先週から 体調が突然悪くなって 寝込んでいた 我が家の3番目にゃんこ
きくちゃんが 今朝 旅立ちました。
違う病院へ連れて行こうと 準備していた矢先のことで
息も絶え絶えなのに 必死で歩いてどこかへ行きたかったけど パタンとうずくまってしまったのを
抱き起こした瞬間 強い引きつけをおこして そのまま 逝ってしまいました。
11年間 我が家で過ごしてくれた思い出の中で きくちゃんの写真が少ないことがあまりにも残念で悔やんでいます。
上の写真は2009年8月 大好きな公園で遊んでいるところを撮ったものです。
まだ デジイチになれなくて なかなか止まってくれないので ブレた写真だらけの中 唯一座ってくれて撮れた1ショット。
一番最近のものでも 2010年4月のこの写真。
干したての布団の上に 忍び込んで昼寝していた1枚。
最期は骨がわかるほど ガリガリにやせてしまったので ふっくらしているきくちゃんの表情に 懐かしさで泣けてきます。
あぁ もうだめですね。
しばらく 涙腺が崩壊したままになりそうです。
今回 きくの最期を看取ったことで この1週間 ある葛藤がありました。
それは 猫の本能として迎える死と 家族で看取ることの死。
実は 何度も何度も きくは必死に歩いて玄関やベランダの側へいって 外へ行きたがっていました。
それは 多分死に逝く場所へだったと思います。
でも 私たち家族はそれを拒否しました。
プライドが高くて あまり甘えないきくちゃんからしたら それは最も残酷な状態をみせることになったと思います。
でも 家族としては 最期の最期まで希望をもって 生きてほしかった。
生きてほしい
けれど
これ以上 苦しめるような医療行為で延命させることは 果たして人のエゴなのか?
ここでも 迷いました。
こういう経緯があって すぐに次の病院を探すということが どうしても出来なかった理由の1つでもありました。
2日前に ちょっと不思議なことがありました
2匹の猫が きくちゃんの寝ている側まできて しばらくじっとその様子を見つめているのです。
鳴くわけでもなく ただ その姿を見守っている様子が 普段は仲が悪くて近くまでいきもしないのに とても不思議で何とも表現できないような 空気がありました。
今思えば 猫同士で最期のお別れをしていたのかもしれません。
昨日 あまりにもやせ細ってしまった体をみて せめてお腹いっぱいにしてあげたいと思い 次の病院へ連れて行こうと決めていました。
でも もうそれは叶うことはできませんでした。
息をひきとった後の きくちゃんの顔には 朝の光があたって 毛がキラキラ光ってとてもキレイでした。
まるで 天使が迎えにきてくれたようにもみえて その瞬間はなぜか涙がでなかったのです。
少しづつ 時間がたつと
やっぱり ダメですね・・・
11年前の 暑い夏の日
野良の小さな 小さな子猫が 声がつぶれんばかりの大声で鳴きながら
我が家にあがりこんで来たあの日
あの日から きくちゃんとして我が家の家族になったんだね。
ご近所や 小さい子からも可愛がられて なぜか愛嬌があって声をかけるちょっと変わった猫。
外が大好きで
帰ってくると 姿を見ると必ず遠くから走りよってきたり、ガレージや門灯の影から「おかえりーっ」て声をかけてくれたっけ。
あの 「おかえりー」はもぉ 聞けないのが寂しいよ
また いつか会えるまで
それまで 少しの間
さよなら