上の子には小さい頃から本は惜しみなく与えてきました。
上の子とぷしゅおはちょっぴり歳の差兄弟なんですけど(不妊治療や流産を経験しています)、ぷしゅおを妊娠する前から「下の子まで読むから」と良いと聞いたり思った本はすぐに新品で買いました。
しかし、待望の第二子であるぷしゅおはおそらく知的障害があり、最近それも軽くはない気がしています。
発達検査は遠城寺だけでぷしゅおに対しての検査はしたことがないのではっきりわからないのです。
となると、知識系の本(「かがくのお話」とか「はたらく細胞」とか)は将来的にも読めるようにはならないだろうな…と先日上の子の本棚を整理していて思いました。
文字を読めるようになったら機能的には可能になるかもしれませんが、世の中の科学的なことや細胞の話を知る必要のある世界線にはいないだろうな、という感じ![]()
今上の子は児童文学を読み始めているところで何冊か買っていますが、どうせぷしゅおは読まないしと思うと新品で買うのも馬鹿らしくなってしまいブックオフとかメルカリで中古を買うようになりました![]()
上の子が読書好きで自分から児童文学を読みたがっているなら新品をと思いますが、私が「嫌でも今後読まなくてはいけなくなるから。常識や教養として知っておいた方が良いから。」と勧めているだけなのでね![]()
どうせ1回読んだら読み返さないだろうし、それに1000円近く出すのも勿体無いなんて思ってしまうんですよね![]()
上の子の本棚を整理していると「これは年齢的にもう卒業ね」と思う本が出てくるわけですが、それをぷしゅおが将来読むようにはならないと思うとなんとも言えない悲しさ・虚しさが襲ってきます![]()
上の子が卒業した本はぷしゅおが「読めるようになりそうな本」「もしかしたら読めるようになる可能性がありそうな本」「おそらく無理(必要ない)だろうなという本」に分類しました。
これからぷしゅおの知能がどこまで伸びるかは未知数ですが、あくまでも今のぷしゅおの印象で分けました。
おそらく無理(必要ない)だろうなという本はメルカリに出し、汚れがあるものは次の資源ごみに出します。
家が狭くて置き場もないし、読めるようにならなさそうな本を持っているのもつらいんですよ…![]()
「いつか2人目が出来たら読むようになるだろうから」と買った時の希望に満ち溢れていた自分を思い出すと辛くなります…。
誰でも障害のある子を生む可能性があること、親族に発達障害がいる私の場合その確率は普通よりは高いことはわかっていたはずなのに、実際に障害がわかって育ててみると全っ然受け入れられません。
1歳代から通院して複数箇所療育に通わせていて表面的には子の障害を受容しているお母さんをしていますが、やっぱり根底のところでは受容出来ていないんですよね。
もうぷしゅおの障害が軽いとか療育の成果や本人の成長で定型に近づけるとか夢は見ないから、せめて私の心を受容に向かわせて欲しいです…。
母親が自分のことでネガティブになってばかりのぷしゅおも不憫です![]()