誰でも悲しかった思い出や辛かった思い出の一つはあるだろうが、 それを乗り越えられない障害は人生に与えられてないと言われてる。 そして実際 生きて来た今までの人生を振り返って見ると 何とか乗り越えて来られた事が分かるであろう。 

 

 

 

 

しかし その悲しかった事やちょっとした心配事などきっかけに 暫くの間低迷期困惑から抜け出せなかった時期を経験した者もいるのではないだろうか。

 

 

 

 

そんな時 人々は心の傷をどの様に回復できるのか、どうしたら人生を謳歌して生きられるかを考えるだろう。 試行錯誤で人々は生きている中、 私にはシンプルな解決策がある。 それはバイブルに沿って生きると言う事。

 

 

 

 

ある親しい姉妹は半年前に最愛の長男を亡くした。 子を持つ親にとっては最悪な悪夢であって 最も起こって欲しくない事だが、 不運にも それが彼女を襲ったのだった。 彼女の息子は亡くなってしまった。 

 

 

 

 

その彼女が 電話をかけてきて 一番始めに告げた言葉は「息子が死んじゃった…」だった。 私の頭は一瞬真っ白になった。 友人から電話があり、 普段だったら他愛もない会話から始まるであろうものが、 この時は全く予期せぬ言葉だった為に 頭が一瞬空白となった。 母としての人生を生きてる私は 会話の内容が余りにも辛い中でも 彼女の一言に衝撃と共に感銘を受けたのだった。

 

 

そんな彼女は私に「息子が死んじゃった事実は悲しいんだけど 心に平安があるんです…」と泣きながら告げたのだった。

 

 

 

 

私の信じてる神はどんな時にでも心に平安をくれる神なのだ。 今まで崇拝してた神々、 魔術やサイキック等では全く得られなかった心の平安、 最愛の子を亡くした時でさえ神が私達を支えてくれる その愛の平安。 それを持たないのなら どうなるのか? きっと 悲しみに明け暮れる日々へとなり、 自分だけではなく周りの者達へまで悪影響となって行き、 ずっと悲しみから抜けられぬまま 生きて行く事になり兼ねない。

 

 

では 亡くなった子は どう思うのか? 悲しみから抜け出せずにいる母を見て、 何と思うのだろうか? また愛する家族達が悲しみだけの人生だと言う事を喜ぶだろうか? それよりも 幸せになって欲しいって願うのでは無いだろうか。

 

 

息子を亡くしたばかりの姉妹の言葉が この世的な人の思いとは違い、 余りにも衝撃的だったのだが 本物の神を知ってる私には「本当に救われてる者の証」を実感した瞬間だった。

 

 

 

 

 

ヨハネの福音書 8:32

 

あなたがたは真理を知り、その真理があなたがたを自由にするのです」と言いました。

 

 

 

ピリピ人への手紙 4:4

 

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

 

 

 

ピリピ人への手紙 4:7

 

そうすれば、人間の理解をはるかに超えた、すばらしい神の平安を経験します。キリスト・イエスにあって、その平安はあなたがたの心と思いを静め、安らかにしてくれるのです。

 

 

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