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SeaSunぷ~た

クルマやぶにらみ

N360


完全に親のスネカジリで手に入れさせて戴きました。(両親に感謝)


クルマ雑誌の読者売買欄に掲載されていました。


横浜まで引き取りに行きました。


N2のツーリングを購入直前までいったこともあったのですが、


その個体は程度があまり良くなかったので、断念していた経緯があります。


が、購入した個体は、2オーナー(実質的にはワンオーナーに近い)だったので、


年式からすれば、程度は良かったと思います。


ボディーカラーは赤。


左プーリーと呼ばれる冷却ファンのプーリーの取り回しが異なるN0(エヌゼロ)ではなく、


極々一般的なN1(エヌワン)です。


前オーナーが、私の購入直前にホンダサービスに整備に出した際、


フロントグリルの錆が気になったので、新品に交換してくれていたのですが、


N2の新品グリルとなってしまっていました。部品の共用化です。


N1の外観の最も判別しやすい特徴が、グリルのHマークの構造で、


他の部位と連続した材質の、Hの形状が打ち抜かれたメッキの仕様です。


がっかりしたのを覚えています。


高速道路を使い、横浜から帰ってきたのですが、80km/hで走り続けることが、


かなり苦痛だったことが思い出されます。


平坦路ならどうにかなるのですが、上りとなるとかなり厳しい。


製造後何年経っているかわからないホワイトリボンのバイアスタイヤが原因なのか、


あっちにフラフラこっちにフラフラと、直進安定性なんてあったものじゃない。


Bピラーの内部が収納場所のアンテナを伸ばし、


ナショナル製の純正ラジオで「イチヨン~マルマル~」のSBSラジオ放送を聴きながら、


やっとの思いで実家のある町に辿り着いた私は、家に到着する前に、


当時好きだった同級生がバイトしている本屋さんに立ち寄り、


車購入を報告したのでした。


(でも、彼女をNに乗せてどこかに行ったという記憶が無いなぁ・・・何故?)




オカマを掘ってライトブルーのサニーを廃車にしてしまう時期と相前後して、


どういうわけか実家に存在していたナンバー無しの同型のB110サニーに、


使用していたパーツの殆どを移植することになりました。


年式やボディー形状は全く同じですが、ボディーカラーとグレードが異なりました。


ボディーは白で、グレードはデラックス。


デラックスはブレーキが四輪ドラムブレーキという仕様だったので、


廃車のGLからストラットやナックルASSYごとディスクブレーキを移植。


マスターバックも移植したのは言うまでもありません。


そして、モータースの廃車置場からクーラー(エアコンではありません)を格安にて購入・装着し、


夏でも快適なスペックとなったのでした。(このクーラーが後々トラブルを引き起こすのですが・・・)


純正タコメーターもGXの廃車からゲットしました。(電気式でした。デラックスでも配線はありました!)


GXのバルブスプリングは2重で、その他はシングルだったと記憶しています。


それが理由なのか、タコメーター上のイエローゾーンまでエンジンを回すと、


サージングが発生!


最高速は、トップギアでのサージング発生回転で決定というか、文字通り限界でした。


前述のクーラーに纏わる話ですが、悲劇(喜劇)が2点あります。


1点については、クーラー装備車を所有した方なら、大半は経験があるのでは?


冷えすぎて冷えない現象。


設定温度を下げすぎると、凍ってしまって、逆に室内が冷えなくなってしまう事態に。


特性を知らない時期には、真夏によくこの現象を起こしてました。


もう1点は、これは取り付け時のミスに起因するものなので、


私のサニーにだけ発生したトラブルです。


室内側のユニットを装着する際に、ワイパーモーターとのクリアランスが、


不適切のまま部品を固定してしまい、それが原因でワイパーの作動時に、


モーターから伸びるアームに干渉していたのです。


悲劇は、実家から岐阜の下宿先に戻る深夜の国道41号線のとある峠で発生しました。


下呂を過ぎたあたりから降り出した雨は、その量を次第に増やし、


久々野に差し掛かった時には豪雨となっていました。


その豪雨の最中、突然ワイパーが作動を停止したのです。


アームとリンケージの接続が外れたのです。


レインXなど高嶺の花で、気楽に塗布できる代物でもなかった時代です。


当然コーティングなど施されていないサニーのフロントウインドウに叩きつける雨で、


極端に視界が悪化しました。


サイドウインドウを開け、ずぶ濡れになりながら外に出した右手でワイパーを動かしました。


2輪の中型免許取得のため、ヤマハテクニカルセンター(通称テックー)に通っている時に、


勢い余って、道路から飛び出し、左フロントサスペンションをひん曲げて、


実家の店の鉄柱とサスをワイヤーで括って、勢いをつけてバックして、


適当にアライメント修正?をしたこともありました。


そんなこんなで、B110サニーで数々の痛い経験をした後、


ようやく自分専用車との生活が始まるのでした。

高校生の頃の私は、スクランブルカーマガジンの熱烈な読者でした。


マニアックな本を作るNEKOという会社を知ったのは、


モーターファンだったカーグラのどちらだったか定かではないのですが、


車雑誌の中にスカイラインGT-Rの本の広告が掲載されていたのがきっかけでした。


その後、小さな白い本シリーズの「HONDA Z」を書店に注文して取り寄せたりと、


NEKOかぶれが進行し、不定期刊行とはいえ、スクランブルカーマガジンの発行に


大喜びしたものです。



ホンダ特集や英国車特集等々、当時としてはマニアックな特集のみを連発し、


スーパーカーに熱狂した世代でありながら、ミニが大好きなどという天邪鬼的な嗜好の私にとって、


イタリアのハイパフォーマンスカー以外の外国車にスポットを当てる、いつ発行されるか判らない


スクランブルな自動車雑誌の完全な虜になっていました。



しかし、自分が所有できる車となると、スクランブルカーマガジンの誌面を飾る車は、


非現実的なものばかりでした。



身近な存在の国産メーカー・ホンダ特集の時でも、エスなんて高くて買えない(買ってもらえない)し、


シビックRS(SB1)なんて滅多に見ないし、外国車なんて有り得ない。



てなわけで、乗ってみたいなと思い、なおかつ価格的にも購入可能で、


さらには維持費も安そうなマニアック?な車ということで、


N360が欲しい車の筆頭となっていったのです。



ある日、岐阜の山奥の学校から帰郷した私は、


父親にホンダのディーラーへ連れていかれました。


発表後間もない、シティーターボ(ターボⅠ)の展示発表会が開かれていたのです。



ブラックメタや赤に青と、華やかなボディーカラーに身を包み、


パワーバルジも誇らしげな小さなボディーが並んでいました。


しかも本来の装備品であるフェンダーミラーは無く、


後付けですが、ドアミラーが装着されていました。


(ドアミラー標準装備車が出回ったのは昭和58年からだったような・・・)


そしてフロントフェンダーには、


東京マルイのプラモデルを作っては憧れていた、


BMW3.0CSLに装備されていたような形状のフィン(硬質ウレタン製?)が、


フェンダーミラー除去で生じた穴を隠すために貼り付けられています。


ボディーカラーはどうする?


サンルーフは付けるか?


やっぱりボディーソニックまでは必要ないかも・・・


と、私よりも盛り上がる父親。


私も、


「ブルーの車体にATSの6穴のホワイトのホイルを履かせたらカッコいいだろうな~」


と思いはしましたが、


父親とセールスマンの期待と予想を裏切り、契約書に判子を押すことなく、


ディーラーを後にしたのです。

晴れて免許を取得したとはいえ、学生の身分。


当然、自分専用のクルマなどありません。



仕事用のトラックに加え、代車兼自家用車ということで、ついに乗用車がラインナップ。


それは日産サニー(B110)でした。





マイナーチェンジ後の4ドアセダンで、グレードはGL(当然MT・クーラー無し)


オリジナルのボディーカラーは薄いピンクのメタリック。


初代ヴィッツに設定されていたような地味~なピンクは、


クリア層が傷んで艶消しになっていたので、親父殿はオールペンに出しました。


新たに塗られた色はB210のサニーによくありがちだった、水色のメタリック。



ホイルをハヤシストリートに、ヘッドライトはシビエに換装。


フロアマットは真っ赤なクーママット!



オーディオと言うよりもカーコンポは、パイオニアのフルロジックカセットデッキ。


スピーカーはTX7。


1DIN・2DINなどとオーディオの専用スペースが


確保されている時代のクルマではないので、


カセットデッキはグローブボックス下に吊り下げて、アンプはシート下に設置。


ハンドルはMOMOのウッド。


ボディーカラーに合わせた?ブルーのシートカバーはパイルっぽい生地。


当時流行!?のレースのカーテンは非装着。


現在であれば、17インチのアルミにHID。それからカーナビと本革風シートカバー装着ってとこ?



サニーのヘッドライトスイッチはダッシュボードに生えているノブを


引っ張ることで点灯する仕組み。


何の変哲も無いスイッチに思えるのですが、さにあらず。


ノッチが2段階となっていて、


1ノッチ目ではスモールランプとヘッドライトロービーム、

2ノッチ目でロービーム・ハイビームの点灯。


スモールとロービームもしくはハイローの切り替えは、


ウインカーレバーの前後への倒しこみ(通常のハイロー切り替え)。


信号の多い市街地では、1ノッチ目でロービームを点灯させて走行、


信号待ちではウインカーレバーを倒しこんで、ヘッドライト消灯状態。


どうしてこんな構造だったのかな?



当時最新?のプチドレスアップを施されたサニーは、


とある週末、人を迎えに駅へ行く途中、


脇見が原因でランサーセレステに追突。


さらに後続車B310サニーに突っ込まれ、


前後大破の全損となってしまったのです。

昭和57年2月。


この頃、教習所は、自動車免許取得のための高校生で、


溢れていました。



幾多のキャンセル待ちにより、


どうにか確保した教習時間を重ねて、


ようやく仮免を取得!


さあ深夜の特訓だ!と意気込んでも、


その頃の我が家には商売用として、


自動車といえば、トラックしか無かったのです。




ダットサントラック(520型)とホンダの軽トラTN7




ダットラはコラムシフトだったから、


教習車のマツダルーチェ(LA4系)とは勝手が違い過ぎていて、


夜の特訓用のクルマの候補からは当然除外。


しかし、このTNトラックが曲者であることは、


ギアチェンジするまで判らなかった。



パワートレーンはN360(通称Nコロ)譲り。


Nのミッションは、扱いにかなりのコツが必要。


TN7はN3と同様のシンクロメッシュタイプのミッションだったようですが、


フロントエンジンのNとは異なるリヤミッドシップであり、


シフトレバーからミッションまでの距離が広がっていることに起因する


シフト系の剛性不足からなのか、異常なまでにギアの入りが悪く、


初心者以前のレベルのドライバーにとって、


コツを呑み込むことなど不可能な芸当。


ギアが入らなかったり、ミスシフトしたりと、


とにかくギアチェンジが怖かった。(必ずギア鳴り音が発生!)



セルモーターとダイナモを共用する(通称セルダイ)


N系のエンジン特有の構造が発する、


「クゥクゥクゥッ」という独特の音が鼓膜に伝わり、


まるで鳩の鳴き声のような音で、


空冷2気筒エンジンは目覚めるのでした。