③で市役所へ健康保険証等の返却の話を載せました、
が、忘れてたので追加。
健康保険証は住民票のある特養の所在地の市役所への返却となりましたが、介護保険証は初めて介護認定を受けた市町村が窓口なので、母が元々住んでいた隣の市へ回って返却。
次男が運転してくれていたので、車の中で企業年金、年金基金、厚生年金へ連絡を入れました。
ここからが
ゆっくり枯れるように④の続きです。
死亡診断書は葬儀社さんが母の身体と一緒に病院から預かって来ており、それを病院のあった市役所に届けて火葬許可証を受け取り、それが埋葬許可証にもなるそうです。
母の死亡診断書の死因は
誤飲性肺炎でした、まさかの誤飲性肺炎、てっきり肺がんか、老衰?と思っていたので、びっくりしました。
病院からの連絡でも特養の看護師さんからの連絡でも死因についての話はなかったですし、こちらも気にしている余裕がなかったのもありました。
そして、荼毘に付した日の午後、次男と特養に向かいました。
前もって母の暮らした部屋を見せて欲しいと、
約4年前、母の入所直前中国でコロナのニュースが流れ始め、入所して数ヶ月でコロナで日本でも行動制限が始まりました、面会はいつでもOKでエレベーターの暗証番号も教えてもらっていたのに、今に至るまで面会は予約、それもガラス越しの10分?5分?だったかな、それも2週に1回まで、つまり基本禁止となっており、母の部屋に入ったのは入所した当日のみだったのでお願いをしていました。
でも、荷物は1階のロビーにまとめられており、綺麗に片付いた部屋の見学で、なんか違う、と思いました。
次の方がすぐ入るという事情もわかりますが。
私の自宅から母のいた特養までは片道8時間ほど掛かります。
毎年1回程度は行ってましたが、最長10分の面会の為に行くのはやはり厳しい、
だから毎日カードを渡してもらうように送っていましたし、誕生日やクリスマスにはプレゼント、それにスクラッチカードや塗り絵も適宜送り続けていました。
本来、服等はシーズンに合わせ入れ替えをするのですが、母の認知症により、あれがないこれがない、あの人に取られた!で何度もトラブルとなったので、入れ替えはせず、当然捨てることまできず。
母の荷物は使えなくなった服も沢山、また、今年になってからズボン5本を送るよう指示をされていたので、きっとズボンは15本位?トップスも何度か支持されて送ったのもあり💦
母の荷物は大きな段ボール3箱と袋が4つ?5つ?特養から買って欲しいと言われた机もありました。
本や使っていないスクラッチカード、塗り絵、机、飾っていたプリザーブドフラワーは特養では引き取って頂きましたが、それ以外はお持ち帰りとなりました。
なのに、私が送ったエコバッグの一つ、何か入っています、でも、それはスッと特養に引き取ってもらったものの後ろに隠したのを見てしまいました。
母はずっと5年日記をつけていました、それがあったから、特養に入る前から認知症の症状が現れていた事がわかりました。
そして2021年で切れたので2022年からの新しくを送っていました。
新しい日記はありましたが、持ち帰った荷物の中に2017年からの5年日記はありませんでした。
これについてはまた後日にします。
看護師さんとの面会。
母の死因が誤飲性肺炎だったことはご存知ではなかったようで、驚いていました。
看護師さんからのお話。
最近、腰痛を訴えすぐにベッドへ戻る事が多くなっており、食事は皆さんと摂るのですが、その後自分で車椅子を操作し部屋へ戻ってしまう事も増えていました。
ただ、少しゼロゼロいう事もあったので、吸引もする時がありました。
そして検査した方が良いねと訪問医さんからの提案もあって、検査のために病院へ行き、その時は問いかけにも答えていましたし、手を握れますかの問いにもしっかり力を入れて握ってくれていました。
だから急変するとは思っていなくて…。
こんな感じのお話でした。
実際、特養から病院へは約1時間掛かります、それを特養の車で行った事からも緊急性は感じられなかったと思います。
病院に着き、インフルエンザ等の検査結果待ちの時に亡くなったようです。
実際どうだったかは私にはわかりませんが、母のお顔も穏やかでしたから、苦しむ事もなく逝ったのだとは思います。
2wほど前に、腰痛の事もあり投薬内容を変えたとの連絡の際、こちらから1年近く前に肺がんの話があった事を伝え、それでも、病院へ行って前回のようになるよりは、ギリギリまでそれなりに自由でいられる特養にいられる方が母は幸せと思うと伝えてありました。
でも、その時の看護師さんの話の中でも、急変する様な気配は感じられませんでした。
ただ、実際母の食欲はずいぶん低下していた様です。刻み食もあまり食べず、ただ、水分はそれなりに摂っていたそうです。
トイレも最近はもうオムツのお世話になっていたと。
聞いてないぞ?先月の請求書にその記載もないからここ最近の事とは思われますが。
母の事をこちらから聞いても特養の担当の男性は以前と変わりありません、と毎回言ってたのになぁ、全然違っていたみたいです。
以前っていつのこと?
私の認識と新しい担当の方との認識は違っていたのかもしれません。
年末に今までずっと入所時からお世話になっていた頼りになるケアマネのお姉さんが辞めてしまって、新しい男性の方とはどうも話が通じなくなっていました。
それが少し残念。
ただ、それでも、入院している時のように点滴とかもなく、食べる食べないは母自身自分で決められましたからずっと良かったと、
ゆっくり枯れるように母は逝けたと思います。
浮腫んで苦しむ事もなく、
前回の入院の後、ここは皆優しくて良いわと、人が変わってまるで菩薩さんのような笑顔を向けるようになっていて、びっくりしていますと、前のケアマネさんも当時言ってましたし。
ただ、母の入所を決めた時と特養の雰囲気はすっかり変わっていました。
どう見ても人手が足りない、前は家族さんも割と来ていたので、ここそこで話し相手もいた。
それがコロナをきっかけにスタッフさんと入居者さんだけになってしまった。
難しい問題です、周りの目があれば活気付く。
認知症患者にとってこれはきっと厳しい。
私と次男が特養を出る時、外に出て来るスタッフさんもいませんでした。
手が回ってないのがよくわかる。
母の居た部屋に行った時も、入居者さん達、何もせず座っている人が大半、スタッフさんの姿は以前より、数少ない面会の時よりも、見かけませんでした。
特養を出て、その足で近くの宅急便のセンターに寄り、母の荷物160センチ2箱140センチ1箱ガチガチに詰めて自宅に送りました。
ひたすら運転手を務めてくれた次男に感謝!
その夜は居酒屋さんで美味しい食事とお酒を2人でゆっくり頂きました。
次男は高校卒業と共に北の大地へ旅立っていました。
母のお陰で一緒にお酒も飲めて、ゆっくり話す事もできて感謝です。
先に帰った長男は、母の埋葬先の選定をしてくれています。
まだまだ時間があるので、母の好きだった事を思い出しながら検討しようと思っています。
これも15歳の母、上段右上。