僕は鬱病経験者で現在も快癒してるとは言い難い
未だに鬱病は精神的な弱さだと言う人も多い
ストレスに対する対応が下手な所はあっても
精神的な弱さが鬱病になる原因とは限らない
それに鬱病は脳機能の明確な障害であり
目に見える症状が脳に起きている
もし精神論で片付けられるなら
極論
認知症もパーキンソンも精神論で治る事になってしまう程の事を言ってる
昭和にはニートも鬱病も今ほど居なかった
聞かなかったなんて声もあるけど
それは当たり前のことで
鬱病が認知され始めたのは
アメリカで1980年代からで
日本では1990年代になってからだ
言葉としても調査としてもそれまでは認知すらされてなかった
精神疾患が急速に認知されるようになったのは
アメリカのベトナム戦争後の帰還兵の問題が大きな転機だ
PTSD(心的外傷後ストレス障害)を始めとした
様々な精神疾患が彼らを襲い社会問題と化し
その対応対処の中で
精神医学と脳科学が大きな影響を持った
それが日本にも広がり
鬱や統合失調症等の精神脳疾患や
ADHDやASD等の発達障害が認知されるようになった
日本の場合は
それまでそう言った事があったら家族親族が隠蔽してきた
家族の恥をさらさないと言う考え方が根強くあり
三世代同居等が多かった昭和年代では
表に出づらかった
それが核家族化で両親と子供だけになると
隠す事の方が難しくなり
離婚率の上昇でそれに拍車がかかった
元々精神疾患や脳疾患の調査は明治時代から行っていたが
明確や判断基準もないなかでの調査しかなかった
それが1990年代後半には世界的な診断基準(DSM-IVなど)ができ
調査の精度と世間の認知も広がっていった
実際には昭和の段階で気分障害の増加はあったが
そこにあったのは偏見と隠蔽だ
国や行政の委託調査は規模が大きくなり
精度も上がった結果
平成や今は良く聞く言葉となっている
根性論で語る昭和世代が
忘れている最も悪い一面は
昭和を作ったのは昭和世代でなくその前の世代で
平成を作り上げたのは昭和世代
今を作っているのは平成世代だ
もし今の世の中が昭和世代に合わないとか
昭和は良かったと考えるなら
自分達が昭和を壊した事を忘れて語るのは
最も悪い事だと思う
自分達の人生に誇りを持つのは当然だけど
それを忘れて語るのは
どうかと思う
根性論も時には必要だけど
それに固執して
自分達の時代はなんて言い出したら
それは老害にしかならない
先ずは今をよく知って
それを踏まえて言葉を選ぶくらい出来ないと
誇りが埃に変わってしまう様に思える