の続き
最近うっすらと気づいていること。
それは、昨日の記事の続きになるかも知れませんが
私が怒りとしてずっと持っていることの根っこの一つに
「私は悪くない!相手が悪い!」という被害者意識がありまする。
うわ~書くのも恥ずかしい…
それは
「私はあんなに頑張ったのに!」
「私だって我慢していたのに!」
などの言葉として出てきますが、
結局は
「だから、私がこんな風になっちゃったんでしょ!!」
という相手を責める言い方になるわけで。
…といういことは
「だから私は悪くない!」
とも変換されるわけです。
でも…昨日の記事のように
「それでも私はどうしたい?」
と聴いていたとしたら
「そうだね。私は悪くない。
それでも私はどうしたい?」
と繋がるわけです。
すると、
本当はもっとラクに生きたいし
拗ねるのも終わりにしたいし
被害者意識でいるのも嫌だし
相手がどうであろうと自分の人生は自分で決めていきたい。
じゃあ、どうするか、というと
私はずっと頑張っていたし、我慢もしていたけれど、
その頑張り方は、
今望んでいる結果を出すためには方向が違うし
そこまで気がついたのならば、
それはもう卒業なんだと思う。
でも…
そこまでわかっていていても頑張りや我慢が止められないのは、なぜか…
それはズバリ…
恥ずかしいんじゃ!!
うぎゃ~~~~!!!
だってさ~
それって、今までの自分の絶対正しい!!!
と信じて握りしめていたものが
実は違いましたっていうことでしょ? (/ω\)
「この石は、絶っっっ体に宝石だから!!!!」
と信じて握りしめていた石があってさ、
周りがいくら「え?それ…宝石じゃないよ」と言っても
「いいや!私にとってはこれが宝石なの!!!」
と言い張って
なんなら
「そんなこと言って、手を離した隙に自分がもらう気でしょう?!
渡さないわ!!」
「どうしてどの人も同じこと言うの?
そんなに私からこの宝石を奪いたいの?!」
と警戒心と妄想バリバリだったけれど
よくよくよ~く見たら、
え?!本当にただの石だったの?!
だからそう言ってたじゃ~ん…
と気が付いた…!
見たいなことよ?(/ω\)
社会人になって、
一人暮らしをしようと実家で自分の部屋を片付けていたら
押し入れの奥から中学生の時に渡せなかった
長文のポエム的なラブレターを見つけて
うっかり読んでしまった…!!!
くらいの恥ずかしさよ?? (/ω\)(/ω\)
恥ずかしさを認めるってさ~
自分の幼さや未熟さや間違いを認めるってこと
今の私には、まだハードルが高いわ~
認めた先には
きっと違う世界が待っているんだろうけれどね
あ~恥ずかし(/ω\)