「レット・イット・ビー」再考
ビートルズファンにとって最も評価のしづらいアルバムは「レット・イット・ビー」ではなかろうか。
リリースタイミングからしてみると「レット・イット・ビー」はビートルズのラスト・アルバムではあるのだが、それは単にリリースが遅れたからであって最後のレコーディング・アルバムは69年9月リリースの「アビイ・ロード」である、というのが通説です。
が、細かいことを言うとビートルズとして最後にレコーディングしたのは映画のサントラのためにヴォーカルを録り直したり演奏パートを差し替えたりした70年1月のことで(ジョンを除く)、実質的な最後の録音という意味においてはやはりラスト・アルバムは「レット・イット・ビー」になる、と捉える向きもあり、そもそも「レット・イット・ビー」自体が本来は「ゲット・バック」というタイトルで発売する予定だったわけで、もっと言えばニュー・アルバム自体を発売する予定がそもそもなかったわけで、そこらへんがビートルズの解散劇のややこしいところでありまた面白いところでありまた悲しいところなのだとワイは思ってます。
映画「レット・イット・ビー」は、元々はテレビの特集番組でライヴを行うという企画が発端で、リハーサルの様子も映像に収めたドキュメント・タッチの番組にしようというので始められたのがゲット・バック・セッションと呼ばれるものです。
ゲット・バック・セッションは69年1月に行われ、大きく二つに分けられます。
1月の前半がトゥイッケナム・スタジオで行われたセッションで、後半がアップル・スタジオで行われたセッション。
なんでセッション場所が変わったのかというと、ジョージが一時的とは言え脱退したからです。
脱退したジョージが復帰の条件として出したのが、
トゥイッケナムでのリハーサルは中止
今やっている新曲をまとめてアルバムを出す
というものでした。
この地点でテレビ番組の企画というのはボツとなり、映画に切り替わったんかな。
伝説的なあのルーフトップ・コンサートも映像のラストに相応しい盛り上がりが欲しいという、今でいうところの「撮れ高」が欲しいっちゅうのもあったみたいやし。
トゥイッケナム・スタジオでの演奏は非常に散漫なものが多く、もちろんそれはあくまでリハーサルということだったのですから仕方がないとも言えますし、また、映像用の録音しかしていなかったので演奏も音源も高品質のものはなく、最終的にこれら映像が映画化されると決まった後にも映画で使われているからという理由で一部録り直された「アイ・ミー・マイン」や「アクロス・ザ・ユニヴァース」があったにもかかわらず映画で披露されたままの「スージー・パーカー」(正式タイトルは「Suzie's Parlour」)やアップテンポの「トゥ・オブ・アス」なんかが「アンソロジー3」に収録されなかったのはそうした理由によるものでしょう。
このあたりの話が音楽雑誌のビートルズ特集でも触れられていないのがやや残念です。
また、スタジオを移すにあたってジョージが黒人キーボーディストのビリー・プレストンを連れてきたというのも注目すべきで、そういう意味では結果としてジョージはいい仕事をしたと言えるのかも知れません。一時的な脱退も含めてね。
解散前のビートルズの面白いところはこのセッションがアルバムとしてまとまらなかったことで、制作を任されたグリン・ジョンズはアルバム「ゲット・バック」のミックスを二回行いますが、結局は二回ともメンバーからダメ出しをくらい、デビュー・アルバムと同じ構図で撮られたアルバム・ジャケットは後の青盤と呼ばれるベスト・アルバムで使われることになります。
その後、「ゲット・バック」はフィル・スペクターがプロデュースすることとなり、タイトルは「レット・イット・ビー」に変更され、コーラスやオーケストラをオーバーダビングしたその内容はポールを激怒させるわけですが、まあそんないきさつを詳しく知れば知るほどアルバム「レット・イット・ビー」ってどうなんよ?となってしまうのもいたしかたのないところでしょうか。
ワイは「ゲット・バック」のファースト・ミックスをブートで持ってるが、正直なところ公式リリースするにはあまりに演奏に張りがないと思います。
オーバーダビングなし、というコンセプトには最も近かったのかも知れんが。
女の子に例えるなら、
「ゲット・バック」は寝起きのすっぴん
「レット・イット・ビー」はばっちりメイク
「ネイキッド」はその画像を更に加工したもの
てな感じでしょうか。
以上、ゲット・バック・セッションから50年ということでいくつか関連本を読んだのが今年の前半で、
ま、興味のある人にとって何等かの補足になればええかなと思ってます。
また、真冬のロンドンの、だだっ広いトゥイッケナム・スタジオは寒々としたイメージがありますが、写真を見る限りではジョンなんかは半袖ですし、
50年も経ってりゃイメージも独り歩きするものですよ。
そして、全盛期のビートルズのライヴは姿は見えるがファンの女の子の嬌声で演奏がほとんど聞こえなかったのに対し、一方で最後のルーフトップ・コンサートは姿は見えないが演奏が聞こえる、という逆転現象が起こったというのも面白いですな。
とは言え最後となったこのライヴはあくまでレコーディング・セッションの一環で行われたという側面もあり、同じ曲を何度も演奏したりしております。
厳密に言えば「ルーフトップ・ライヴ・レコーディング」ということになるかと思います。
最後に。
「ゲット・バック」というのはポールがオノ・ヨーコに向けた曲なのではないか、とワイはちらりと思ってます。
「オマエ、日本に帰れよ。オマエがいなくなればオレはジョンと一緒にビートルズを続けられるんじゃ。」と。
Get back where you once belonged.(かつて居た所へ戻れ)
で、結局のところアルバムとしての「レット・イット・ビー」はどうなんよ?というとこれはこれで普通にアリだと思います。
プロデューサーが変わろうがリリースが遅れようが、それも含めてその時のビートルズだったのだ、と。
おまけ:
ようわからんのがアルバム「ゲット・バック」のジャケの別カットではメンバーの上着が違ってること。
着替える必要あったんか?或いは別の日にわざわざ撮り直したんか?
あと、原点に帰るというコンセプトは、68年初頭の「レディ・マドンナ」のプロモーション写真の撮影が原点にあるのでは?とワイは睨んでます。
髭なしの笑顔の四人はアイドル時代のそれを意識しているように思うのです。