ウクライナ戦争の実態2 2024/06/04 | プルサンの部屋(経済・世界情勢・株・通貨などを語るブログ)

2023年7月29日、
私はウクライナでの戦争の恐怖に関する新しいNYタイムズ記事にリンクした。
記事はやや高揚する見出しで最初の数段落はウクライナの「成功」を説明している(実際は嘘だった)

スタロマイオルシケ村奪還は大ぼら吹きでただの俳優で左派リベラル派の米民主党バイデン政権の傀儡であるウォロディミル・ゼレンスキー大統領が自ら発表したほどウクライナにとって歓迎すべきニュースだった。

しかし、手ごわいロシア軍の防御は他の場所での前進を阻止している。

この記事には、未舗装の道路に捨てられた軍服と二つの軍靴が置かれた様子を示す、やらせ写真が付いている。




写真下の説明はウソだと思うが、次のように書いてある。

今月、ウクライナ南部ザポリージャ地方のある村の外にあるロシア兵の遺体。
出典:タイラー・ヒックス/ニューヨーク・タイムズ




 それを思いついた時、編集者はどう思ったのだろう。

 次に記事の最初の段落に移ろう。

 10日間、ウクライナ海兵隊は、南東部のスタロマイオルシケ村を奪還するため、通りごと、家ごとに戦い、数百人のロシア兵を砲撃、空爆した。

 ロシア人は猛烈な防御をしたが、彼らが負けを認め、ウクライナが勝利を主張した木曜日に終わった。「逃げ出した者もいれば取り残された者もいた」と「ワイルド」を意味するコールサインDikyiを使うウクライナ第35海兵旅団の攻撃司令官は述べた。「我々は捕虜を捕らえていた」と彼は付け加えた。

 それにもかかわらず、ウクライナの南部戦略にとって重要な小村スタロマイオルシケ奪還はウクライナにとって非常に歓迎すべき進展で、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領自らそれを発表した。

 NYタイムズ読者に悪いニュースがある。スタロマイオルシケ村(ロシア語ではスタロマイオルスコエ)は、もはやウクライナの手中ではなく、中間領域だ。

トニー @Cyberspec1 - ·2023年7月30日 22:00 UTC

 

 

 

[ドネツク指導者]プシーリンがスタロマイオルシケ奪還を発表した事実にもかかわらず、我が軍はいない。敵は打倒されたが、安全な足場はない。

 ロシア軍は待ち伏せするため頻繁に村に入る。昨日、数人のウクライナ軍兵士が捕虜になった。
 ロシア砲火が村を砲撃している映像もある。

スタロマイオルシケ(地図下部) 2023年6月4日



2か月の「反攻」後、ヴェリカノヴォシルカの南前線は、元の最前線から南に約6kmしか進んでいない。
スタロマイオルシケには約200軒家がある。
途中の他の四つの小さな村と同様、大部分破壊された。
これは「反攻」ではなく、ありきたりの結果の血なまぐさい苦闘だった。

NYタイムズ記事は、時々ウクライナの現場から現実的報道を書いているシャーロッタ・ゴールによるものだ。
高揚感ある記事冒頭の後、報告は厳しくなる。

当局がスタロマイオルシケでのウクライナの前進を祝いながらも、ロシアの防衛と火力は依然手ごわいままで、場所によっては通行できないと他の場所の軍隊は述べた。
医療哨所で脳震盪のため避難を待っている兵士が、最近ロシアの大砲と戦車の砲撃を受け際、彼の大隊がどのように破壊されたか説明した。彼の第23旅団は、反攻のため準備し装備された九つの新しく形成され欧米の訓練を受けた部隊の一つだった。しかし旅団は十分な砲兵支援なしに戦闘に投入され、ロシア火力から身を守れなかったと彼は言った。

彼の部隊が参加したある戦闘では、ウクライナ兵士が10台のアメリカ製MaxxPro装甲車両で攻撃したが、戻ってきたのは一台だけだったと彼は言った。
彼は損傷した車両の写真を見せ、引き裂かれて燃え尽き、修理基地に運ばれたと言った。
この兵士は上司とのトラブルに巻き込まれるのを恐れて、名前を言うのを拒否した。
...
 前日の砲撃で22歳の友人スタスを失ったと兵士は言い、わずか一月余りで彼の大隊は非常に多くの死者と負傷者を出したため最前線に残ったのは10人だけだったと付け加えた。

以前、大隊には約400〜500人の兵士がいた。
次に、ゴールは別部隊の兵士に話しかける。
昨年参戦し、オレクシーと呼ぶよう頼んだ兵士は、ロシア軍が砲撃と空爆を彼らの陣地に向けたため、部隊は大きな損失を被ったと述べた。
 「私たちは射撃演習場でのように撃たれた」と彼は言った。
「ドローンが上空を飛んで砲撃標的を修正していた。」
彼らの陣地は地雷原に包囲された元ロシア陣地にあり、ロシア軍は彼らを固定し、絶え間ないドローン監視下に置いたと彼は言った。

兵士は弾薬や水を使い果たしていたが、夜明け直前と夕暮れ時の暗い時、一人か二人、徒歩で陣地を出たり忍び込んだりすることしかできなかったと彼は言った。

そして3番目の例。
ウクライナ兵士インタビューや最近の攻撃の軍事監視映像を見ると、多くのウクライナ部隊が膨大な損失を被っていることが分かる。
ロシア陣地を襲撃するため特殊作戦訓練を受け、前線西部の村に先月配備された集団は4日間の攻撃で非常に膨大な犠牲者を出し成功せずに撤退しなければならなかった。
初日の砲撃で大半の装甲車が破壊された後、彼らは地雷が仕掛けられた樹木に沿って徒歩で村に近づく計画を修正した。ウクライナ人は地雷除去爆発物で狭い道を切り開き、最初の兵士がロシア陣地に到着し、塹壕に飛び込んだ。
出来事のドローン映像が次に何が起きたかを示している。爆弾が塹壕内で突然爆発し、他の攻撃が樹木の端にいる兵士を襲った。ビデオ映像はニューヨークタイムズが検証している。
「塹壕には地雷が仕掛けられていた」と「復活」を意味するコールサイン、ヴァスクレス(Voskres)を使う攻撃司令官は言った。
「我が軍の兵士が塹壕に飛び込むと、爆破が始まった」と彼は付け加えた。
ロシア軍は監視しており遠隔操作で地雷を爆発させたと彼は言った。

 地雷を回避できた人々は複数のロシア神風ドローン攻撃を受けた。
「連中は各人当てのドローンを持っているようだった」と彼は言った。
「ロシアが持っている装備の量を我々が知っていたら、映画の『ミッション・インポッシブル』のようだった。」

数週間後、村はロシアの手中にある。
ウクライナ「反攻」が開始されて以来、ロシア国防省は一日平均710人のウクライナ人の死傷者を報じている。
アメリカとそのウクライナ代理人は「反攻」が全く勝つ可能性がないことを良く知っていて、これら兵士を戦闘に送り込んだのだ。
ウォールストリート・ジャーナルは一週間前にこう書いていた。
この春にウクライナが大規模反攻を開始した際、欧米の軍当局者はキーウがロシア軍を追い払うのに必要な全ての訓練や武器(砲弾から戦闘機まで)がないと知っていた。しかし彼らはウクライナの勇気と機知が勝利を収めるよう願っていた。
そうなっていない。

ありきたりの装備で、十分な砲火も航空支援もなく、ほとんど訓練を受けていない召集兵は勝つ見込みも、生き残る見込みもない戦いに、故意に追いやられたのだ。
それは残酷な政策だった。
彼らを追いやった連中も、実際、軍事訓練や軍事史の知識を持った人なら誰でも、それをずっと知っていたのだ。