいいなら文句無し!


すごいぞホンダ!の思いは、


10月のシティーターボⅡ発売により、


ますます強くなるのでした。



今思えば、良い年でしたね。













エヌの鍵には方向性がありました。


溝加工(ギザギザ)がある側と無い側があったので、


向きを間違えると、キーが差し込めません。



インナーもアウターも、


ドアハンドルは、確かアルミ製だった記憶があります。


ドアロックの機構は、


アウターに関しては、ロック解除ボタンに鍵を差し込み回します。


インナーは、ドアハンドルを前側に倒すとロックです。



イグニッションキーは、インパネに差し込むので、


ステアリングコラムにはウインカーレバーが生えているのみです。



キーを差し込み、右に捻ってエンジン始動です。


当然ですが、冬期なら予めチョークを引っ張っておきます。



鳩の鳴き声に似た音を発し、クランキング。


目覚めた2気筒エンジンは、


空冷ならではの、


濁音を多めに配合された音質で回転します。



エンジンも適度に暖まり、


アイドリング回転を落としてくると、


メーターのガラス越し、


ボワ~っと赤いランプが灯りはじめます。


ランプの表示は「CHG」。


チャージランプです。


普通のクルマなら、チャージランプが点灯するということは即ち、


発電不足という異常事態を知らせているのですが、


Nはさにあらず。(例外として、一部のダイハツ車は正常時にバッテリーランプが点灯し続けますが)


アイドリング時には点灯するのが正常です。


走行時に点灯するのであれば、セルダイのブラシが減っていて、


要交換の合図です。(そういえばTNトラックも同じでした)



いよいよ発進です。


クラッチを踏み、シフトを1速に入れます。


ダッシュボードの中央下縁から突き出しているシフトノブは、


独特の抵抗感を伴い、摺動します。


問題は2速へのシフトアップです。


コツが掴めないドライバーに対し、


2速ギアは、むべも無く門前払いを食らわしてきます。


無理矢理に2速に突っ込もうとして、


リバースに入ってしまったこともあります。


本当にNのドグミッションは独特でした。


しかし、N3のツーリングともなると、


似非フロアシフトに変化していて、


軽く「ザッ」という音と共に、


軽々とシフトできるように変化していました。



Nの空調システムは、超が付くほど原始的です。


ROOM⇔DEFROSTの切り替えレバー。


エンジンを冷却して暖まった空気を室内に入れるか、


フロントウインドウ側に流すかの2者択一。


左右のキックボードには、


外気導入の為の開閉蓋を装備。


夏は熱く、冬はろくに暖まらないのは当然です。


しかも、


エンジンの冷却フィンを経由してキャビンに入ってくる空気は、


シリンダーヘッドやら、


エンジン各部から滲み出したエンジンオイルの、


焼けた匂いを含んでいるのです。



シートは立派な造りをしていました。


N1のそれには、ヘッドレスト未装備。


クッションはしっかりとしていて、


リクライニングのレバーは、


N2以降のものとは全く異なる


安っぽくないものでした。



トラブルは2つだけ。



ひとつは雨漏り。


フロントウインドウのゴム枠が縮んでしまい、


継ぎ目が離れて、外が見えるくらいの隙間が生じ、


そこから雨水が入りたい放題。


ゴム交換で完治しました。



もうひとつのトラブル。


オリジナルは調子が悪いからという理由で、


前オーナーが、


N2用のCVキャブに変更していたのですが、


こいつがト故障しました。


真鍮製のキャブのフロートに穴ができて、


そこからガソリンが進入。


結果、フロート位置が下がりオーバーフロー。


カブッてしまってまともに走らなくなってのです。


キャブを分解して、フロートを取り出し、


ハンダで穴を埋めて、


修理は完了したのです。




兎にも角にも、初めての自分のクルマということもあり、


Nは私の五感に強く記憶されたクルマなのです。


ラルフネーダーの本に端を発したアメリカでの欠陥車問題が、


日本においても、当時販売絶好調のN360シリーズに覆いかぶさり、


欠陥車呼ばわりされたN360シリーズの、特にN1が解体処分された。



「だからN1はあまり残ってないんだよ」



という話を聞いたことがありますが、真偽の程はいかがなものでしょう?



N360のブームや欠陥車問題の嵐といった、その頃の時代の空気を、


私は全く知らないので、何とも判りかねます。


確かに、私が購入した頃(昭和58年)、Nが中古車屋さんの店頭に


並んでいるとしたら、N2もしくはN3でした。



住んでいた下宿には、私以外にNオーナーが4人もいたのですが、


N2 ツーリング

N3 サンルーフ(純正キャンバストップ)

N3

N3 タウン(ベンチシート)


という構成だったので、あながち嘘でも無いような気がします。



Nオーナーがやってみたいありがちなメニューとして、


ツインキャブ化(当然自分の車がツーリングならその必要無し)


CB450のエンジンとスワップしてDOHC化(これって本当に可能な話だったのでしょうか?)


HONDA Z GS のミッションを流用して5速化


HONDA Z GS のフロントブレーキ周りを流用してディスクブレーキ化


等がありました。





N3の顔がどうにも嫌いな当時のN仲間の理想は以下のスペックでした。



車体はN3のサンルーフ車をベース


顔はN2ツーリングに変更


N600のテールランプに変更


N1のリヤマーカーに変更


エンジンはCB450のヘッドに換装


ボンネットはN600(バルジがあって、DOHCヘッドをクリアできるかも?の期待を込めて)


Zの5速ミッション搭載


フロントブレーキをディスク化


インパネ周りはN3用を装着(N3はメーター類が透過式の照明です!)


Sタイプのフェンダーミラーを装着して、ボディー同色に塗装


シビエでもマーシャルでもいいのでダブル反射のヘッドランプ装着



ざっとこんな感じでした。