趣味でも仕事でも

「これ、楽しい!爆笑」「これ、好き!ラブ」「もっとやりたい!おねがい

って思うことがあった時、

 
それに向かって、ただ夢中でやり続けている時は
「自分にとって大事なものが見つかった!」と思えて嬉しい。
 
嬉しくて、楽しくて、ひたすら続けていくうちにふと周りを見渡すと、
 
自分よりも
ずっと上手くて、経験値があって、すごく成果を出していて
好き!楽しい!
と夢中でやっている相手がいることを知る
 
まじか…
 
 
その時
「それに比べて私は本当に好きなのかな…ショボーン
「なんのためにやっているのかな…ショボーン
「もしかして、向いていないのかな…ガーン
「これだ!と思ったのは、勘違いだったかな…ガーン
「あんなに出来て、羨ましいな…えー
 
と相手に嫉妬し、急に自分を疑い始める。
 
 
 
 
何かをやり続けるには、葛藤がつきもので
ある時を境目に
 
楽しくないとできないけれど、
楽しいだけじゃできない場面に出くわす。
 
 
やりたい!でも止めたい!
どうする?ホントに?何のために??
 
そうして葛藤した先に
 
…うん。やっぱり、やろう。
 
 
そうして踏み出して一歩進む。
するとまた一歩先に、また新しい葛藤が生まれる。
 
 
やりたい!でも止めたい!
どうする?ホントに?何のために??
 
…うん。やっぱり、やろう。
 

そうやって一歩進んでは悩み、また一歩進んでは考えることを繰り返す。
 
 
 
じゃあ、自分よりも、ずっと上手くて、経験値があって、すごく成果を出していて
好き!楽しい!と夢中でやっているように見えるその相手は
そんな葛藤はなかったのだろうか。
 
あるとするなら、自分と相手との違いはなんだろうか。
 
 
 
それはきっと葛藤を超えた回数の違い。
 
葛藤を超えた回数が1回の人よりも、10回の人の方が
やりたい気持ちを持ち続ける方法を知っている。
 
葛藤を超えた回数が10回の人よりも、100回の人の方が
自分は何のためにそれをやるのかが明確になっている。
 
葛藤を超えた回数が100回よりも1000回の人のほうが
やめたい自分にブレーキをかけて、目的へ向かう方法を知っている。
 
 
自分よりも、ずっと上手くて、経験値があって、すごく成果を出していて
好き!楽しい!と夢中でやっているように見えるその相手は、
初めから上手く行っていたんじゃない。
葛藤がなかったわけじゃない。
 
むしろ、たくさんの葛藤を超えているからこそ、
その経験が思いや行動となって
上手くできているように見えるんだ。
1回しか葛藤を経験していない自分には
決して想像もつかないような
葛藤を超えているんだよね。
 
だから、その頭をかきむしりたくなるような葛藤は、
自分の経験値を上げるチャンスなのだとしたら、
私はやっぱり大切に超えていきたいと思う。