僕が圧倒的に音楽にのめりこんだきっかけはビートルズで

 

その存在は僕にとっていまだに圧倒的で

 

 

そのどこが圧倒的かというと楽曲の素晴らしさ。

 

 

僕は大学の頃にビートルズのカバーバンドをやっていて、そのバンドは卒業しても数年続いた。

 

世界一素晴らしい音楽を演奏するのだから、自作曲などなくってもいいと思っていた。

 

が、ある時このバンドが解散となり

 

次に何をするか?

 

また同じようにビートルズのカバーをやるならば

 

ジョン・ポール・ジョージ・リンゴという4人のパートを使い分けることがバンドでは重要になってくるので

 

これだけをやりたい・・・・という人を探さねばならなくなる。

 

また、目の前に正解がある音楽をすることになる。

 

 

なので

 

 

それとはべつのものをやっていこう・・・・

 

そうやってできたのが僕が初めてオリジナル曲で活動したバンド「プルナ・チャンドラ」だった。

 

このバンドではいろんなところにツアーに行き

 

今のジミースターダストの足掛かりとなるコネクションを作っていった。

 

 

で、このバンドもインディーレーベルでCDを出してしばらくしてメンバーが東京に行くことになり

 

もう一人は就職することになり

 

僕一人で一から始めることになった。

 

 

そうこうしていると、また固定メンバーが見つかり

 

 

しばらくはそのまま活動を続けていたが

 

ベースのラリー小野田が脱退

 

 

このタイミングで僕はソロ活動を始めた。

 

それがジミースターダスト名義でのソロだった。

 

 

それから余り経たないまま

 

ベースの島田君とデュオになり

 

その1月後くらいでまっちゃさんが加わった。

 

3人そろってしばらくはやっていたが

 

ベースの島田君が脱退。

 

まっちゃさんと二人でツアーを開始。

 

博多に行ったのが最初だったかな?

 

広島にも行ったし

 

岡山にも行った。

 

東京では自主企画もやった。

 

この企画が渡辺隆雄さん、橋本潤さんのデュオ橋渡しのライブ復帰のものだった。

 

 

その後

あたか君がドラムで加わって3人で全国を回り

 

あたか君のダブルブッキングにより、ピンチヒッターを現SHOJIMARU店長でタイマーズ、モジョクラブの杉山章二丸さんが叩いてくれたり

 

そしてあたか君の脱退。

 

SHAKESの判慶充さんが叩いてくれたり

 

元THE EASY WALKERS で現ハーシーズの樋口君が叩いてくれたり・・・・

 

 

ののちにトビーさんが加わった。

(バンドに加わったのは樋口君がツアーでたたいてくれた時期だったんだけど、まだスタジオで曲を合わせるタイミングだった。)

 

そしてトビーさんが加わり8年目

 

ジミースターダストとしては12年目。

 

ビートルズのメジャーでの活動は8年間。

 

 

その活動年数を超えた。

 

 

・・・・・にも拘わらず。

 

ビートルズが200有余曲

 

ジミースターダストは40曲あまり。

 

これではいかん・・・・と

 

2024年は久々に曲作りに励んでいる。

 

2011~2012年はスタジオのたびに新曲を持って行っていた。

 

それに比べ

 

 

今は曲作りのペースが落ちまくっている。

 

 

2024年に入り1月~4月のライブで3曲の新曲を発表した。

 

まだ少ない。

 

曲作りをするために自分の中からあふれ出るように

 

インプットが必要だと判断し。

 

 

またまたいつものルーティーンの映画鑑賞の時間を増やしていくようになった。

 

僕の作る音楽は視覚からインスピレーションが湧くもの・・・・つまり映画などを見たことによってアイデアが浮かんだものと

 

聴覚を通して湧いたもの。つまりは誰かの音楽を聴いてその音楽のアンサーソング的なもの、その曲のもつ雰囲気的なもの、同じジャンルがやりたくなってできたもの・・・・となる。

 

 

今はとにかくインプットが必要で

 

それも自分が影響を受けて浮かぶもの・・・が重要だったりする。

 

あとどのくらいでビートルズのレパートリー数を抜くことができるだろう?

 

そして、その中で名曲と呼ばれるものは生まれるのだろうか?

 

 

産みの苦しみが今後は押し寄せてくるだろうけども

 

同じ曲を量産することなく

 

違った何かが必ずある曲を作っていこうと思う。

 

コロナ禍以来の音楽シーンの衰退を嘆くばかりではなく

 

今できることをやって、チャンスが来た時にそれを使い切ることができる器となる準備は常に忘れないでおこうと思う。