人は学ぶ上で知的好奇心は重要だと思います。
知的好奇心がある人は、学ぶ上での土台となる部分の
すそ野が広いと思います。
土台となる部分のすそ野が広ければ、
その上に乗せられる知識の量が増えます。
中学受験生においても当然知的好奇心は必要です。
子供のうちは特に知的好奇心が豊かである必要はあるでしょう。
知的好奇心は、子供たちが勝手にいろいろなものを見て
関心をもって身についていくものでしょうか。
それはあると思います。
しかし、子供たちに知的好奇心を持たせるのはやはり大人です。
きっかけは大人が作ることが多いのです。
旅行先で、お城や歴史的な建物を見に行ったときに、
歴史好きのお父さんは石碑やその建物の説明を読みます。
それを子供に説明します。歴史好きの人は説明好きでもあります。
お母さんはいつものことと聞きませんが、子供は興味深く聞くこと
があります。
お母さんやおばあさんの料理を手伝うとき、
料理の手順やその意味、食材の特徴、味付けの奥儀
を学びます。料理は非常に科学的でもあります。
料理への関心が深まることになるかもしれません。
大人がかつてそうであったように、
子供たちは興味のアンテナをたくさん張り巡らせています。
時代が変わっても、人間の知的好奇心は不変だと信じたいです。
私たち大人はどうでしょう?
知的好奇心余るほどありますか?
知的好奇心なんて忘れてしまいましたか?
知的好奇心を持つ⇒そのことをもっと知りたくなる⇒調べる
⇒学ぶ⇒もっと知りたくなる⇒自分には知識が足りないことに気づく
⇒どうしたらもっと理解できるようになるのか
学ぶとはそういうものだと思います。
テキストの学習、塾の授業、テスト、テスト結果
それも勉強でしょう。
知識を優先的に先に頭に入れる学習も必要です(テキストや授業)
時には、知識を入れることを最後に持ってくる学習もあっていいと思います。
それが知的好奇心から学ぶ学習です。
はじめは単純な興味関心、調べたり、人に聞いたりして、
結果として知識になる。
知識を身に付けようという意図はなかったのですが、
興味が深くなり、結果的には知識が身につく。
ただし、勘違いしないでください。
知的好奇心だけで学習が成り立つわけではありません。
知的好奇心はその人の興味関心からスタートしていきます。
これは結果としての知識がアンバランスになってしまうことになるからです。
世の中すべてのものに興味関心を持つような人はいないでしょう。
教科書やテキストのように、興味が無くても学ばなくてはいけないことが書いてあり、それを知識にしないとバランスの良い知識になりません。
知識のバランスが悪いと、理解力や判断力が悪くなります。
教科書やテキストの標準的学習も必要なわけです。
バランスの取れた学習は深くはなりませんが広くなります。
知的好奇心からの知識は深くなります。
その両輪が私たち人間の知識になり知恵になるのです。
夏休み。
標準知識を身に付けるテキストの勉強は大事ですが、
知的好奇心をくすぐる新たな知識を探しに行くのもいいものだと思いませんか。
中学受験生に対しては、
大人が、受験勉強の標準知識の重要性と
学ぶことの楽しさを感じられる知的好奇心を刺激する学びの
両方を子供たちにわからせるいい機会だと思います。
そうそう、私たち大人が、
やらなくてはならない自分の仕事と
好きなことに興味関心を持つ知的好奇心
の両立できていますか?
知的好奇心、死ぬまで持ち続けましょう
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