シルバーウィークのお忙しい最中、お越しいただきました皆様本当にありがとうございました!!

 

この日お会いできた皆様に感謝いたします。

 

 さて、21日は月曜日。祝日とはいえ、月曜日に遠征というのは我々にとってはとても珍しい事。

 

 

渋滞やらを見越して、かなり早めの集合。

 

いつもメンバー集まってから、コインパーキングに車2台を停めて、僕の車で現場に向かうのですが

 

駐車場難民になるのを恐れ、その分も含めての早めの集合。

 

ところが、駐車場はあっさりと確保。

 

これは幸先が良いぞ!・・・・と言う事で一路香川へ向けて出発。

 

・・・・が、ここからである。

 

まず、西宮辺りまでほぼ時速7キロ~10キロで進むという渋滞。

 

故障車両によるもの・・・・らしいが

 

 

そこを過ぎればすいすい~・・・・と言いたいところが

 

工事による路面封鎖による渋滞。

 

・・・・いつも思うのだが、なぜ通行量が多いとわかりきっている期間中に道路封鎖などするのだろう?

 

9月の大型休暇、誰だって予測がつくだろうに。

 

結局、明石大橋を渡るまでずっと渋滞。

 

この時点でリハーサルの入り時間に間に合わないことが危ぶまれる。

 

まっちゃさんにナッシュビルに電話を入れてもらい事情を説明してもらいつつ

 

休憩も一切なしで香川県を目指す。

 

 

関東方面で台風が発生していることから、皆反対側に出かけることにしたのだろうか?

 

淡路島のサービスエリアも入り口で渋滞。

 

 

横目で見ながら先を急ぐ。

 

 

 奇跡的にも、なぜか高松スタジオナッシュビルには本来の入り時間の15分オーバーほどの時間で到着。

 

 

リハーサルの順番を入れ替えていただく予定がそのままで行けることに。

 

スタッフの手際よいリハーサル準備にて無事終了。

 

 この日、僕は朝から何も食べていなかったので、おなかがすいて仕方がなかった。

 

リハーサルの後、出演者の皆さんとの会場での顔合わせの後うどん屋へ・・・・・。

 

ところが

 

いつものうどん屋は30人以上の行列。

 

 

そこから少し離れたうどん屋は休業なのか廃業なのか閉まっていた。

 

商店街に赴き

 

昔行ったなぁ・・・といううどん屋へ向かうも、店内にずらっと並ぶ行列。

 

諦めて別の場所へ・・・・。

 

 

ところがどこもかしこもデモに参加する人々の群衆のような行列。

 

 

もうあきらめてチェーン店へ行くことに。

 

 

それでもうどんは諦められず、

 

 

なんと香川県に来てはなまるうどんへ。

 

これは、例えるならばベルギーへ行ってチロルチョコレートをお土産で買って帰るようなものだ。

 

朝から何も食べてなかった僕は

 

ざるうどんの大と舞茸の天ぷら、とり天、鶏のから揚げを注文。

 

ざるうどんが890円。とり天と唐揚げが160円、舞茸が240円だったか?

 

合計が1450円だった。

 

一方トビーさんとまっちゃさんは黒コショウとり天ざるうどん・・・だったかで

 

980円。

 

内容は、こぶしの半分はあるだろう大きさのとり天が7個。うどんの上に載ったもの。

 

かなりのボリュームで見てるだけで「うわ・・・・」と声が出てしまうくらいのサイズ感。

 

これが980円?

 

僕の1450円と明らかにコストパフォーマンスが合わない。

 

これはいったい、どうやって儲けを出しているのだろうか?と心配になるくらい。

 

満腹の状態でスタジオナッシュビルへと戻る一行であった。

 

その②に続く。

 

 

 

 さて、9月最後のジミースターダストのライブは香川県高松スタジオナッシュビル。

 

前に出たのは春先だったかな?

 

ちょっと記憶があいまい・・・・・。

 

いつもナッシュビルは4組以上5組くらいのイベントが恒例で

 

今回の様に3組でのイベントは珍しい。

 

また、共演者すべてが初めましての方々。

 

SNSなどで繋がりはあるけども、同じ日にステージに立つのは初めて・・・・と言う意味だけれど。

 

 

危ぶまれたのが、この9月21日に台風がどう出るか?

 

今のところ、関西方面から西は免れたっぽいので移動その他には問題はない様子。

 

安心して足を運べるというもの。

 

ここはとてもしっかりとした造りのライブハウスなので、ステージに立っている時には邪念は一切ない。

 

そういう場所だからこそ、こうやって長年何度もお世話になっているわけです。

 

願わくば、たくさんの人にご来場いただきたいわけで

 

聞いてもらいたい曲が沢山あるわけです。

 

 

今回は三人編成。

 

高松はいつも三人編成だけれども。

 

ジミースターダストは現在持ち曲が60曲ほどしかない。

 

15年やってきて、この曲数は少ない。

 

年間10曲新曲を発表していない・・・・と言う事なのだから。

 

15年もやっていれば200曲くらいは持ち曲があって当然だろう・・・・と言うところに

 

 

僕自身の曲作りの遅さを感じている次第。

 

 

曲をじっくり丁寧に作っているからではない。

 

僕は作り始めるとめちゃくちゃ早い。

 

1曲5分ほどで作る。歌詞を作るのも同様だ。

 

そのくせ、このペースなのだから怠けているとしか言えない。

 

 

曲作りが嫌いなのか?と聞かれればそうではない。

 

逆に仕上がって何年も演奏している曲をずっとアレンジしていくタイプなのだ。

 

ステージでの演奏は、主軸はあっても必ずアドリブが入っている。

 

そういう演奏はステージを見てもらわないとなかなか伝わらない。

 

9月21日の高松スタジオナッシュビルではどんな演奏ができるか?

 

是非味わいに来て下さい。

 

9月21日 香川県高松スタジオナッシュビル出演

Nashville Junction Vol.22

OPEN 19:00 / START 19:30

前売 ¥2,500 / 当日 ¥3,000

(共にドリンク ¥600)

出演>SOM、日光壮大 、ジミースターダスト

 

 

 

 

 

 

 まずはこの日お会いできた全ての皆様に感謝します。

お足元の悪い中お集まりいただけたことはこの上ない喜びです。

 

 この日のツーマンライブ「Face2Face」の対バンのお相手は7月以来の再会となる高松千春さん。

 

香川県は高松よりお越しになり、故郷を愛するという気持ちから地元の高松、そして敬愛する松山千春さんからの命名。

 

歌心というものはこういうことを言うのだろう・・・というステージ。

 

ステージを拝見してほっとした想い。

 

そうだよな、歌ってこういうものだよな?

 

ステージってこういうものだよな?

 

 

と再確認させてくれた。

 

 

これは僕にとっては救いである。

 

 近頃、この世のものとは思えない醜いステージを見せられた。

 

音楽ジャンルというものは好みはあるにせよ、どんなジャンルであっても最高と最低というものがある。

 

 

それは技術面の話ではない。

 

 

音を出す者の完成系がどうであるか・・・だ。

 

チケット代が存在するステージにおいては、そこでの責任というものがある。

 

サークルや趣味などで仲間内で演奏する場合は、その組織の中での到達点というか目的がある。

 

演奏しているステージを見てただ手を振りかざしていれば完結する場所もある。

 

 

適材適所。ふさわしい到達点。

 

一般客を相手に商業施設での有料ライブというものには、ステージから何を差し出すかは夫々の思いでよいが

 

いずれにしても「チケット代金の価値」を下げないステージをお送りする必要がある。

 

どんなにミスをしようともそれはミスでしかない。それを上回る説得力があればそれでいい。

 

高松千春さんのステージはまさにその境地だった。

 

 歌を伝える方法には二つあって

 

まずは歌詞があるならば、その歌詞をお客様に届けなければならない。聞き取れなければならない。

 

これは大前提。

 

もう一つに「歌詞など必要のない」もので「声」を届けるものがある。

これは大前提として曲中を歌詞がないまま表現力の豊かさのみで完結させるといいうもの。

 

2つに共通するのは、どちらも「表現力」が要であるという事。

 

 

口先だけで歌い、ただがなり立てたいだけのものをステージから発信しているのを見ると

 

自分はああならないようにしようと深く決意をする。

 

それよりも音楽を侮辱された気持ちになり、珍しくも怒りが収まらなかったことがあった。

 

僕の目の届かないどこかでやってくれる分には構わない。

 

二度と僕の関連するステージには立つな。そういう想いで一杯である。

 

フォローしておくと、彼らの演奏のうまい下手の問題ではない。

 

 

へたくそならば、うまくなればいいだけなのだ。

 

自分の目標に達していないだけならば精進すればいいのだ。

 

 

自分たちが最高で他のバンドを叩き潰すつもりで本気で真剣にやります・・・と言う輩がお遊戯みたいなステージを展開すると

 

「こいつらの本気はこれで、これが真剣なのだ」と思いながら冷静にステーを見ていると

 

客席にいる友人知人なのだろう連中がお約束としか思えないノリでクオリティ関係なく盛り上がる人々を見て

 

「ああ、音楽なんて誰も聴いてないんだな。」と

 

一抹の寂しさを覚えることとなった。

 

こんなつまらないステージを2つも連続で見せられたのは生まれて初めてのことかもしれない。

 

音楽を馬鹿にされた気がしてならない。

 

 

それを経験したからこそ

 

自分たちはこうであってはならないと感じることができた事

 

高松千春さんのステージを見て、この考えが間違えではなかったことの確信が持てた事があったのだろう。

 

自分たちの演奏が最高だなどとは思わない。

 

まだまだ楽器や演奏などはその気になれば生涯成長するものだと僕は疑っていないからだ。

 

今日より明日、明日より明後日。

永遠に今よりもよくなることができると考えている。

 

 

 今回のテーマは「歌を伝える」

 

これを掲げてのステージだった。

 

それがお客様にどう届いたかはお客様次第。

 

 

 

次なる挑戦はまだまだ続く。

 

2026年9月4日大阪セットリスト

1,素晴らしき世界

2,真実のマーチ

3,君のいた場所

4,ひとりぽっちの海賊船

5,さよならガンダルフ

6,真夜中の手紙

7, あの時の少年

8,君の事

9,Walk Don’t Run

10,世界機械

11,SF(サイエンスフィクション)

12,三日月の夜

13,Drive My Car Boogie

Un,陽だまりのメモリー

 

 

 

 

 映画の中の1ジャンルとして「伝記」というものがある。

 

これは映画だけではなく、もちろんドラマもあれば

 

映像がない時代には歌や伝承という形がとられていた。

 

そしてこの「伝記」と言われるものはドキュメントではない。

 

第三者の脚色の入ったものである。

 

 

僕は割とこの「伝記映画」というものが好きで

 

よく見るのだけれども

 

どうもこの伝記映画が苦手だという人もいる様子。

 

その中の何名かの意見によると

 

実在の人物の物語を見るよりも本人のドキュメントを見た方が良いというものがある。

 

この意見を掲げる人はそもそも僕の価値観とは違うので「へーそうですか」

 

となる。

 

 

また細かくいうならば

 

歴史もののほとんどが伝記ものであり

 

キリストの物語であったり、ジャンヌダルクであったり、ナポレオンであったり・・・

 

日本の時代劇なんてものは、ほぼ伝記となる。

 

ではそういった時代劇をドキュメントとして見ているか?

 

本人とのイメージが合わないなんてことは誰にも分かりっこないわけで。

 

 

 さて、僕がさんざん見てきた伝記ものの音楽家を取り扱った映画の中でも特にお勧めしたいのが

 

「名もなき者」

ティモシー・シャラメがボブ・ディランを演じたものだが

 

これは本当に映画としてよくできているし、ボブ・ディランのイメージもそのまま。

 

ストーリーも見せ方もカメラワークも素晴らしい。

 

これが僕の中では今まで見た中で一番良かったのではないかと思う。

 

 

もう一本、それと同じく素晴らしいのが

 

「ドアーズ」

 

随分と古い映画ではあるけれど

 

ヴァル・キルマーがジム・モリスンそのもの。

 

ストーリーも大変興味深くさすがのオリバーストーン監督作品だなと。

 

カイル・マクラクランがジョン・デンズモア役で出ているのも丁度ツインピークスの撮影で主役のジム・モリスンを演じる時間がなかったためとのこと。

 

 

これは今やDVDもなかなか手に入らないので何とか手に入れたいと思っているのだけども。

 

そして

 

ゲイリー・オールドマンがベートーベンを演じた「不滅の恋」

 

これもストーリーと哀愁のあるゲイリー・オールドマンの演技がとてもよかったのだが

 

DVDやBlu-rayがとても高額で中古でしか手に入らない始末。

 

 

 また、これとは別にミュージシャン本人が本人役で出ているものもあり

 

これは伝記というよりも、本人主役のMVともいうべきもので

 

そういったものの方が受け入れがたかったりする・・・・。

 

例えば

 

その中の最も僕が受け入れることができないものがプリンスの「パープル・レイン」

 

あの映画はプリンスのミュージシャンとしての演奏が素晴らしいだけで、プリンス本人の役者としての演技力のなさに見ていて恥ずかしくなってくるのだ。

 

DVDも持ってはいるが1度しか見ていない。・・・・・いや、1度見て、全く受け付けなかった為

 

再度見たけども、やっぱり受け付けなかった。

 

2回見たという事だ。

 

「エルヴィス」なんてのも素晴らしい作品だったし

 

「ボヘミアン・ラプソディ」や「ロケット・マン」、「マイケル」なんかはエンターテインメント作品として素晴らしいとは思うけども

 

 

「名もなき者」と「ドアーズ」は格が違う気がする。

 

 

 

 

 

 

 

  さて、世の中には七光りという言葉があるけれど

 

親が偉大ゆえにその子供がどんなに才能にあふれていても世の中で正当に認められないということが多々あるわけで。

 

例えば、それはジョン・レノンと息子のショーン・レノンに代表される「偉大過ぎる親」と認識されている状態にあるのだけど。

 

(ちなみにショーン・レノンは物凄く過小評価されていると僕は感じている。もっと認められるべきミュージシャンだと。)

 

 

これ実は日本と海外ではちょっと事情が違うような気がするわけです。

 

 

もちろん、海外と日本で似通った例もあるけれど

 

それは「明らかな七光り」「親よりも本人の才能の低さ」という事実の上での話であって

 

ここではそうではない偉大な親に才能ある子ども・・・・という話で進めたい。

 

言葉でこうして書くとずいぶんと乱暴で失礼になるけれども

 

それは一般論としてわかりやすく書いていることをお許しいただきたく思う。

 

 

先ほど具体例として、ジョン・レノンとショーン・レノンを出したけれど

 

リンゴ・スターとザックスターキーという例もあったりするのだけど、ここは比較的親子共に正当な評価を受けているように思う。

 

  さて、日本と海外の違い・・・と先述したのだけれどこれはどういうことかというと

 

 

日本人の偉大な親とその子供…の評価は海外に比べて、「偉大な親の陰に隠れて子供が沈む」ということが少ないように思う。

 

 

これは何故か?

 

それぞれのファンの世代的な年齢の差・・・・と言うものが大きく関係しているように思う。

 

例えばCHARさん。

 

日本でも偉大なギタリストでその知名度というか認知度の高さは言うまでもない。

 

 

でも、実際にCHARさんの事をどれだけの人が知っているのか?

 

実際にライブに訪れた数と知っている人の数の差・・・・と言うものがどのくらいあるのか?

 

で、その息子さんがRISEのジェシーさん。

 

親の七光りなんてものを越えた存在である。

 

で、ジェシーさんのファンは彼の父親がCHARさんであることは知っているだろうけども

 

CHARさんのライブに行ったことがある者、cdを持っている者・・・・となると極端に少ないはずだ。

 

CHARさんのファンの世代や音楽的趣味というものがピンポイント(ジェシーさんに比べて)という事なのだろう。

 

音楽畑というものはテレビ画面の認知度だけでなく、ライブに足を運ぶ人・・・というアウトドアな人の数がものをいうのだけれど

 

このお二人は同じ畑での評価という事になる。

 

ちなみに僕はこのお二人関係のcdは一切持っていない。

 

 

こういう書き方をするといいたいことのニュアンスが伝わるかどうか、はなはだ疑問なのだけれども。

 

 

要するに親の陰に隠れて子供の存在が沈むことなく、むしろ子供のファンにとっては、その親の事を全く知らない人の方が断然多い・・・・と言う事。ファンの世代が高齢化していくのはどちらも同じだけれど。おそらくはCHARさんのファンは50代以上、ジェシーさんのファンは30代~50代という感じなのではないかなと。

 

で、やがて人は皆死ぬ。

 

50代の人は30年後には80代なわけで

 

今30代の人は30年後は60代

 

ライブ現場に足を運ぶ人数ということになるとジェシーさんの方がこの先も人数が多いということになる。

 

RISEは今は活動休止中ではあるけども。

 

シャケさんなんかもそうであって、レッドウォーリアーズ、レベッカであることは知っていても子供である杉咲花さんの方が知名度としては抜群にある。

 

ここの場合は音楽畑と俳優業という少し畑違いで、片やテレビの画面の外が活動拠点であるシャケさんと、テレビ画面の中が活動拠点であるがゆえにあらゆる世代が目にしやすい杉咲花さんという違いがある。

 

シャケさんの演奏する音源は一切持っていないけれど、杉咲花さんが出演したドラマはいろいろと見た。

 

 

 

 この2例ははあくまでも成功例を出しているのだけども

 

 

日本の方が成功例が沢山あるように思う。日本国内という狭いくくりの中だから…という訳でもないような気がする。

 

 

 

 

ちなみに

ショーン・コネリーとジェニファー・コネリーは親子ではないし

 

ダイアン・キートンとマイケル・キートンも赤の他人なので例には出せなかったのだけども

 

 

海外で言うとスティーブン・タイラーとリブ・タイラーが正当に評価されているという事になるのだろうか?

 

 七光りとはいうけれどその光を受けて同じように光ることは並大抵ではないということがよくわかる。

 

親の七光り・・・・の例はここでは出していないけれど

 

それの何が悪いのだ・・・・と僕は思う。

 

七光りゆえの苦しみに沈むことを思うと、ただ光ってるだけではないのだという事。

 

 

そして実際の認知度がSNSでの「いいね」の数のようなものであり、知名度がどんなに多くても(いいねが多くとも)

 

知名度だけではなく作品を手に取る、ライブ現場に足を運ぶ数・・・と言うものはその「いいね」の数よりかなり低いのは皆知っている通り。

 

 

知っている数が莫大に多いからこそ、売り上げというものがその知名度を下回るのは仕方がない事。

 

 

僕はそう思う。