集団ストーカー 音声送信 電磁波攻撃 4 | パパケベックの総合ブログ

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集団ストーカー 音声送信 電磁波攻撃 4


遠隔テクノロジーの加害組織は多くの集団ストーカータイプの被害者を作っている。


集団ストーカータイプは身近に加害者とか工作員がいると思い込んでいることが特徴だ。


集団ストーカータイプの被害者は身近に加害者の「存在を感じ」、それで「意識している」。


身近に加害者の存在を感じるのは、声・痛み・感情的な感覚・心臓ドキドキなどの感覚を感じるからだ。それらの感覚を遠隔から作られる。


遠隔から作られた感覚を感じて身近な加害者を意識する。


被害者は正しいことを言っているのだが、実際には本物そっくりのニセモノの感覚だ。

 


加害組織が作り出すニセモノの感覚を見破れないために被害者はずっと身近に加害者がいると意識する。その意識は不安や警戒感などの精神状態でもある。そして、ストレスでもある。

 

■マインドコントロールでの第三者


第三者は被害者と関係ないし、加害組織とも関係ない。加害組織はその第三者を加害者のように被害者に思い込みさせる。


方法は、本物そっくりの音声送信・「脳内音声」「幻聴」と体の感覚刺激だ。


1 加害組織は被害者に第三者の声のように聞かせる。


2 加害組織は被害者に第三者を知覚した時に感覚刺激を行う。(たとえば心臓の鼓動など)


それで被害者は第三者を知覚した後に声や感覚刺激で第三者を加害者のように見なす、というだけである。


そんなことが不可能だと考える被害者にはあてにならない話だろう。だが、加害者の証拠など一つもない。しかし、加害者だと判断する根拠は経験済みだ。


1 加害組織は被害者に第三者の声のように聞かせる。


簡単な状況だが、その言葉はプライバシー等ににかかわることを仄めかす。これが重要な点だ。


加害組織は、被害者に周りから狙われているように思わせるような言葉を聞かせるはずだ。


被害者が聞く声は、他の人には聞こえていない。なぜなら、被害者の脳内に聞こえている声だから、被害者の脳内に作り出された声・言葉の意識だからだ。これがわからないから集ストタイプの被害者はいつでも同じように加害を考える。


遠隔から人の脳やほかの神経をコントロールしてあたかも現実に聞こえる声を頭の中に作り出すなどあり得ないと考えるはずだ。被害者以外ならそう考えても特に関係ないことだが、被害者がそう考えるなら行き場のない判断をするしかない。

 

→あの人が加害者だ!


その判断から抜け出られないのは、被害者の聞く声が本物そっくりだからだ。方向性もあり、距離感もある。離れたところからの声はそのように聞こえる。近くからの声も同様だ。


だから被害者は被害実感から身近な人から聞こえた声だと判断するしかない。しかも加害組織は被害者を常に思考盗聴している。被害者が身近な人をどのように意識しているかもちゃんとモニターしている。


「怪しい?」その瞬間的な判断も加害組織は思考盗聴している。言葉でなくてもいいのだ、感情的な判断でもモニターされているのだ。

 

加害組織が無関係の第三者を操っていると考えることは、加害全体を間違って理解する根拠になりかねない。その考えは、被害者にとっては何も進展しないし逆に妄想の強化策になりかねない。


http://blogs.yahoo.co.jp/patentcom/14459597.html


彼は両方を操っていると考えているようだがそうではない。同じ場所で第三者の方向から「仄めかす」音声送信の場合と第三者の仕草を知覚した被害者の反応から被害者に感覚刺激を作り出す方法があるのだ。


いろいろな加害方法を経験したことのない被害者、被害者以外だと私の言うことは途方もないと考えるだろう。


加害組織は被害者を思考盗聴しながら被害者の向く方向に人がいることをモニターしたり、被害者が第三者をどのように考えているかモニターしつつ、被害者に音声送信や感覚刺激であたかも第三者もかかわっているように思わせる。

 

 

2 加害組織は被害者が第三者を知覚した時に感覚刺激を行う。(たとえば第三者を見たときにいやな人だと直感的に感じたときに心臓の鼓動など)


加害組織は、被害者から見た第三者が何も言わずとも仕草も特になくても音声や感覚刺激で被害者が加害者だと思うように仕向ける。


タイミングがいいのは、思考盗聴しつつやっているからだ。


要は、被害者が身近に加害者がいるように思わせればよいのだから、第三者が見えなくてもいいのだ。


例・・・屋外から聞こえる仄めかしの声。

 


※※※※※※※※ 加害組織は思考盗聴しつつやっているから第三者のタイミングがいい「仄めかし」や「仕草」になる。その反応のシステムはおよそ自動だろうと思う。被害者の特定の脳活動に反応するように仄めかしの言葉を作り出し、感覚刺激を作り出すと考えていい。 ※※※※※※※※


つまり、加害組織の一員がその都度スイッチを操作して言葉を作り出したり、感覚刺激を作り出すわけではない。(もしかしたら大勢の被害者をまとめてシステム的に操作しているかもしれない。なぜなら、集ストタイプの被害者の加害組織に対する意識は、単純だからである。)

 

加害組織は被害者が第三者をどのように意識するか、ある程度予測している場合もある。それは一定期間思考盗聴していれば大よそ正しい予測が可能だろう。

 


※※※※※※※※ 言っておくが思考盗聴は、言語レベルじゃない。精神レベルだ。その意味は、被害者並みの意識レベルで加害組織にモニターされているということだ。 ※※※※※※※※


「そんなことできるわけがない」と考えてしまえば加害組織にとっては利益がある。なぜなら身近に加害者がいると考えてくれれば、それ自体で妄想の植え付け、マインドコントロールの状態だからだ。

 


加害組織は第三者と被害者を両方とも神経コントロールしない。もちろん、不可能ではないと思うが。私の言っている意味は、加害組織が第三者に喋らせるとか何かの仕草をさせるわけではないことだ。


要するに、加害組織が第三者を操ることを考えても意味がないのだ。それを言うなら、操られている被害者が自分が操られていると考えないことだから、矛盾しているのだ。


加害者は誰をターゲットにしているかの原点を欠いてしまうと、加害組織が第三者を操る、と考えるのだ。

 

加害組織が第三者を操るという考え方は、集団ストーカータイプの被害者の加害の見方に過ぎない。その考え方が創価学会とか、身近な隣近所の人を加害組織に見立てる妄想をより強固にするのだ。

 

■マインドコントロールは精神・意識のコントロールだ


どのような精神にコントロールするかは被害者がすでにたくさん経験している。半端な精神ではないはずだ。恐怖心にしろ、懐疑心にしろ、そういう意識・精神を加害組織によってコントロールされる。


コントロールされた意識・精神が最大の被害と言うことだ。


その精神の一つが身近に加害者がいるという意識的な判断なのだ。加害者が身近にいれば当然警戒する。恐れることもある。


被害の核心部分がコントロールされた意識・精神だからその被害を取り除くにはその意識・精神を取り除くしかないのだ。すなわち、あの人が加害者だ、という意識が加害組織によってコントロールされた判断だと気が付くことしかない。


とはいえ、現実では、加害者からの声は歴然とした事実認識だ。だから被害者はその経験にしがみついて現実認識に何一つ疑いがない。

 


加害組織の技術・方法は、うまくできていると思うはずだ。被害者にとって加害は事実認識以外の何物でもない。


疑いを持つ対象が自分の事実認識に向かず、ひたすら事実認識に基づく相手方の存在になる。


「加害者かな?そうだろう、確かに聞こえた。」


それがやがて、


「また加害か。しつこいな。」に変われば被害者の事実認識から抜け出られない精神状態になる。


その精神状態こそが動きようのないコントロールされた精神と言うわけである。


■加害の事実認識を疑えば?


被害者は執拗に、毎日、何度も、どこでもついて回ってくるような状況を作られて身近に加害者がいると思い込んでしまうのは仕方がないと言えば仕方がないが、もう少し状況を考えたらその判断、おかしな点が必ずあるはずだ。


おかしな点を感じて加害=被害の整合性のために加害理由を身の上から導き出しても、ヘイト思想から持ってきても、いずれも妄想の強化策にしかならないのだが・・・・


植えつけられた妄想を自ら強固にする点は、行動誘導されて被害を大きくするのに似ている。


加害組織の方法は人の性をうまく利用している。


わからないものでもそれが自分に対する加害ならば、何とか理解しようと意識する。


身近なところからの声は、なにも疑いないはずだーーー被害者の事実認識。


そこに疑いを疑いを持たなければ何も進まない。


被害者の中には私のような断定的な言い方に面白くない感情を持つだろうが、身近な加害者を考えているうちは、何も進まないことを言っておく。文字通り、何も進まないからただひたすら被害から抜け出ることや犯人追跡をしたり、行政に要請したり、街頭宣伝しても何も進まないことを断言しておく。


被害は、マインドコントロールだ。それを取り除くには疑いをはさむ余地のないものを疑うしか残っていないのだ。