そんな折 カウンター越しの私たちの会話に妙に深く頷く男がいた。
教育系の職種。1人でも多く 有名校に合格させ 他校との格差をださなければ 自身も生き残れない
その為 日々 必死ですと、その彼が言ってきた。
私より10歳ほど若かったと記憶する。
風邪をひき 治ったが そのあとも体がしんどい日々が続いたという。
丁度その頃
職場検診で 腎機能を指摘され 翌日 総合病院へ。 腎生検となり 後日 Iga腎症と診断。
「自身 元気の塊だったので Iga腎症です。食事・生活管理必須ですと言われても 意味が理解できかったです。だからしんどい中でも 就労してました。でも そのうち 腎機能が低下して 透析になって行きました。」 その言葉に私。
「私も 腎臓病=ネフローゼ症侯群 長いですけど 透析を受容するまでの 肉体的しんどさや これからの不安 焦燥感 そして恐怖等。つらかったでしょう。」
だが 彼の言葉 以外だった。
「否。皆から同じこと時おり言われますが、それほどでもなかったんです。子どもの進学 家の改築ローン等 当時の私には 立ち止まり 考える余裕なんて一歩許されなかったんです。
それより Iga腎症保存期から腎臓透析 言い渡された時でさえ 来るべき変化のなかで 自身の就労スタイルがどう変わっていくのか そして どんな 就労スタイルができうるのか そんなことばかり気になっていました。」
そんな彼の語調には ブレはなかったし その横顔にも力みも感じなかった。淡々としていた。
「覚悟の深さと・器の大きさの違い」を、感じた気がした記憶がある。
AM 嫁さんと息子 3人で 参議院議員の投票に行った。
20歳になった息子は その出口で 出口調査に応じていた。
上空には 数本の飛行機雲が観えた。