皆さん、たばこは吸われていますか?


私は、去年健康上の理由からタバコをやめました。


私はそれまで、2日で60本くらいタバコを吸っていましたが、
健康診断で肺に影が映り、再検査では異常はなかったのですが再検査の結果が
出るまでの間、タバコはやめようと決心しました。


それ以来、一本も吸ってはいません。

その時あることに気づきました。


タバコをやめると、なぜか出費が多くなるのです。

タパコをやめたことのある人は誰でも経験しているのでしょうが、
やめてしぼらくは頭がポーとしています。


それがすぎると、
こんどはやたらに食欲が出てきて、とくに甘いものが食べたくなります

この食費が、うっかりするとタバコ代より高くつきます。


しかも、よく食べるものですから、体がふとってきて、それまで着ていた
洋服が着られなくなる。


3ヶ月前までは着ていたワイシャツなんかもきつくなります。
ズボンも上着も、下着も買い替えとなりますから、タバコをやめたことに
起因する出費はばかになりません。
                                      
そのあと、○○ダイエットという、高いダイエット食品を使って、
かなりの出費となりました。(しかも痩せなかったんです)


まあ、タバコをやめるのはよい事なんですが、
貯金が目的でやめるのは、いまの時代に合わないでしょう。


お金を貯めるには、たしかに欲望をある程度犠牲にしなければならない
のですが、もっと今の時代に合った方法をさがすべきです。


お酒にしてもそうです。お金を貯めるために晩酌をやめるなんていうのは、
いかにもさびしいですよね。


また、それでお金が貯まるというものでもありません。
日常生活に必要なものまで切り詰めて貯金したとしてもうまくいきません。


同様の意味で、食費を切り詰めるなどもだめです。
倹約というと、さしあたり食うものも食わずに金を貯める
というイメージがありますが、それは世の中全体が貧乏だった時代の話です。

いまは、みんなお腹いっぱい食べています、


むしろ「健康のために節食しようという時代」なんですね。

お金を貯めるために、米とみそだけですごすなんて考えられたいし、
またできるものではありません。


食べないほうが健康的になった時代ですから、
貯蓄と食費を切り詰めること自体ナンセンスです。


もちろん、食費を倹約する、あるいは、ムダを省くことはたいせつです、
おいしいものを食べるのは、私も好きですし、けっこうなことなんです。


しかし、世の中には「安いものはまずいもの」「高いものがうまいもの」
と考えている人がいっぱいいます。
だから、たいしてうまくもないものに、お金をムダ使いしていることが
少なくないんです。


そういうムダをなくして、貯金に回すなら、これはうまくいくと思うんですね。
大切なことは、時代をよく考えて工夫するということです。


今の時代は。倹約したからといってお金が増えるとは限りません。
少なくとも、貯金だけではどうにもなりません。


むしろ、お金をためるにしても、「それをどう使って儲けていくのか?」
が大切な時代です。


なんにしても、元手は必要です、その元手を作るための貯蓄なり倹約
であるならば意味があります。


元手がなければ、チャンスにすら出会えないわけですから。


そこら辺のことを考えた倹約でなければ、
今の時代には無意味な我慢となってしまいます。

小さな子はカンを働かせる天才かもしれません。


幼い子を見てるといつも思うのですが、

なぜ、小さなこどもに母親が出かけるのがわかるのでしょうか?


ある奥さんが、いつも言ってました。
「あの子、私が買い物に出かけようとすると、遊びをやめて、急に私にくっついて
離れなくなるんです。どうして私が出かけるのがわかるのかしら」


確かに、奥さんから見れば不思議なことでしょう。
まだヨチヨチ歩きの子どもが、母親の心の中を読みとってしまうみたいに見えるの
ですから。


でも、これはけっして珍しいことではありませんよね。
それは、実際に子どもに特有の「カン」がはたらいているからではないでしょうか。


以前、新聞に、母親が出かけていったあとを追いかけた三歳の少女が、
マンションのベランダの手すりから転げ落ちて亡くなった、という
痛ましい事件がありました。


子どもというのは、母親が出かけようとすると、すぐにわかるものなのです。

なぜかというと、それもまた、一種の「虫の知らせ」と同様で、
子どもの危険察知能力がなせる技なのでしょう。


子どもの気持ちになってみれば、すぐにわかることですが、
いつもそばにいて、自分の面倒をみてくれている母親がいなくなったら大変です。


小さな子にとって、母親が自分のそばからいなくなるという恐怖感は、
想像を絶する思いでしょう。


極端にいえば、生死とかかわりがあるからです。


なにしろ、お母さんがそのまま帰ってこなければ、ごはんも食べられなくなる
のですから。


それだけ子どもというものは、母親に対して、いつも敏感なのです。
たとえ母親がすぐ近くにいたとしても、
「今日のお母さんのにおいは違う」とか「ずいぶん、今日は足早だな」という、
ふだんと違うことを感じたら、「母親は、私を置いて出かけてしまう」という
とっさのカンがはたらいて、あわてて母親にしがみつくわけです。


母親のほうは「すぐに戻ってくる」という意識がありますし、
べつに家出をするわけでもない。


見れば、子どもが家の中で静かに遊んでいる。
このまま置いていっても大丈夫だと思うわけですが、子どもはそうはいきません。


もちろん、子どもには「お母さんはすぐ戻ってくるから平気」などという考えはありません。


ただ、母親がいなくなるのではないか、というカンだけが強くはたらくので、
子どもにとってはある意味、命がけなわけです。


逆にいえば、子どものほうが、それだけ真剣で純粋だということです。
なんか、とても示唆的ですよね!


大人は「こうすれば、こうなるはずだ」という予想や予見をもっています。


ですから、カンをはたらかせる際のじゃまになっているのではないか、
ともいえるのではないでしょうか。


私たち大人は子供と違い、純粋でない分「カン」が働かないのでしょうね。

どこの会社にも酒癖の悪い奴や、ケンカ癖のある奴というのが一人や二人います。
嫌ったり、嘆いたりしても解決にならない。


しかし、こういった連中というのは、案外持っていき方によっては味方になって
くれるものです。

憎んではいけない。むしろ愛すべき人たちなのである。


どこの会社でもイベントやら研修会などが催されます。


あるいは忘年会だのクリスマスパーティだの。そういった行事のときになると
普段はおとなしいこれらの人間が悪い癖が出てきてクダをまいたり、因縁つけたり、
ぷちこわしてしまうことが多々あります。


ケンカをしたりして、せっかくの楽しい雰囲気を壊すし、それを力で抑えようと
すると、ますます暴れ出す。


それかといつて「まあまあ」となだめにまわるとまたつけ上がってくるし。
始末の悪いものです。


しかし、それは彼らを敵にまわすからいけないのかな、っと思うんですね。

むしろ彼らを味方として逆用する方が効果的カも知れません。


たとえば旅行のときなど、いつも遅刻する癖のあるヤツを思い切つて引率係にする。
そうすると不思議にちゃんと人よりも早く集まって結構面倒見るものです。


またいつも早くから酒をのんでベロベロになってみんなに迷惑をかけていた人には、
救護係にして逆に酔払いの面倒を見さす。


「いつも俺はこんなふうにして人に迷惑をかけてたのかな」と反省させるにもいい
チャンスかもしれない。


「いやあ、参った、参った。今日は俺、救護係かなんかにされちゃって、
酒もオチオチ飲んでられないんだよ」とぼやきながら、
いつも嫌われものの様に扱われていた自分が、たとえ一時でも、一つの立派な役を
仰せつかったのだからまんざらでもない。


いや一種の誇りのようなものを持つかもしれない。


ケンカ早くて、いつもみんなに嫌がられる男。
こんなのもその他大勢の中においてはダメ。

といってリーダーにするというわけではないが、いわばお目付け役に起用すると面白い。


味方にするとガラリ変わってキリッとしてくるから不思議。

大体そんな連中は多少とも空手だの柔道をやっていて暴れてみたくてしようがない人が多い。


それだけにイベント会場などの整理役員というか、警備係などをやらせれば
張り切って、ヘンな奴をつまみ出したり、見違えるほどの働きをする。


旅行のときなどでも列車内や旅館内を見回ってくれてニラミをきかしてくれるし、
細かいイザコザは大てい片付けてくれるからありがたい。


人間って多少なりともどこかにいいところのあるものだ。
「毒も使いようによっては薬にもなる」とはよくいったものです。

一度や二度、暴れたとか迷惑をかけたからといって、犯人だの罪人のような
烙印を抑してはいけない。


自分だって、迷惑をかけた経験もあるかもしれないし。もっと暖かい気持ちで、
長い目で見てやらなければ可哀想でしょう。


むしろ常習犯こそ模範囚、いやいや、みんなの模範に変身しやすいもの、
一度や二度失敗してもあきらめずに根気よく。


そのかわり、これがうまくいったときは組織でも何でも、
従来のいわゆる平均的優等生とでもいおうか、
小ざかしい、要頷のいい模範社員ではなくて、仕事もバリバリやるし、
リーダーシップも上手にとるもんである。


悪でもいい。やるときにしっかりやってくれさえすれば、
ケジメさえあれば。


しかし、それだけの度量がこちら側にも必要でしょう。


いろいろな種類の人間がいてこそ世の中はうまくいくものである。
トライしてみたら、おもしろいかも。